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2006年3月 7日 (火)

善心で前進

書きたいことは山程在るのですが、記事にまとめる程、時間がとれません・・・。

反省をしつつ、またまたうちの会報の原稿をそのまま転載させていただきます。

 善心で前進

人は誰しも良く成りたいと心に思うのが本能でありましょう。

ところが、良く成りたいと思って居ながらも結果を見るとその反対に行ってしまった例は沢山あるものです。

人の性は善なり、そうであるはずなのに人間は常に善心と悪心を持っており、それが縺れ合って迷っているように思います。

故に「正義」のつもりが「不正義」であったという反則も出て参ります。

不行跡である父の行為を責めた子供が、遂に父を殺してしまった例など・・・。

世間では一つや二つではありませんがこれ等も随分と難しい問題で、一遍の法理論で結論は出たとしても、それは単なる理屈であるに止まり、決して人間社会の問題としては何等の解決の糸口さえついてはいないのです。

斯くの如き例しは数々の悲劇を起こしています。

この尊い生命ということに何等関心を持っていないのか・・・。異常心理によるものか・・・。

一口に言って感謝、報恩の心が培養されて居らず、勿論、祖先の祀り事など敬神崇祖の心などへの理解などなく、裏面や悪のみが自分の世界で在るかの如き錯覚、つまり偏向心なのです。

人間万事、家庭を愛し、社会を明るく、楽しく、面白や可笑しく、そして良く稼ぐ。この働きが身を護る基になるのです。

自分では「固意(かたい)」と云いふらしても他人から見れば、或いは「狡(ずる)い」とも思われようし、云われもしましょう・・・。

融通性なきを「かたぶつ」と謂うのものです。馬鹿ではないのですが「智」の廻りが鈍いとか云うこともあり、「愚かなり」との部類に数えられる事もありましょう。 しかし、反ってそれに依って得をする例しもあり、事と次第で考慮しなければなりません。

時と場合で解釈も異なり、価値、効力に差が出来ることも多くあり、時機を失すれば無力となり、それにまして邪魔になる、他人から嫌われているうちは信用はないものです。

学問をしたなら、それだけ有為な活用をする責任が在ることと知(さと)る事です。

然る処、『「智者」を尊敬せよ』などと強要する方もいらっしゃいますが、これなどは悪い心掛けであり、愚かな人に過ぎないのです。

学問を修め、知識を得たから偉いのではありません。他(はた)の人が勤労の汗を流して働いてくれた御陰で遊学も勉強も出来たのです。

「俺は苦学したんだ」と威張るのはまだ早い。もっと視野を広くして、此の世に融け入る道を見つけるべきではないでしょうか・・・。

末路は・・・我苦者(がくしゃ)に為らぬように・・・・・。

学も識も象牙の塔にしまう為のものではないのです。

此の世の中の進化の為、人類の福祉の為に、各自の蘊蓄(うんちく)を傾け、尽くす材料以外の何物でもないのです。

無用の長物にしたり、鼻にかけるから蓄膿症になるのです。

難しいことでも学べば易しくなるものです。

易しく話せぬようでは半人足であり、これを「死学(しがく)」というのです。

体験を積み、平易に、打ち解けて寛(くつろ)ぐところに交際は広まり、世渡りは睦まじく平和でありましょう。

親しみを以て接するならば、所謂「渡る世間に鬼はなし」です。罰も、報いも、罪もなく、心は晴れて曇りなく、遂に悪心は追放されることでありましょう。

全てに「善心」で接する人は、大きく「前進」出来ることでありましょう。

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コメント

ichiroさん、こんばんは。
コメント有難う御座います。
そんな風に感じていただけてとても光栄です。
私自身、未熟者で祖父や父の教えを実践出来ていない歯痒さを感じる時が多々あります。
ただそんな時、父と話をしたり、祖父が残してくれたノート(日記のようなものですが)を読み返してみます。
ichiroさんと同じように心の平安が得られ、真っ直ぐに現実を直視して、様々な事柄に取り組もうと心を新たに出来ます。
私のブログに書いてある記事や当神社の会報などに書くものも、その殆どが祖父や父の受け売りです。
非常に近くの存在ではありますがそういった「先人の教え」というものは、人が人として生きていく為に必要な事象を示唆しているように思います。
私ももっと勉強を重ね、祖父や父のように素晴らしい教えに成りうるようなものを作れたら嬉しいですね。
ichiroさんのブログなどでもっと勉強させて頂きたいと思います。

投稿: 管理人 | 2006年3月22日 (水) 19時37分

久しぶりに学兄のブログを拝読しました。仕事上、喧々諤々の議論をしていると、心の平安、平常心を失い、何か大切なものをわすれているような貴がします。本来的自己の使命を忘れて、どうでもよい事柄に心を奪われがちです。学兄のブログを見ると、そのことに気づかされることが多いです。ご健勝を祈っています。

投稿: ichiro | 2006年3月21日 (火) 20時39分

喜八さん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
お褒めいただきまして大変恐縮です。
それといつも良書をご紹介下さって有難う御座います。
小室直樹さんですか。
正直、存じておりません。
早速参考に致します。
近々、時間を作って読んでみたいと思います。
勉強させて頂きます。

