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2005年10月20日 (木)

「靖国神社参拝問題」に見受けられる現状を鑑みる

小泉首相、靖国神社に参拝

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051017-00000022-jij-pol

参拝については賛否両論、様々な意見がありますが私個人の意見としては「参拝すべき」と考えています。

「戦犯合祀」の問題が取り沙汰される中で、私が述べたいことは戦争で亡くなった方々の「死」に対する考え方です。

日本の宗教観というものは世界的にも特殊であります。

長い歴史の中で「神道」という民族信仰を生み、「仏教」という外来宗教と共生させて来ました。 その結果「神仏混淆」という独特な宗教観を作り出したのです。

そして「神仏」の概念に於いて「死者」=「仏様」という方程式が成り立つ訳です。

この国独自の信仰である「神道」というのはヨーロッパなどの民族信仰に見られる「アミニズム」、所謂「精霊信仰」に通ずる部分が多数あります。

例えば「お天道様」は神であり、「大地」は神である。この地球上に在る全てのものに神が宿っており神の力の御陰を持って存在たらしめているものなのです。 その時代ごとに暮らしている人間の「不足」の部分を補おうとするものであるのです。

そして「戦争」でさえも神の力によって引き起こされるわけです。

その時代に生きる人間に不足している「何か」を気付かせたり、「不足」を補い、後に現在のような平和で豊かな国を創る足掛かりを与えてくださったと考えるのです。

そうすると「戦犯」であろうがただの一兵士であろうが、一市井であろうがその時代の流れによって犠牲になった方は全て「仏様」であり、「時代の殉難者」であるとの考えに至るわけです。

この犠牲者の方々にもその時、家族が在った訳ですし、今も生きておられる子孫が存在するのです。 そういった方々にとっては例え「戦犯」であったとしても「御先祖様」にあたる訳です。どんな人だって祖先無しに自分の存在は無いわけですから「御先祖様」は無条件に有難いものと言えます。それが例えどのような人格の持ち主であったとしても・・・です。

確かに戦争はいけないものです。しかし、戦没者というのは文字通りこの国を死ぬ気で守ろうとした結果亡くなった方達であり、決して侵略の為に無駄死にして行った訳ではないと思うのです。私達の祖先はむやみやたらな侵略行為を行ったのではなく、その「時」の流れによって国益や国民を守る為に戦争へと進んで行ってしまった・・・。
私はそう信じています・・・。

「御先祖様の死」を「無駄死にである」と切り捨てることができますか?

この参拝が意味するものは「我々の祖先を不当な侮辱から守る」ということであると考えます。

これを仮に「無駄死にである」と論じるのであれば、死者の行為を否定し、あまつさえ死者の想いを曲解する、不遜の極みであると深い悲しみを感じます。

しかし、残念ながらマスコミが繰り広げる「靖国問題」はこういった部分が欠落している上に、本来ドメスティックな問題である「国内の宗教的な問題」を「外交問題」に多く置き換えて報道されているわけです。

中国を始めとする参拝に対して批判的な国は所謂「大陸系儒教」の国々ですから、たとえその方が亡くなったとしても、その方が生前犯した罪は消えないものと考えるのです。そういったものを鑑みれば日本の「神仏」の概念とは相計ることの出来ない存在である訳です。 然しながら小泉首相の発言は本筋とかけ離れたものであり、参拝の手段についても中途半端でありました。 ですから、これから政府は本筋に沿い、しっかりとした説明をし、理解を求めることにもっと尽力しなければならないと考えます。そして日本人の宗教観を理解させ、そういったものが外交の手段としては相応しいものではないことを認めさせる必要があると考えています。 そして先人が苦労して築きあげて来たこの国を「平和な国家」として守り抜いていく事こそ本道なのではないか、と思います。

だからこそ先達の御苦労を知り、その思いを汲み、御霊を敬い、鎮め、慰める。

「かつて戦争があり、多くの方が亡くなった。そういった先人達の御苦労があって今の豊かで平和な日本がある。だからこそ、そのような惨劇を二度と繰り返してはならない。それこそが戦後、日本が平和国家として誓ってきたことであり、これから先、国際社会に於いて、果たさねばならない役割である。」

私は次代を担う子供達にこの事を語り継いでいきたい、そう決意しています。

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コメント

のりさん、こんにちは。
コメント有難うございます。

>戦前もいろいろ見解ありますが天皇の制度を利用した輩が多かったのも事実です。
>選挙前や国民に負担をさせたときにめくらまし行為にされる場合に{参拝行為}はいかがなものかと思います

