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2005年12月 3日 (土)

公衆道徳というバランス感覚

最近、街を歩いていたり、車で移動をしていると良く思うことがあるのです。

信号機は完全に赤なのにゆっくりと、そして堂々と交差点を通過する歩行者や自転車の方々。主に高校生ぐらいの若者が多いのですが、それと同じくらい多いのが50代から70代くらいの高齢の方。

うーん・・・・・。

モラルというか常識というか、人に対する認識の不足というか・・・・・。

単純に、「自分がされて厭なことは誰だって厭」だと思うのですが・・・・・。

年端のいかない子供達ならともかく、大の大人、いい年したおっちゃんやおばちゃん、子供連れの主婦の方などなど・・・・・。

道路の歩き方、自転車の乗り方、そしてその他諸々の所謂、「公衆道徳」といった感覚が忘れ去られているように感じているのです・・・。

恐らく、こういう歩行者や自転車の方は「だって、交通弱者の保護の法則があるんだから車の方が気をつければいいでしょ」などと思っておられるのでしょう・・・。

先日、私の住む町の小学校で、ある生徒が給食の時間に「いただきます」を言わなかったことを教師が注意し、その生徒が帰宅した後、両親にその旨を伝えたそうです。

すると、両親が学校へ出向き、その注意した教師に向かって「家は一度だって給食費を滞納したことは無い!!払うものをきちんと払っているのだから『いただきます』なんて言わせるのを強要しないでもらいたい!!!」と仰ったのだそうです・・・。

またある日、電車に乗ると車内の床に「ベタッ」と座り込んでいる高校生の3人組がいました。それを発見し、私が「そんな所に座ってると皆さんの邪魔だ!」と一言言うと「チッ」などと舌打ちをし、「なんだぁ」とぶつぶつ文句を言いながらも車内の方々の視線のプレッシャーに負けたのか、次の駅でバツが悪そうに降りていきました。すると隣に立っておられた50~60代くらいの中年の男性が「全く、今時の連中はなっちゃいないな・・・ブツブツ」と小声で仰っていました。

しかしその時、その男性のポケットから携帯の着信音が・・・。そして「マナーモード」にしていない事を悪びれる様子も無く、大きな声で「もしもし?あっ、今?電車。大丈夫、大丈夫。」・・・・・。

半分呆れながらも「車内での通話は皆さんに迷惑ですよ」と注意するとチラッとこちらを見た後は完全無視!!そのまま通話を続けられておられました・・・。少し腹が立ったので「『人のフリ見て我がフリ直せ』と言いますよ」と言ってしまいました。結局最後まで通話を続け、電話を切った後に私に聞こえるか聞こえないかくらいの小声で「最近の若いのは目上に対する礼儀も知らんのか・・・・・」と一言。私は呆れてものも言えませんでした・・・。

そして最近のニュースでは「子供に引ったくりをさせる母親」や「母親に毒物を飲ませ観察する女子高生」や「通りすがりの幼児を殺す大人」など、今までの感覚ではありえなかったであろう犯罪が多発しています。

例えば「BSE問題」や「耐震建築計算書偽造問題」などもそういった、「自分が食べる、住む訳ではないからまぁいいか。」というような利己的な感覚から生じたものと言えるのでしょう。

そして現在の自民党の執行部のように、これまで党に対し大きく貢献されて来られた方々を「処分」と称し力を削ぎ、或いは失脚させる様な政治家の在り方がまかり通り、更にライブドアや楽天、村上ファンドのような法的に正論であっても、人道的に決して褒められない様なものの進め方が横行する世の中で、そういった事件や出来事が起こることは必然なのかもしれません・・・・・。

