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2005年10月 7日 (金)

この国の子供達の将来を憂う その2

学校というのは多くの友達と遊び、色々な課外活動をし、そして授業にて勉学を学ぶ。

そういう場所であると同時に、子供たちの人格の形成に於いて多大な影響を与える場所であります。

そして子供たちが後に出て行くであろう「世間」というものの在り方を共同生活を通じ学んでいく場所でもあるでしょう。

私、個人は学校というものは「およげ!たいやきくん」の唄のようにある程度人間を鋳型にはめるシステムだと考えております。

それは何故か。

中には「そんな考えは子供の個性を殺し、画一的な人間を作るだけだ」というような声も聞こえてきそうですが、私はそういう意見の方に逆にお聞きしたい。「では、あなたは真っ黒に焦げたタイ焼きやあんこの入っていない皮だけのタイ焼きを食べる気になりますか?」と・・・。

そもそも、子供たちの「個性」とは一体どのように育まれて来るのでしょうか。

伸び伸びと、自由に、その子の持っている全てを尊重し、大人達が寛大に見守る。

それが子供たちの「個性」の成育、「人格」の形成につながっていくのでしょうか?

私はむしろ「個性」というものは抑圧され、叩かれることを通して鍛えられていくものではないかと考えます。「自分の思う通りには生きられない」と理想と現実のギャップを感じ、それを悩むことは大概の人は経験をすることでしょう。人間、特に「思春期」の若者にとってそういった現実と向き合い、戦うことを通して「己」の存在について自問自答し、そして生きるべき道を見つけ、進んでいく・・・。それこそが「個性」が作られいくて過程であり、人格の形成というものではないのでしょうか。

現在、学校に於いてなされる教育の中に「ジェンダーフリー教育」というものが在ります。

それは男女平等、女性差別の概念の除去、一人の人間、「個」として生きていくことへの在り方、そういった概念に基づいた教育を施す目的で用いられたものなのでしょう。こういった考え方や差別をなくそうとする動きを推進するということ自体は絶対に必要なものであります。

しかし、現在の「ジェンダーフリー教育」は多くの社会問題を生み出しています。

低学年からの過激な性教育や、所謂「らしさ」の否定、言葉狩り問題、挙句の果てには「桃太郎」を始めとする童話などの否定etc・・・・。

教科書などの問題もここにあります。歴史教科書や公民教科書だけでなく、家庭科や国語、倫理の教科書についても多くの問題があると感じています。

国語の教科書には学説的に間違いがあるのではといわれるジェンダー関連の論文を引用した文章が載っていたり、家庭科の教科書ではとり方によっては離婚やシングルマザーを奨励するような文面で物が書かれていたり、倫理の教科書については時代考証を明らかに間違えて「ジェンダーフリー」を必要以上に正当化する内容になっていたり・・・。

進む方向、間違ってやしませんか?

子供たちに伝えなければならない物事の本質を見誤っていませんか?

「男が偉い」とか「女は従属するべきだ」なんて・・・過大解釈としか私には感じられないのですが・・・。

私が思う「男女平等」や「男女共生」とは、男女がお互いの「質」の違いを理解し、尊重し合い、感謝し、助け合い、そしていい意味で「鍛えられた個性」を発揮していける社会、家庭を構築していくことだと考えています。

そして、そういった社会を実現していくことに努力を惜しまず、大人達が物事を本質的に理解し、尽力する。

その姿こそが子供たちに伝えるべき本質、そして「学校」の在るべき姿ではないかと思うのです・・・。

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コメント

 生命の問題は、悠久の歴史的存在であることが、第一義的存在である。その一時的存在である一個人が発揮できる個性は、限られたものでしかない。男女の差異は、現存社会、あるいは資本主義社会において恣意的に作成されたものではない。その差異自体を解消しようとすることは、人間存在自体の解消につながるであろう。

