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2006年7月17日 (月)

苦は楽の種!

 ガキの時分、父や母から「苦労は買ってでもせよ」などと、しばしば云い聞かされたものである。
私達は人生に於ける辛酸を寧ろ自ずから進んで求めるくらいの心構えが必要では無かろうか。
人間は此の世に生かされる限り「苦」はつきもの、「苦の娑婆」だとも人は云われる。
総ての人がこれで良いとは云えない。あらゆる人が多少の悩みや苦労は持っているものと思われる。

 1×9の答えは9、2×9は18(1+8で9)、3×9は27(2+7で9)、・・・5×9は45(4+5で9)、7×9は63(6+3で9)、9×9は81(8+1で9)・・・「9=苦」をかければ最後の答えは全て9、即ち苦・・・であるが如く、全て此の世は「苦」がつきものである。
 然れどその9(=苦)を乗り越え10「=充(みつる)」に到達すべく努力をし、真に充実した己を見出すことが賢明である。
 人間、この「苦」から逃避ばかりしていると、何時まで経ってもそれを乗り越えていく力が備わらず、何事にも挫折してしまい、虚しい人生に終わってしまう事になる。苦しみや辛い事や悲しみを、人間向上のための「有難い試練」だと素直に受け入れ、戴いて行く処に価値のある人生修行が生まれるのである。
 運営に対する苦労、対人関係に於いての悩み、嫌いな仕事、家庭上の悩み、種々雑多であるが、中には「触れ合い恐怖」なるものもあるそうで、これは現代の若者に特に多いと見聞している。
 「人」と「人」との間を「人間」と謂う。此の世は男と女の為せる社会である。成る程、うまい付き合いならそれでも良い。然し付き合いも不調をきたすと、「苦」や悩み、時と場合で怒りも生ずる・・・。一方、争いや傷つく事を避けたい心理は、一面では優しさに通ずる。・・・取り越し苦労だろうが、人は本来、一人では生きられぬように生まれついている。私は幼稚な心の発案か・・・ある意味で無頓着な人になりたいと思っている。

 そこで私の師が以前話していた言葉を御紹介したいと思う。

「私個人の生活に於いて、『宜しく衣食住を消極的にして足りる人間』、これが良いと言い切る人間、自分で行こうと決めつけた当時(ころ)、僅か四十五才の時だと記憶している。それから直ぐに実行。七十八才の『悩まない』人生が始まった。『先生はおいくつ?』『はい。七十八才です。』と嘘吹いてきた。自分自身、結構楽しい世の中であった。然れど、光陰は矢の如しとか・・・。知らぬ間に本当の七十八才を夢中で通ってしまって現在は八十六才。高齢ともなると『老苦』と云うくろうもある。尚、八十六才とは『やむ』・・・。病むに通じてか『病苦』と云う。苦労もあるが、あちこち痛むのも生きている証拠だと感謝している。様々な形で人とかかわり合い、人の世話になることで生きている・・・。人生とはそうしたものだ・・・。」

 私も年を重ねたときにそう在りたいと心から思った・・・。
多くの人とかかわり合えば、時に依っては感情の縺れも出よう・・・。だが、それをうまく乗り越えて、より深い結びつきに発展するのではないか・・・。
若い人達を如何に上手く大人社会に迎え入れるか。それは大人の側の責任でもある。
かと云って、素直の心、信じる心、従順な心、敬虔な心、勇気ある心は一朝一夕にして出来上がるものではない・・・。
ゆっくりと造り上げられるものなのである。それも幼い時ほど大事なのである。
子供の理解はとても早いもので決して分からないものではない。
例えば、赤ちゃんが必死で泣いて訴えても聞いたか聞こえないのか、母親も父親も何も答えてくれない。其のことの不安から赤ちゃんは一想(いっそう)声を張り上げて訴えるのである。
その赤ちゃんに対して、声が聞こえたら
「あぁ、聞こえるよ。もう一寸(ちょっと)待っていてね・・・。待っていてくれてありがとうネ・・・。」
と必ず声を交わしてあげることが親と子のしっかりとした「つながり」を築き上げていくものである。
 赤ちゃんの時には玩具(おもちゃ)のように扱い、可愛い、かわいいで育てて、大きくなってからは
「ああしたらいけない、こうしたらいけない」
などと
「行(い)けない、生(い)けない」
と言う。
こうして育つ子供は素直な心や信じる心、従順で敬虔な心、勇気ある心を持つことは出来得ない。
結局は親や周囲の人の態度こそが子供の心を育てていくものである。
 こういう親は肉体だけをつくって、一番大切な 、その魂や心をつくることを忘れてしまっているのである・・・。