「法律で守られているんだから我々は保護されて当たり前。悪いのは自分よりも大きな車の方だ」

「金さえ払えばそれでいい」  「若いのはなってない」

「拝金主義」や「勝ち組絶対主義」、そして「行き過ぎた個性の尊重」

それらが「新自由主義」の目指すべき姿であるならば、誰にとっても住みにくい、暮らしにくい時代の到来なのかもしれません・・・・・・・。

誰もが自分が大事で、自分がかわいいのは当たり前。

しかし、それは全ての人が同じことです。

皆が皆、同じように自分が大事で自分がかわいいのです。自分だけではないのです。

だから人間には「思いやり」だとか「尊敬の念」が必要なのだと思うのです。

全ての物事に、全ての人達に「感謝の念」を持って「敬意」を払い、「思いやり」を持って接すること。  

そういう人として当たり前の「公衆道徳という、人と人とが付き合う上で、ルールとも言うべきバランス感覚」が不足してはいけないと思う、今日この頃です・・・・・・・・・。

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コメント

whh-corpさん、こんにちは。
コメント有難うございます。

>バカな大人がホントに増えてきましたね。
自分のことしか考えなかったり、
礼儀の意味を取り違えていたり、
自由権の範囲を勘違いしていたり、
etc...

種々の物事をもっと本質的に捉えるべきなのでしょうね。
表面的な礼儀や利己的な権利の解釈、その裏にある「文脈」を読み取って欲しいものですね。
立派な意見をお持ちですね。
私が17の時とは大違いです・・・。(汗)
今後とも宜しくお願いします。

投稿: 管理人 | 2005年12月16日 (金) 20時02分

こちらこそTBありがとございます!

他人を注意するなら自分が先にちゃんとしろってんですよね。
田園都市線のオヤジも他人を毎日注意するくせに、
自分は車いすスペースに縦横でっかく立っている。
しかもそれのじゃまになるヤツにもどなりつける。
一番マナー悪いのはてめーだよ!
って言われてましたねw

ファミレスやファスト・フード(特に夕方や休日のマック)のガキどもはホントうるさいですよね。
かといって注意すると親に逆ギレされます。
『人の子に手を出すな!』
『今注意しようと思ってたの!』
注意してから言えってんですよねw
物事の順序が違ってますね。

こんな親は子供をファミレスやファスト・フードに連れて行く資格ないですね。
迷惑になるだけです。

まだ17なのにこんなこと言うのもなんですけど、
バカな大人がホントに増えてきましたね。
自分のことしか考えなかったり、
礼儀の意味を取り違えていたり、
自由権の範囲を勘違いしていたり、
etc...

このままいくと、どうしようもない社会になりそうですね。
なんとかなんないのかなー。

投稿: whh-corp | 2005年12月15日 (木) 15時35分

かついちさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
私も外で食事をするとかついちさんが仰られるような光景を目にします。
私自身、家内や子供を連れて食事に行くことが多いので、周りの方々に迷惑をかけないよう必死です・・・。
注意をしたくても出来ない・・・。嘆かわしいですね・・・。
そういうのを目にする度に私は「反面教師」であると思うようにし、「自分はこうはならないようにしよう」と心に留めるようにしています。そのくらいしか出来ないので余計に歯痒いのですが・・・。

投稿: 管理人 | 2005年12月13日 (火) 22時13分

こんばんわ、皆さん。
つい先日の話ですが、レストランで食事をしていたときのこと、母親と子供2人が食事をしていたのですが、子供がぐずりだし、とうとう泣き出してしまいました。でも、その親は止めるどころが平気な顔して食事しているのです。まるで無関心な風情です。あの状態は異常だと思いました。親ならどこか別な場所でなだめたり泣きやませたり叱ったりするものだろう・・・と思いましたが、最近そういう親がとても目立って、いらだって食事する気も失せてしまいます。あと、子供が店の中を走り回ってても全然叱りもしない。私はよっぽど注意しようと思ったのですが、そうこうしているうちにいなくなってしまい、注意できなかったです。
私もそうですが、注意したくてもなかなか注意する勇気がなくて・・・ていう人も多いだろうと思いますが、皆さんはいかがでしょうか?勇気を持って注意したら逆に自分が悪者のように見られる社会ってやっぱり変ですよね。

投稿: かついち | 2005年12月11日 (日) 21時05分

いちろうさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
同感です。
「世間」、「公共」という概念が破壊されてきている現状を政府が助長するような動きをしていますよね・・・。
そういった法律や法案はしっかりとした熟慮の上で審議して頂きたいものです・・・。