本当ですね。先達の御供養を如何様に考えるのか・・・。そういう方々には公人としてどうあるべきなのか、よく考えていただきたいものです。

>思想良心の自由は内心にとどまる限り絶対保証で表面に出ると表現の自由になります。また総理に私人はありません。常に公人です。余り好きではないですが、村山元総理もそういっていましたしそのような気概でないと勤まらないと思います。但し私も日本の考え方をサイパン等でなく靖国神社に行ってもらう環境{外国に理解されて}になり行ってもらいたいと思っています。

ほぼ同感です。参拝は「私的」か「公的」か・・・。先日の違憲判決を下した大阪高裁の一件もそうですが非常に遺憾です。のりさんの仰るとおり参拝できる環境作りが重要だと私も考えています。

投稿: 管理人 | 2005年10月23日 (日) 11時41分

喜八さん、こんにちは。
コメント有難うございます。

>最初のコメントでも書きましたが、私は不勉強ですね・・・(汗)。

とんでもない!私は喜八さんのログで散々、勉強させていただきましたよ。
色々なご意見を頂戴し大変感謝しております。 spiralさんは大変、勉強されている方なのでブログを拝見する度に勉強させていただいております。 多くの方の色々な生の声をお聞きすることが出来てブログを始めて良かったなぁとつくづく実感しております。
これからよろしくお願いします。

投稿: 管理人 | 2005年10月23日 (日) 11時28分

おはようございます
靖国参拝は、基本的には賛成ですがその行為を政治的に使う人がいるから天皇は行かないと思います。
戦前もいろいろ見解ありますが天皇の制度を利用した輩が多かったのも事実です。
現在でも軽井沢などの土地に見られるように一つのブランドもしくは象徴の色彩は今なお健在と思います{堀江さん除いて。。。}
ましてや選挙前や国民に負担をさせたときにめくらまし行為にされる場合に{参拝行為}はいかがなものかと思いますhttp://nishio.main.jp/blog/archives/2005/10/post_240.html#c1327
あと思想良心の自由は内心にとどまる限り絶対保証で表面に出ると表現の自由になります。また総理に私人はありません。常に公人です。余り好きではないですが、村山元総理もそういっていましたしそのような気概でないと勤まらないと思います。但し私も日本の考え方をサイパン等でなく靖国神社に行ってもらう環境{外国に理解されて}になり行ってもらいたいと思っています。少し見当はずれの場合は、ご容赦を。。。

投稿: のり | 2005年10月23日 (日) 09時55分

田舎の神主さん、spiral さん、詳細な解説ありがとうございました。
最初のコメントでも書きましたが、私は不勉強ですね・・・(汗)。

投稿: 喜八 | 2005年10月23日 (日) 08時59分

spiralさん、こんばんは。
私の浅学な知識の助け舟のようなコメント大変感謝いたします。
昭和51年でしたか、最後の参拝は・・・。
完全に記憶違いでした。いい加減なまま終わらなくて良かった・・・。本当に助かりました。
私も両陛下のサイパン慰霊訪問の際には御守を贈らせて頂き、このご旅行の安全祈祷をさせて頂きました。

>最後に、平成17年歌会始で陛下が詠まれた歌を記します。

>戦(いくさ)なき世を歩みきて思い出づかの難(かた)き日を行きし人々

陛下は戦没者慰霊に大変、強いお気持をお持ちのこととお察ししました。 いつの日か陛下の靖国参拝を実現させたいものですね。

投稿: 管理人 | 2005年10月22日 (土) 23時01分

spiralです。
天皇陛下のご参拝について少し調べてみたのですが、昭和51年11月を最後に、御親拝は途絶えています。
はっきりとした理由は、これについての公式発表があるわけでもないので不明です。
しかし、昭和50年の三木首相の私的参拝発言に始まる毎年の参拝騒動、中国・韓国からの抗議、昭和61年の中曽根首相の参拝中止など、日本政府の腰の定まらない外交のお陰で、天皇陛下御親拝の環境を整えることが出来なかったからだと思います。

戦後昭和天皇は8回、今上陛下は皇太子時代に4回参拝しておられます。そして、昭和51年以降も、靖国神社には天皇のお使いである勅使が、毎年春秋の例大祭に派遣されています。もちろん、今秋の例大祭にも勅使を派遣されました。

今年、天皇皇后両陛下のたってのご希望で、サイパンへ慰霊のご訪問をされたことからも分かる通り、戦没者の慰霊のお気持ちは、私たち一般人には計り知れない深く、強いものがあります。
この時のお言葉では「先の大戦によって命を失った全ての人々を追悼し」とお述べになられました。このことは10年前、終戦50年の「慰霊の旅」をされた後に、「この戦いに連なる全ての死者の冥福を祈りたい」と仰ったことと繋がっていると思います。
今回のサイパン語訪問で両陛下は、サイパンに限らず、先の大戦で命を失った全ての人々の冥福をお祈りになられたのだと思います。

さらには、靖国神社の現南部宮司が就任の際に、両陛下から「靖国のお守りをよろしく」というお言葉を賜ったというお話から、陛下の靖国に懸ける思いが表れていると思います。