投稿: ichiro | 2006年2月15日 (水) 09時28分

かついちさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
私が申し上げたいことはまさにそういうことです。
男女は「平等」ではあるけれども「同質」ではない、ということに基づいて物事を考えていかねばならないと思います。
そしてお互いの「質」の違いから生まれる「立場」の違いを考え、思いやることが本筋であろうと考えます。
私の未熟な意見に補足を頂きまして有難うございます。
御陰様で拙ブログにも説得力が出ます。

投稿: 管理人 | 2005年11月24日 (木) 00時50分

milestaさん、こんばんは。
コメント有難うございます。

>便利な世の中になり、夜中でも買い物できるし、いつでも電話できるし、何でも思い通りに行くと勘違いしてしまう昨今ですから、教育の方できちんと教えないとなりませんね。

全く同感です。便利になりすぎて、物事を「合理的」という名目で「勝手」な解釈をし、変えていこうという風潮は、そのものの本質からどんどんかけ離れていっていると思います。
我々がしっかりと本質を見つめ、子供達に伝えていかねばならないと感じています。

投稿: 管理人 | 2005年11月24日 (木) 00時44分

デタラメだらけのアンチジェンダーフリーさん、はじめまして。
コメント&URL有難うございます。
レスが遅れまして失礼いたしました。
私は別に「ジェンダーフリー」というものを頭ごなしに批判する者ではありません。
「男女平等」は当然ですし、「女性蔑視」もしておりません。
貴ブログやHPで取り上げられているものも否定する気もありませんが、ただ現状の公教育に於いて常識から大きく逸脱した物について「これはおかしくはないですか」と声を上げております。
ただ私が申したいのはそういう事です。
貴重な御意見有難うございました。

投稿: 管理人 | 2005年11月24日 (木) 00時36分

長々と申し訳ございません。
教育の現場を見てみると、たとえば出席簿の名前の配列を男女混合にするとか、徒競走で順位を決めないとか、名札をつけないとか、今の教育現場は本当に変です。私たちが在籍していた時代はそんなことは考えられませんでしたが、これが教育?と思わざるを得ない実情を目の当たりにして愕然としました。
これが正常という人はどうかしていると思います。spiralさんのおっしゃるように、教育は本来強制であってしかるべきものだと思います。集中力がなく、教室を抜け出る生徒がいるのに注意しない、勤務中に組合活動をする教師もいる。こんなの異常です。そんな教師は即刻クビにしてほしい、と思わずにはいられません。私はまだ結婚していませんので子供もいませんが、もし自分の子供がこんな教師に教えられるのかと思うとぞっとします。

投稿: かついち | 2005年11月23日 (水) 13時41分

こんにちわ。
私も最近のジェンダーフリーなる思想には疑問を抱いておりました。最初に断っておきますが、私は男女差別を助長するような思想は持っておりません。男女それぞれ持つべき役割をベースにお話しします。
現在は女性も社会進出する時代になりました。女性が上司、というケースも珍しいことではなくなってきました。しかし、本来女性がなすべき役割はもっと別なところにあります。仕事を続けるか、家庭に入って子育てや家事に専念するかは個人の自由があってしかるべきところですが、それを変に誤解している傾向があって「女性が男性の役割まで担う」という考えは限界があります。まず体力的にどうしても限界があります。男性の立場でありながらこんなことを言うのは情けないですが、本来男が責任を持つべき役割であるはずなのに、それを満足に果たせない。世の中男がだらしなくなってしまったんですよね。女性が男性の世界に飛び込むようになったのも、それが原因のような気がしてなりません。
男女同権を声高に叫ぶフェミニストもいらっしゃいますが、本当の「男女平等」の意味を曲解しているような気がします。男女は平等であって平等ではない。本質的に違うのだから、一緒にしようとしても無理なところはあるのだから、そのことを認め合うことが大事だと思う。差別はもちろん許せません。でも、お互いを認め合うことはすべて「思いやり」や「優しさ」につながっていくのだと思います。