投稿: 管理人 | 2005年12月10日 (土) 21時49分

公共性の破壊に関する問題は、後期近代における最大の問題と考えています。個人化が究極まで進めば、「世間」、「公共」という言葉が死語になるかもしれません。

投稿: いちろう | 2005年12月10日 (土) 19時13分

mergeさん、こんばんは。
コメント有難うございます。

>真面目に思いやりを持って生きることを鼻で笑うような風潮には耐えられません。そんな大人が多いから子供もそんなふうになってしまう。
>たとえそんな人がまわりにいたとしても、あきらめてはいけませんね。

きっとそうなんだろうと痛感しています。
私も子供達にとって「正しい見本」でありたいと常日頃、精進しております。
どんなに人の心を蔑ろにするような方が増えてきたとしても、私は人の気持ちを汲み取れるよう、努力を続けたいと思います。
先日のmergeさんのブログの松陰先生の記事で私も勇気を頂きました。
こちらこそ有難うございました。
今後とも宜しくお願いします。

投稿: 管理人 | 2005年12月 7日 (水) 23時55分

>「自分がされて厭なことは誰だって厭」

大切なのことは、これなんですよね。人の気持ちをくみとることをしないのなら、生まれてきた意味がないです。

公衆道徳であれ何であれ、守るということは尊いことだと思います。真面目に思いやりを持って生きることを鼻で笑うような風潮には耐えられません。そんな大人が多いから子供もそんなふうになってしまう。

たとえそんな人がまわりにいたとしても、あきらめてはいけませんね。

勇気をもらいました。ありがとうございます。

投稿: Merge | 2005年12月 7日 (水) 19時33分

spiralさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
TB出来なかったそうで申し訳ありません。
niftyの方に早速問い合わせてみます。
御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
御陰様でコメントやTBをたくさん頂ける様になってきました。
仕事の合間に更新していますので中々記事がアップできないにも拘らず、spiralさんを始め、コメントを下さる皆さんには本当に感謝に堪えません。

>日本人は今こそ父祖の英知(歴史)に学び、荒廃した心の復興を果たさないといけませんね。そして、次世代に胸を張って譲り渡せる日本国にしたいですね。

心からそう思います。
これからもお互い頑張りましょう!

投稿: 管理人 | 2005年12月 7日 (水) 01時37分

こんばんは、spiralです。
実は昨日から何度も田舎の神主さんのブログへTBを試みているのですが、どうしても出来ません。
ですから、申し訳ないのですが、コメント欄にアドレスを貼らせてもらいます。
http://hepoko.blog23.fc2.com/blog-entry-76.html

本文と関係の無い話で申し訳ないのですが、田舎の神主さんのブログもコメント等が増えて盛況になってきましたね!
田舎の神主さんのような、日本の伝統・文化や父祖の思いを大事にする保守の方のブログが盛況になるのはすごく嬉しいです。
日本人は今こそ父祖の英知(歴史)に学び、荒廃した心の復興を果たさないといけませんね。そして、次世代に胸を張って譲り渡せる日本国にしたいですね。

投稿: spiral | 2005年12月 7日 (水) 01時09分

milestaさん、こんにちは。
コメント有難うございます。
私も同じように感じているのです。
人と人との「ふれあい」が無く、とても殺伐とした世の中になってしまったものだ・・・と感じています。
「個人情報保護法」が施行された時にいつも行っている郵便局でいつも顔を合わせる局員さんに「申し訳ありませんが、身分証明できる何か見せてもらっていいですか」?と言われた時に、(世の中これでいいのかなぁ・・・)と感じました。
こういう現状からも窺い知れる様な気がします・・・。
人と人とがコミュニケーションを失えば、自然と「公衆道徳」について考えなくなると思うのです・・・。
milestaさんのような方がコメントされる事で拙ブログにも説得力がつきます。
有難うございます。

