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2006年3月29日 (水)

伊勢参拝  ~その1~

昨年の暮れから、未だ落ち着きを取り戻せない状況であります・・・。

テレビのニュースを見ながら様々な事を感じ、ブログを更新したいなぁと日々、思っていますが御陰様で大変多忙に過ごさせて頂いておりまして、中々、記事をまとめる暇を造ることが出来ませんでした・・・。

「これを書こう。」と思っていながらも、時期を逃してしまう事も続き、皆様のブログやホームページなどを拝見しながら僅かずつながら勉強しておりました。

時間が出来たのも束の間で、明日からは伊勢神宮の方へお詣りに行きます。

これはうちの神社で毎年行っているもので、今年で60回目になります。

私もそのうち、20回くらいは参加させて頂いております。

総代の方々と氏子の方々、関係の神職の方々と共に毎年欠かさず執行されてきました。

最近では以前に比べ参加される方が少なくなってきましたが、それでも続けて行っております。そしてこれからも続けて行こうと思います。

昔は伊勢参拝というと「御陰参り」や「抜け参り」といって、それこそものすごい人数が参拝されていたこともありました。

明日から神宮だけではなく、他のお宮や神社も参拝する予定で居ります。

また帰ってきたら更新しようと思います。

それでは明日は、早いので一足先に休ませて頂きます。

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2006年3月22日 (水)

不登校

先日、私の住んでいる地区の宗教連盟からご依頼を頂戴しまして、小中学校の不登校児とその家族を対象にした懇話会で講演をさせていただきました。

講演後、何組かの親子とお話をさせて戴く機会を頂戴しました。

そこでの遣り取りでかなり驚くものでありましたのでここで御紹介させていただきます。

小学校4年生の男の子の話です。

国語の授業で自分の父親について作文を書くという課題があり、順番に教壇の前で読み上げることがあったのだそうです。

彼は「僕の父は航空自衛隊のパイロットで、僕も将来は父の様なパイロットになりたいです」という内容の作文を発表したそうです。

周囲からは「かっこいい!!」とか「すげー!!」などという彼を羨むような声が上がったそうです。

ところが、担任の教師(40代、女性)は彼が作文を読み終わるやいなや、思い切りのビンタで彼を張り倒し、「そこで正座しなさい!!」と教壇の上に彼を座らせたそうです。

それから授業を中断しその女教師は生徒に向かって演説を始めたそうです。

少年から聞いたところに依ると彼女の話は

・自衛隊は人殺しの集団である。

・そこに所属する少年の父親は悪である=少年も悪である

・現代に生きる我々は祖先の過ちをアジア諸国に謝罪しなければならない、????・・・などなど・・・

少年は当然、泣いていたそうです。すると「うるさい!!静かにしなさい!!」と言って又ビンタをしたそうです。そして授業中、ずっと彼女は演説を続け時間を繰り越してまで続けたそうです。

しかし、事態はそれだけでは済まなかったのだそうです。

学年で彼のクラスだけに毎週金曜日の放課後に「クラス反省会」という、順番にクラスメイトの欠点を互いに批判し合うというHRが在ったのだそうです。(どこかの組織の『総括』というものみたいですね) そしてその週のその『会』でその担任教師によって再び少年は槍玉に挙げられたのだそうです・・・。

そこで女教師は「○○君を善人に生まれ変わらせてあげましょう」と言ってクラスメイトに批判をさせたのだそうです・・・。

それからというもの何かことある事に彼を槍玉に挙げ、その都度「まだ○○君は人殺しのお父さんの悪影響を受けている」などとクラスメイトの前でしかりつけたのだそうです・・・。

結局、少年は登校拒否になってしまい、そのことをご両親が学校側に掛け合ったところその女教師は「減給処分」を受けたそうですが、それ以外には何もお咎めがなかったそうです・・・。

その後、少年は転校し、現在に至るそうですがその時のことがトラウマになってしまい転校先でも学校に馴染めず、不登校のままでいます・・・・・。

しかもその教師はその少年が転校した後に生徒達に向かって反省するどころか「悪人が居なくなって清々した。これでクラスに平穏が戻る」と言ってのけたそうです。

偏向教育のみ為らず、子供達にトラウマを残す様な行為をしている愚かな大人達が今日も教壇に立ち、子供達に「教育」の名を借りてまた、さらに子供達を汚す行為に及んでいるのかも知れない・・・。そう思うと居ても起っても居られない気持ちになってくるのは私だけではないと思います・・・。