天皇陛下の御親拝を実現するには、首相の参拝を確たるものとして定着させるのが先決だろうと思います。国民も、この陛下のお気持ちを理解し、中韓の抗議や、左寄りの政治家、識者、マスコミの声などに惑わされずに、靖国参拝を支持する声を挙げないと駄目だと思います。

最後に、平成17年歌会始で陛下が詠まれた歌を記します。

戦(いくさ)なき世を歩みきて思い出づかの難(かた)き日を行きし人々

投稿: spiral | 2005年10月22日 (土) 19時32分

田舎の神主さん、こんにちは。
ご丁寧な解説をいただきまして、ありがとうごいます。
深く考えずに訊いてしてしまいましたが、これは難しい質問でしたね。
大変に失礼いたしました・・・。

投稿: 喜八 | 2005年10月22日 (土) 17時23分

喜八さん、こんにちは。
ご質問の内容ですが、正直、私も皇室の方々の参拝については色々な意見と見解を拝見することがあるので「どれがどう」とはお答えすることが出来ないのです・・・。不勉強で申し訳ありません。
ただ、事実としてあるのは昭和天皇の最後の参拝は昭和53年(1978年)だったと記憶しております。(記憶違いだったらごめんなさい)(正確には51年11月でした。)
ですから、やはり「A級戦犯合祀」と時期が重なるのでそのあたりに理由があるのではと個人的には考えています。
靖国神社は以前は軍隊の管轄のもので、現在も神社本庁には所属していません。
そして尚且つ「戦犯合祀」されているわけですから現在の憲法での天皇の立場上、参拝することが日本の国益を損ないかねないとして「政治的、外交的」な理由でされないのではないでしょうか。
「明治神宮」の祀神は「明治天皇」ですから今上天皇や現在の皇室の祖先です。 所謂「御墓参り」的な要素もあると考えます。本文にも書きましたが祖先、神道で言う所の「祖神」にあたるので、無条件に有難いものであります。皇室は神道を信仰されていますから、祖先を大事にし、亡くなった方は「祖神」という神になるのです。
そういった諸般の「宗教的」倫理観よりも「国益重視の政治的」倫理観で靖国は参拝されない、もしくは出来ない、そして憲法上での保障(思想、信条の自由)もあるので明治神宮は参拝されるのではないかと考えています。
充分な答えではないと思いますがどうかご容赦頂きたいと思います。

投稿: 管理人 | 2005年10月22日 (土) 10時29分

YW(ヤンキーウィスキー)さん、はじめまして、こんにちは。
コメント有難うございます。
御意見、同感です。現在の日本人は多くのものを損得で判断したり、政治思想的な判断で考えられる傾向が強いようですね。
しかし、親が、子供を育てることや将来を心配するのは何か理由があってすることではなく本能的にすることであります。理屈ではない部分で子供を大切にします。
私達の祖先もその気持に変わりは無いと思うのです。
これからもよろしくお願いします。

投稿: 管理人 | 2005年10月22日 (土) 10時05分

こんばんは。

この問題についてはあまり勉強していないのですが・・・。
ひとつ、不思議なことがあります。
昭和天皇は戦後すぐの時期を除いて靖国神社に参拝されていません。
当今(とうぎん、当代の天皇)はかつて一度も参拝されたことがありません。
天皇は日本の神道において最大の祭司であると私は理解しております。
が、その祭司が靖国神社を避けているように思えます。
いっぽう明治神宮には神事を執り行うため、年に何度も赴かれているはずです。
これはどういうことなのでしょうか?
田舎の神主さんはご存知でしょうか?
(難しい問題かと思いますが・・・)

投稿: 喜八 | 2005年10月20日 (木) 20時44分

日本人として、極めて自然にしっくり受け止められる御意見かと思いつつ読みました。靖国参拝の意味の第一は、慰霊にある筈ですが、残された人間の御都合や外交、経済を優先することにより慰霊が「形骸化」されていくような感があります。宗教観の違いは、個々の民族文化全体の個性の中核ともいえます。ゆえに、他の文化圏の考え方や風習、習俗を否定することは多様な文化への理解や尊重の精神を欠いたたいへん非礼な行為かとも感じます。

表層的に現代日本に住んでいる、という位では日本人としての自覚も、自らの文化的深層を考究する姿勢も無いに等しいのですが、そんな日本人が現世的な利得や軽薄な思想を背景に「靖国問題」を語る姿に、同じ日本人として残念至極の思いを抱きます。

自分も小賢しい日本人にならないよう、これからも多くの方々のご意見から学ばせて頂こうと思っています。いいお話をありがとうございました。

投稿: YW(ヤンキーウィスキー) | 2005年10月20日 (木) 19時36分

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