投稿: 管理人 | 2005年12月 6日 (火) 13時08分

これは私の個人的経験と感覚で、データ等に基づいたものではありませんが、「公衆道徳」の感覚は昔に比べて薄れていると感じます。

駅などの人混みを歩く時に、すれ違う者同士、昔ならお互いに肩を引いたのに、真っ直ぐ直進して来る人が多い。そしてぶつかって、肩を引いた方が「ごめんなさい。」と言っても、相手は無言。

運転試験場で見た光景。窓口の人が丁寧に説明して「次は○番に行ってね。」と言っても、「ありがとうございます。」どころか「はい。」も「わかりました。」も言わないで立ち去る。酷い人はヘッドホンをしたまま説明を聞いている。

学校の父母会で校長先生が「何か質問は?」とおっしゃった途端
「っていうかぁ~・・・」
と話し始めた母親がいたのには心底驚いた。私の同級生のお母さんに、そんな人はいなかった。

他人の家の冷蔵庫を勝手に開ける子供も、私が子供の頃にはいなかった。

それに犯罪。
もう20年以上前「金属バット事件」というのがあり、人々はショックを受け大変な話題となりました。子供が親を殺してしまったからです。でも最近は親が子を、子が親を殺してしまっても「またか。」と思うようになってしまいました。あまりに多すぎて、麻痺しているのです。子供が犠牲者となった無差別殺人についても同様です。

やはり、私には何かがおかしくなっていると感じられてなりません。

それから給食に関連して、一年ほど前「経済的理由もないのに給食費を滞納する親が増えている」というニュース(↓)が話題になりました。これも、モラルの欠如というか、自分たちが公民であるという意識が全くないとしか考えられません。

http://rd.search.goo.ne.jp/click?DEST=http://www.sipeb.aoyama.ac.jp/~kse-home/topics/jikohasan-sagi/jikohasan-sagi/Kyuushokuhi.htm&no=8

http://rd.search.goo.ne.jp/click?DEST=http://www.aivy.co.jp/BLOG_TEST/nagasawa/archives/2004/12/post_786.html&no=4

投稿: milesta | 2005年12月 5日 (月) 21時23分

空知さん、初めまして、こんにちは。
コメント有難うございます。

>このサイトを参照してもらえば「公衆道徳のあった昔」の方がいかにその種の犯罪が多発してるのかがわかると思います。

とのご指摘ですが「昔の方が多発していた」とは私は思えません。ご紹介のURLも以前から存じておりまして、改めて拝見して参りました。やはり戦後、高度成長期から少年犯罪や凶悪犯罪が増加し、その後、警察などの努力によって減少してきたのだと感心致しました。然しながら、その高度成長によって齎されて来た現代の教育の在り方や家庭内の秩序の変遷などによって人と人との関係、家族や近隣の方々との交流、所謂、地域コミュニティーが失われ、「隣は誰が住む人ぞ」というような状況に陥り、人との付き合いが益々希薄になり、お互いがお互いを信用できなくなり、そして連日、テレビやマスコミなどを賑わす事件が多発していると、私は思うのです。後、私個人の経験から言っても20年、30年前にこのような事件が1年の間にこれほどの件数が報道されたり、私の周りでそのような事件に巻き込まれたり、そういう心配を四六時中されていた方がいらっしゃった記憶が無いのです。しかし今ではそういうことに「子供が巻き込まれた」とか「近所で起こった」というようなお話を聞く回数が数段増して来ています。
それと先日、某地域宗教連盟の会合で役所の方が「この地域の住民の方の要望の上位は過去、『福祉』や『税制』のことだったのですが現在は『治安』であります。特に少年犯罪、非行といった意見が多数寄せられております。そこで地域に根付く宗教活動をされている皆さんに子供達やその親御さん達の『倫理観や道徳観』といった『心』をケアというような問題において期待したい」とのお言葉を頂戴致しました。
私自身の実証であり、なんらソースはありませんが・・・。不勉強で申し訳ありません。

>「いただきます」をしなかった事を注意したくらいで、
両親そろって抗議にきますか?(「それ位過保護で異常な親が増えてるんだ。」と言われれば、それまでですが、、)教師の「注意」の仕方にも問題があったと考えるのが自然ではないでしょうか。