投稿: 管理人 | 2006年3月14日 (火) 17時15分

のりさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
申し訳ありませんでした。
懲りずに試してみて下さいね。
お待ちしています。

投稿: 管理人 | 2006年3月14日 (火) 17時08分

ichiroさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
レスが遅れまして大変失礼致しました。
ichiroさんのお言葉を聞いて、私も子供の時分や学生時代によく祖父や父に言われた事を思い出しました。
祖父はもう居りませんが、父が代わりにこう申しておりました。
「10代には10代、20代には20代、その年相応の視野と考え方があるものだ。背伸びをさせる必要はない。親が子供がこの先苦労するであろう事を知っていたとしても、子供からしてみれば親の苦労は解らない。ただ、周囲の者達が解っている苦労をさせたくないという気持ちを伝えること、それが在れば自分がいずれその年になったときや、その立場になったときに理解を深めるものだ。おまえのお祖父さんも俺を大学まで出させてくれた。お祖父さんは自分で苦学して大学まで出た。それを始終話していた。俺がおまえにそれを伝えるのがお祖父さんに対する務めだ。」
そういう「生命の縦の繋がりや、周囲にいくつもの整えられた環境があって初めて、今現在の自分がある」ということに恵まれた環境にいる若者達が気付くためにも、ichiroさんが学生さんに仰ったことを私は今後も言い続けていこうと思います。
よいお話を有難う御座いました。

投稿: 管理人 | 2006年3月14日 (火) 17時06分

milestaさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
レスが遅れまして大変失礼致しました。
私も日々、自分自身が今日一日、誠実であったか、心は健全であったか。と、問いかけるようにしています。
気を付けることがとても大切なのではないかと思います。
それと共に人の意見によく耳を傾けることに依って、己の心がなお一層磨き上げられていくものだと思います。
これからも精進したいと思います。

投稿: 管理人 | 2006年3月14日 (火) 16時47分

spiralさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
レスが遅れまして大変失礼致しました。
お褒めの言葉と御心配を頂きまして大変恐縮です。
今年から色々な勉強会や懇話会などの幹事や理事を引き受けてしまいまして中々、多忙に過ごさせて頂いております。
私なりにマイペースを守って更新はしていきたいと思っておりますので今後とも宜しくお願い致します。
spiralさんのブログも時間を作って見に行くようにはしていますが、コメントする余裕がなく申し訳ありません。

投稿: 管理人 | 2006年3月14日 (火) 16時40分

こんばんは。
「善心で前進」
素晴らしい響きの言葉です。
雲ひとつない青空の下で前進! というような明るい気持ちになります。

> 易しく話せぬようでは半人足であり、これを「死学(しがく)」というのです。

「死学(しがく)」
これも分かりやすくていいですね。

ところで最近、私は小室直樹さんの本を何冊か読みました。

『経済学をめぐる巨匠たち』ダイヤモンド社(2004)
『日本人のための宗教原論』徳間書店(2000)
『日本人のためのイスラム原論』集英社インターナショナル(2002)

つい最近まで、小室直樹さんの本は読んだことがありませんでしたが、小室さんは難しいことを、とても分かりやすく解説される名人だと思います。
機会がありましたら、読んでみることをお勧めします~。

投稿: 喜八 | 2006年3月11日 (土) 21時32分

いえいえ、私気が小さいので仲間を増やそうとしているだけですヽ(^ー^)ノ 又挑戦しますのであしからず…

投稿: のり | 2006年3月11日 (土) 21時15分

このごろ、大学生に以下のようなことをしばししゃべります。大学に入学できたのは、もちろん学生個人の刻苦勉励もあるが、刻苦勉励できる環境にあったからであると。勉強をすることが、良いことであるという環境にあったがゆえに、勉強できたのであると。
 もし、戦前のような環境に生まれれば、勉強できるということがほとんどの人間にとって不可能であったと。このようなことが理解できるまでに、30数余年の時間がかかっていますが・・・。

投稿: ichiro | 2006年3月10日 (金) 23時05分

人間の価値は持っている物やお金や知識の量でなく、心がけということでしょうか。と、持っているものの絶対量が少ない私は自分に言い聞かせています。が、「心は本当に健全?」と聞かれたら自信がない・・・。(苦笑)

投稿: milesta | 2006年3月10日 (金) 20時26分

こんばんは、spiralです。
お忙しい中、記事を書いて下さってありがとうございます。
田舎の神主さんのブログは、いつも大変勉強になります。
ご無理はなさらないように、出来る範囲で記事を書いて下さればと思います。

投稿: spiral | 2006年3月 8日 (水) 00時54分

のりさん、こんばんは。
お手数おかけして申し訳ありません。
恐らく、サーバーが混み合っているせいだと思われます。
ココログのサーバーは混み合うと結構ダウンすることがよくあります・・・。
少し時間が経ってからしていただけるとスムーズに出来るのではないかと思います。
申し訳ありません。

投稿: 管理人 | 2006年3月 7日 (火) 23時55分

TB出来ないのですが、私の方法に問題あるのでしょうか?

投稿: のり | 2006年3月 7日 (火) 23時49分

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