その他の不登校の児童達にはもう少し、親が厳しくしても良いのでは・・・?と思うような方々もいらっしゃいましたが、「中にはこういう例も本当にあるのだ・・・」と今の教育現場に於ける問題を真剣に考え、行動できることは行動しなければならない、と心を新たにしました。

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2006年3月 7日 (火)

善心で前進

書きたいことは山程在るのですが、記事にまとめる程、時間がとれません・・・。

反省をしつつ、またまたうちの会報の原稿をそのまま転載させていただきます。

 善心で前進

人は誰しも良く成りたいと心に思うのが本能でありましょう。

ところが、良く成りたいと思って居ながらも結果を見るとその反対に行ってしまった例は沢山あるものです。

人の性は善なり、そうであるはずなのに人間は常に善心と悪心を持っており、それが縺れ合って迷っているように思います。

故に「正義」のつもりが「不正義」であったという反則も出て参ります。

不行跡である父の行為を責めた子供が、遂に父を殺してしまった例など・・・。

世間では一つや二つではありませんがこれ等も随分と難しい問題で、一遍の法理論で結論は出たとしても、それは単なる理屈であるに止まり、決して人間社会の問題としては何等の解決の糸口さえついてはいないのです。

斯くの如き例しは数々の悲劇を起こしています。

この尊い生命ということに何等関心を持っていないのか・・・。異常心理によるものか・・・。

一口に言って感謝、報恩の心が培養されて居らず、勿論、祖先の祀り事など敬神崇祖の心などへの理解などなく、裏面や悪のみが自分の世界で在るかの如き錯覚、つまり偏向心なのです。

人間万事、家庭を愛し、社会を明るく、楽しく、面白や可笑しく、そして良く稼ぐ。この働きが身を護る基になるのです。

自分では「固意(かたい)」と云いふらしても他人から見れば、或いは「狡(ずる)い」とも思われようし、云われもしましょう・・・。

融通性なきを「かたぶつ」と謂うのものです。馬鹿ではないのですが「智」の廻りが鈍いとか云うこともあり、「愚かなり」との部類に数えられる事もありましょう。 しかし、反ってそれに依って得をする例しもあり、事と次第で考慮しなければなりません。

時と場合で解釈も異なり、価値、効力に差が出来ることも多くあり、時機を失すれば無力となり、それにまして邪魔になる、他人から嫌われているうちは信用はないものです。

学問をしたなら、それだけ有為な活用をする責任が在ることと知(さと)る事です。

然る処、『「智者」を尊敬せよ』などと強要する方もいらっしゃいますが、これなどは悪い心掛けであり、愚かな人に過ぎないのです。

学問を修め、知識を得たから偉いのではありません。他(はた)の人が勤労の汗を流して働いてくれた御陰で遊学も勉強も出来たのです。

「俺は苦学したんだ」と威張るのはまだ早い。もっと視野を広くして、此の世に融け入る道を見つけるべきではないでしょうか・・・。

末路は・・・我苦者(がくしゃ)に為らぬように・・・・・。

学も識も象牙の塔にしまう為のものではないのです。

此の世の中の進化の為、人類の福祉の為に、各自の蘊蓄(うんちく)を傾け、尽くす材料以外の何物でもないのです。

無用の長物にしたり、鼻にかけるから蓄膿症になるのです。

難しいことでも学べば易しくなるものです。

易しく話せぬようでは半人足であり、これを「死学(しがく)」というのです。

体験を積み、平易に、打ち解けて寛(くつろ)ぐところに交際は広まり、世渡りは睦まじく平和でありましょう。

親しみを以て接するならば、所謂「渡る世間に鬼はなし」です。罰も、報いも、罪もなく、心は晴れて曇りなく、遂に悪心は追放されることでありましょう。

全てに「善心」で接する人は、大きく「前進」出来ることでありましょう。

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