これについては過保護で異常な親が増えているとは思いませんが、エントリでも書きました通り、「感謝の念」や「尊敬の念」が不足しているからと考えます。「いただきます」という言葉には上で私がコメントさせて頂いた通り、

>食べることができる有難さ、即ち、多くの方々の手によって、野菜なり、肉なり、魚なりがあって、それを調理してくださる方々がいて、そして何より自分が食べることができるだけの健康を備えていられる事への感謝・・・。
何一つが欠けても食事をいただくことはできません。
そういった全ての状況に感謝していれば、自然と出てくる言葉。

であると考えています。
私が子供の頃は学校で先生に注意されたことを親に話せば「そんなことをすれば先生が注意するのは当たり前だ!」と逆に怒られたものです。そしてそこには親と教師の間に信頼関係があったのだと思います。だからこそ、子供は親や教師に対して「尊敬の念」を抱き親も教師に対し「敬意」を払っていたのではないかと思います。
ですからご両親も教師の注意の仕方がどうであれ、「いただきますなんて言わせるのを強要しないでもらいたい」という発言は適切ではないと思うのです。
仮に「教師の注意が不適切な仕方であったのであればそれを注意すればよいのでは?」と思います。
最後に

>個人的には今ほど家庭がしっかりしていて躾に気を使ってる時代はないと思います。

というご指摘についてですが、本当に家庭がしっかりとしているのでしょうか?少子高齢化の対策を政府に要求し、自分たちを産み育ててくれた両親が年寄りになれば施設に預け、面倒を見ない人々が増え、離婚率や婚外子やシングルマザー、ファザーが増加する現状を見て私はそうは思えません・・・。
元来、「躾」というものはその日々の生活環境や祖父母や親の在り方によって身に付けていくものであって「気を使って」するものではないと私は考えています。
「子は親を映す鏡」だと考えておりますので私も子供達に恥じない父親であろうと日々、精進しております。

貴重な御意見有難うございました。
もっと勉強させていただきます。
こちらこそ長文、乱筆にて失礼致しました。
今後とも宜しくお願い致します。

投稿: 管理人 | 2005年12月 5日 (月) 15時27分

初めて書き込みさせていただきます。
今の時代が特に公衆道徳に欠けているとは思えません。「電車内のマナーが悪い」とかの類の投書は昔の新聞などにも散見されますし、いつ時代にもある愚痴以上のものはないと思います。個人的には今ほど家庭がしっかりしていて躾に気を使ってる時代はないと思います。
それから
>「子供に引ったくりをさせる母親」や「母親に毒物を飲ませ観察する女子高生」や「通りすがりの幼児を殺す大人」など、今までの感覚ではありえなかったであろう犯罪が多発しています。
との事ですが、
http://kangaeru.s59.xrea.com/index.htm
このサイトを参照してもらえば「公衆道徳のあった昔」の方がいかにその種の犯罪が多発してるのかがわかると思います。

後、
「いただきます」をしなかった事を注意したくらいで、
両親そろって抗議にきますか?(「それ位過保護で異常な親が増えてるんだ。」と言われれば、それまでですが、、)教師の「注意」の仕方にも問題があったと考えるのが自然ではないでしょうか。