投稿: かついち | 2005年11月23日 (水) 13時29分

電脳教科書補完録にTBありがとうございました。

>「自分の思う通りには生きられない」と理想と現実のギャップを感じ、それを悩むことは大概の人は経験をすることでしょう。

そうです。そうです。それを教えないから、思う通りにいかないとすぐに切れたり、自分の権利ばかりを主張する人が増えているのだと思います。
便利な世の中になり、夜中でも買い物できるし、いつでも電話できるし、何でも思い通りに行くと勘違いしてしまう昨今ですから、教育の方できちんと教えないとなりませんね。

投稿: milesta | 2005年11月23日 (水) 06時40分

デタラメだらけのアンチジェンダーフリーの真実を知りたい人はコチラ↓
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html

投稿: デタラメだらけのアンチジェンダーフリー | 2005年10月22日 (土) 04時14分

mariusさん、こんにちは。
コメント有難うございます。
大変興味深いお話、有難うございます。
そんなことをされる女性教授がいらっしゃるとは・・・。ご自分の性に誇りを持てないのでしょうね・・・。そんな方が大学で教鞭をとる・・・・。
いやはや、恐ろしい世の中です。

投稿: 管理人 | 2005年10月13日 (木) 15時52分

こんにちは。「個性」や「男女平等」の意味を変に理解している人、多いですよね・・・「区別は差別につながる」という考えの人も。ある大学の先生から聞いた話ですが、有名なフェミニストの大学教授(女性)は、履歴書などで性別の欄に「男」と書いているそうです。話としては面白いですが、自ら「女性は人間ではない、男性に準じた生き物だ」と遠まわしに言っているような気がします・・・

投稿: Marius | 2005年10月11日 (火) 22時07分

のりさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
いつもながら鋭い洞察で有難うございます。
私が言いたいこともまさにそういう事です。
多くの主婦の方々の現実的な実態と、現状のこういったものの推進のされ方はかけ離れているような気がするのです。 余談ですが家の妻は某田嶋女史が大嫌いだそうで、「子供を産み、育てることに私は女性としてこの上ない幸せを感じる」と言います。田嶋何某が出演している番組を私が見ていると横から「こういう人がいるから専業主婦は『女性』として蔑まれるのよ!一回も『母親』やったことない人に何が分かるっていうの!」と声を荒げます。
実際に子を産み、現在育児に専念する我妻を見ていると「母親」という性は、やはり偉大であり、人間として最も尊敬されるべきものであると感じます。確かに女性が社会的進出を果たし男性と変わらず仕事が出来る様な状況を作ることも重要で在るでしょうが、多くの女性達が「母」になることを望んでいることも大変重要であります。
男女は平等であるが同質ではない。
このことを全ての前提においてこういった諸問題を考えていって頂きたいものですね。

投稿: 管理人 | 2005年10月10日 (月) 22時50分

ichiroさん、こんばんは。
コメント有難うございます。

>もはや、(検証されない)人為的理念にしたがって、何かを変える必要はないのでしょうか。

私もそう思います。人権擁護法案にしてもそうですが、「区別」を「差別」と捉えられたり、一般的な叱咤激励を侮辱として「人権侵害」と訴えたりする手法はもはや「ナンセンス」なのではないかと思うのです。

投稿: 管理人 | 2005年10月10日 (月) 22時27分

こんにちは。いつもお世話になっています
間違えた方向の男女平等が多いのも事実と思います。女性と男性の質と能力が違うのも事実ですからそれに応じた教育が必要かもしれません。ただ、今審議に入って決めている女性審議委員の方は子供がいないか。裕福な方か。バリバリ仕事している人が多いのかもしれません。
このような方々は協力して家庭を守る二分の一+二分の一は=一の発想が乏しいのかもしれません。
女性の夜間の労働時間の緩和や一般主婦に対する態度{寝ているだけだ}を見ていると今までの女性達が勝ち取ってきた権利を検証もせずに失っているように思えます。某田嶋評論家が言っている事が毎日TVで流されたら正しいと思ってしまいますよ。白黒はっきり男女平等が好きですからね。{苦笑}個性と責任と自我の抑制は子供だけでなくその親にも求められると思いますし責任があるのかもしれません。余談ですが私中学校の運動会でへそだしの母親見て少し引きましたが、それも個性ですねの発言に黙ってしまいました。
私は今のところ子供はいませんが・・・