長文乱筆失礼しました。

投稿: 空知 | 2005年12月 4日 (日) 22時59分

おぅんごぉるさん、初めまして、こんばんは。
コメント、TB有難うございます。
ブログ、拝見させて頂きました。
記事の内容、素晴らしく大変勉強になりました。

>なにかを履き違えているオトナがそこここに目に付く時代ですね。情けないことです。

同感です。本質、本筋を理解していない大人が多すぎるように思います・・・。嘆かわしいことですね。
今後とも宜しくお願いします。

投稿: 管理人 | 2005年12月 4日 (日) 20時29分

かついちさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
私も「命の授業」の番組を拝見しました。
素晴らしいことであると感じた反面、私は現代人に共通する、ある一つの不思議な現象を感じました。
それは、「人間というのは同じ人間同士よりも自分たちよりも明らかな弱者、特に家畜やペットに対して恐ろしいほどのヒューマニズムを発揮する生き物である」という事です。
仮に、戦争に於いて戦闘機や戦車などを動物たちでも操縦できるように改造できるとしたならば戦争はなくなるんじゃないだろうか・・・、と思っています。・・・絵空事ですが。
生命の大切さをそのようなことを通してしか感じ取れない現代の教育というのは果たして正しいのだろうか・・・、とも思っています。
そういった教育が当たり前のように繰り返されている中で、この授業をされた先生の勇気にかついちさん同様、私も賛辞を送りたいです。

投稿: 管理人 | 2005年12月 4日 (日) 20時19分

milestaさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
また、素晴らしいお話のご紹介有難うございました。
人を思いやるというのは以前、拙ブログにて取り上げましたとおり(http://kojiraul.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_53e2.html#comments参照)
人が人として生きていく中でごく自然に発露する感情であると思うのですが、そういった「感謝」や「思いやり」の心が失われて久しいですね・・・。

投稿: 管理人 | 2005年12月 4日 (日) 20時06分

はじめまして。記事を読んで思わず書き込みしたくなりました。
なにかを履き違えているオトナがそこここに目に付く時代ですね。情けないことです。 TBさせて戴きます。

投稿: おぅんごぉる | 2005年12月 4日 (日) 00時12分

milestaさん、今日初めて書き込みさせていただきました。
新しいスレッドの立て方が分からず四苦八苦しましたが、新しいスレッドを立てて発言させていただいております。
けっこう言いたい放題書いているかもしれませんが、それが私の思う教科書問題です。

神主さん、すみません。まったく別のことで場所をお借りしました。

投稿: かついち | 2005年12月 3日 (土) 23時08分

しつけ=躾。身なりを美しく、と書いてしつけという。自我を律し潔くし、思いやりや感謝の心をつくす。人と人のつながりを今の日本人は忘れてしまったんですよね。以前フジテレビで「命の授業」という特集番組が大反響を呼んだことがありました。学校で3年生のあるクラスの担任が「命の尊さ」を子供達に教えるために一匹の子豚を育てる、ということでした。最初は先生も一匹の子豚が成長して精肉工場に連れて行かれ、豚肉として食卓にあがるまでの流れを教えるつもりだったそうですが、いつしか命とは何か、というテーマに子供達が真剣に悩み、苦しみながらも、自分たちなりに答えを見つけるところまでをやっていました。
この番組には賛否両論の声が寄せられたとのことですが、当の子供達は現在25歳になり、その時の授業を「とてもよかった、自分たちの子供達にも教えてあげたい」と言っています。
食べ物への感謝は何も人間だけでなく、食用となる動物に対する感謝もあってしかるべきです。そういう意味で「命の授業」をなさった先生の勇気に絶賛の声を送らずにはいられません。
私ごとですが、私の家では、特に食事の時の姿勢についてかなり注意されました。食べるときは常に正座、ご飯粒は一粒残さず食べる、食べ残したら翌日の食事は抜き、ていう具合にとても厳しかったのを今はとても懐かしく思います。

投稿: かついち | 2005年12月 3日 (土) 22時00分

『正論』のブログにちょっとしたいいお話が載っていました。
お互いに「思いやる」ことは、なんて美しいことなんでしょう。
http://seiron.air-nifty.com/seiron/2005/12/post_879f.html

でも、これを読むと「昔の日本はこうだったのに!」と、怒りを新たにするかもしれません。

田舎の神主さん
電脳教科書補完録ニュースにTBありがとうございました。

かついちさん
同じくフォーラムにコメントありがとうございました。全く同感です。
かついちさんのお名前をトップページに残しておきたい(他の方にも読んで頂くため)ので、あちらへのコメントは控えておきます。
(神主さん、またまた場所をお借りしてすみません。)

投稿: milesta | 2005年12月 3日 (土) 21時42分

かついちさん、こんにちは。
コメント有難うございます。
とてもいいお父様でらしたんでしょうね。
お話の中にその人柄が感じられます。
今、小学生のお子さんをお持ちの方々の殆どは戦後教育の影響を多聞に受けておられるからでしょう・・・。
団塊世代の教師の教育がある意味、実を結びつつあるのかもしれません・・・。
食べることができる有難さ、即ち、多くの方々の手によって、野菜なり、肉なり、魚なりがあって、それを調理してくださる方々がいて、そして何より自分が食べることができるだけの健康を備えていられる事への感謝・・・。
何一つが欠けても食事をいただくことはできません。
そういった全ての状況に感謝していれば、自然と出てくる言葉。
それが「いただきます」という言葉であると私は思うのです・・・。

投稿: 管理人 | 2005年12月 3日 (土) 17時22分

喜八さん、こんにちは。
コメント有難うございます。
私も驚きました。物凄い事を平然と仰って全然平気な顔をして帰って行ったそうです・・・。
先日、レストランで従業員に対して物凄い横柄に接しておられる方がいらっしゃいました。その方も同じように「何だその態度は!そんなんじゃ金は払えねぇぞ!!」と一喝されてらっしゃいました・・・。公共の場で、いくら相手が営利目的の商売であっても「金さえ払えば何でも許される」と思っている方も少なくないのでしょうね・・・。
喜八さんの仰られるとおりどこかが「壊れている」方々が増えているのでしょうね・・・。

投稿: 管理人 | 2005年12月 3日 (土) 17時11分

田舎の神主さん、こんにちわ。
「給食費」払っているからって「いただきます」を強制するなってあきれてしまいますね。給食費と「いただきます」という感謝の心は全然関係ありませんけど・・・。
私も、昔父親によく「ご飯粒一粒でも残さず食べなさい」とよく注意されたものです。おまけに叩かれましたが(笑)ご飯が食べられるのは農家の皆さんが一生懸命汗水流して作ってくれたおかげですよ、ということを言いたかったのだと気づいたのは、父が亡くなって少し経って、ふとそのことを思い出した時でした。。。そういうことを今の親御さんはほとんど言わなくなったんですかね・・・。自分たちの父母からさんざん聞かされたはずなのに、言えなくなってしまったんでしょうか。
話は全然違いますが、やはり今の親も子供も、個性を尊重するあまり、他人を思いやる心を持つことが悪いことのように思っているのでしょうね。周りがそういうことをしないから自分もしない。それじゃ本当はいけないんですよね。

投稿: かついち | 2005年12月 3日 (土) 15時51分

田舎の神主さん、こんにちは。

> 「家は一度だって給食費を滞納したことは無い!!払うものをきちんと払っているのだから『いただきます』なんて言わせるのを強要しないでもらいたい!!!」

凄まじいセリフですね。(^_^;)
これくらい手前勝手な台詞を一度でいいから口にしてみたいものです。
というのはもちろん「皮肉」ですが(笑)。

こういう人はどこかが「壊れている」ように思います・・・。

投稿: 喜八 | 2005年12月 3日 (土) 14時23分

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» 肝入ノ訓話 [晴耕雨読]
 肝入ハ、當時、特ニ村民ヲ集メテ五倫五常ノ道ヲ説キ聞カスベクナリ居リシガ如クナレドモ、其ノ方法ハ、本村等ニアリテハ、余リヨク行ハレ居ラザリシガ如シ。然レドモ、毎年二回位ハ、村民ヲ自宅又ハ最寄リニ集メテ訓戒ヲ施シタルカノ形跡アリ。當時ハ、肝入ノ権力、実ニ素晴ラシキモノニテ、到底今日ノ村長ノ及ブ所ニアラズ。故ニ一度召集ヲ発スレバ、大半集合シ来リシハ、美風ト云フベシ。  サレバ、其ノ肝入ノ人格如何ニヨリ、講義ノ巧拙ニヨリテハ、其ノ効果モ又從ッテ大ナルモノアリシナリ。當時、講釋ノ一例ヲ示スタメ、或ル肝入ノ手... [続きを読む]

受信: 2006年2月 2日 (木) 19時51分

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