投稿: のり | 2005年10月10日 (月) 10時13分

男は男らしく、女は女らしく、自分は自分らしく。

もはや、(検証されない)人為的理念にしたがって、何かを変える必要はないのでしょうか。

それでよいのではないでしょうか。

投稿: ichiro | 2005年10月 9日 (日) 19時39分

spiralさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
間違えられた部分は訂正させていただきました。(笑)

>ジェンダーフリーを唱える団体は、「カタツムリ」をシンボルにしてることが多い

「カタツムリは、雌雄同体。“結婚”すると、両方の個体が土の中に白くて小さな卵を産みます。同じ一匹で雄の気持も雌の気持も良く分かるなんて、ちょっぴりうらやましいような・・・」というやつですね・・・某T県のパンフレットにもありましたね。
ただ私は本文でも述べた通り、絶対的な反対派ではありません。が、しかし「男女共同参画基本法」を始め、その基準になっている国連の「女子差別撤廃条約」には大きな疑問を持っています。悪意なく純粋に差別などをなくそうというのなら良いのですが、「ある種」の思想団体や政治団体の作為的なものを感じるのです。

>教育とは本来強制を伴うものだと私は思います。例えばチャイムが鳴れば教室に戻り自分の席に座る。そして先生が授業を始めたらそれを黙って聞く。全て強制です。チャイムが鳴っても教室へ戻らない、先生の授業もつまらないから聞かない、などというのは許されません。

同感です。「個性」だって良いものもあれば、ろくでもない「個性」だってあるのですから、ただむやみやたらに伸ばせばいいというものではないですからね。授業をまじめに聞かないのも「個性だ」といわれては身も蓋もありません・・・。

>生き物が進化して、雄、雌に別れ、そして今の私たち人間になっているのに、その『進化そのもの』を否定しているのですから、いかにおかしな思想かが分かると思います。

同感です。今の教育において日本の古き良い文化まで否定されているのですから。
これを「私達は差別に敏感なだけだ」とされては、日本人だけでなく世界中の「男女による2分類文化」自体が否定されてしまいます。
そしてこれは人類の歴史の否定につながってしまう危険性を孕んでいます。
人類がなぜ文明を創り上げて来られたのか、何のための教育なのか、本当に教育の現実的且つ抜本的な改革が望まれます・・・。

投稿: 管理人 | 2005年10月 7日 (金) 23時50分

正に田舎の神主さんの言われるとおりだと私も思います。

スポーツでもそうですが、まずは基本の型を覚えることが大事です。基本がしっかりしてないと次の段階へ進めません。私の父は職人ですが、師匠にしっかりと基礎を習ったからこそ、今は独立できています。

そして、教育とは本来強制を伴うものだと私は思います。例えばチャイムが鳴れば教室に戻り自分の席に座る。そして先生が授業を始めたらそれを黙って聞く。全て強制です。チャイムが鳴っても教室へ戻らない、先生の授業もつまらないから聞かない、などというのは許されません。

教育に携わる方は、教育の根本を見つめ直して頂きたいです。

ジェンダーフリーに関しても、田舎の神主さんの言われるとおりです。
ジェンダーフリーを唱える団体は、「カタツムリ」をシンボルにしてることが多いのですが、雌雄同体のカタツムリが理想の姿だというのです。

生き物が進化して、雄、雌に別れ、そして今の私たち人間になっているのに、その『進化そのもの』を否定しているのですから、いかにおかしな思想かが分かると思います。

投稿: spiral | 2005年10月 7日 (金) 17時34分

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先日、テレビ番組で「ジェンダー教育」について喧々諤々と討論をやっていました。 そ [続きを読む]

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