 私達は肉体と幽体(ゆうたい)・・・精神、つまり「魂」とで成り立っている。
肉体だけをつくっても、心や魂をつくることを忘れての毎日と成っては大変なことである。
 その大切な魂は・・・生まれてからでは遅すぎる。
それは受胎する前から準備するもので、人間一人をつくり上げていくためには、気を抜いたり、惰性での生活では立派に育て上げられるものではない。
 成人となっても然り。言い換えれば、職業選び、配偶者の選択、生き方などについて「大人」としての自己の決定を行い、社会や組織の中に一定の位置付けを得る時期に入っている訳である。
 そうした踏ん切り、決着をまさにつけようとしているか、或いはその為の準備期間のただ中にある。 このことを先ず自覚してほしいものである。
 其処には「喜怒哀楽」あり、苦しみもあり、辛さもある、憂いもある。
 人間、憂いごと多き人がやさしさがあり、優秀の人の「優」である。

 また、「味わう」という言葉がある。
唯箪に体験するだけではなく、それが持つ意味を充分に理解し、感じ取っていくことである。 苦しみや悲しみをあるがままにそのものとして味わうことに依って、自分の心の糧としてゆくことが出来、そこで初めて他人の苦しみや悲しみも理解でき、温もりの心が養われていくことになるのである。
 苦労をともに味わい、噛みしめて、深みのある人生を悠然として闊歩して行きたいものである。
 今にしてみて昔の人は偉かった。
「苦労は買ってでもせよ」
と。そう・・・。
 「苦楽」と云われるとおり、苦は楽の種でもあった・・・。して、多く辛い事や苦しい事、「種々」な「め」に遭った人程、人生は喜びに満ち溢れるものである。
 それを発見できるのは、そう、感謝の心である!
苦中楽あり、楽中苦あり。晴れたり曇ったりの心の空に花も咲けば嵐もある・・・。
冷たい冬に寒難(=艱難)なんぞ梅の花咲く、一目見て枯れ木に見える桜木も、春来たりなば、花の王者だ。人間苦労から逃げてばかりいると、反って苦労がつきまとうものだ・・・。

 世の中を 渡り比べて 今ぞ知る

 先程、言葉を紹介した師の句である。

この句に触れて思う事は、私自身も過ぎ越し方をふり返り見れば、随分と危ない崖っぷちも数多く渡って来たものである。
人は、死ぬに死なれず、生きるに生きられぬ破目に陥る事が幾度(いくたび)なくある。
だから此の世は苦しい、淋しい、辛い・・・。
然れど本当は苦しいのも、淋しきも辛いのも、全(みな)自分であって世の中ではない。

だが・・・、種々のめ(=芽)に遭わされた人こそがものが解るであろうし、人に優しくでき、されるのである。

以前に以前に会報に載せた文章ですがそのまま転載致しました。

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コメント

梵弼さん、こんにちは。
早速の御訪問、コメント有難う御座います。
ここ2,3日ネット環境下におりませんでしたのでレスポンスが遅れまして失礼致しました。

問題提起有難う御座います。
確かに苦労の質、方向性など様々な問題があります。
私が此処で申しておりますのは「一般的」というと抽象的な回答で申し訳ないのですが、そういうニュアンスのものと捉えていただければと思います。
またさらに考察を深めて参りたいと思います。

それとトラックバックを頂いたようなのですが、サーバーの不具合かどうかは解らないのですが反映されていないようなのです・・・。申し訳在りません。
お手数ですが、出来ればもう一度送っていただけると有難いです。

今後とも宜しく御願い致します。

投稿: 管理人 | 2006年7月31日 (月) 17時35分

初めての書き込み失礼します。
先般、Merge様のブログでコメントさせていただきました梵弼です。
『苦労は買ってでもしろ』と言いますが、その『苦労』の内容と言いますか、質と言いますか、方向性と言いますか…その辺りを最近考えるようになりました。
自分なりの結論が出てませんので、問題提起のみで退散します。
(^_^;)
不躾ながら、いきなりトラックバックをさせて頂きましたこと、ご容赦くださいませ。

投稿: 梵弼 | 2006年7月29日 (土) 00時25分

喜八さん、spiralさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
失礼ながら纏めてレスポンスさせていただきます。

>喜八さん

最近も喜八さんのエントリを拝見しておりました。
小林こうきさんのエントリは大変興味深いものがありますね。
いつも色々勉強させていただいております。
>今の日本社会は「若い人を排除する」傾向が強いように感じています。
私も同様に感じております。
だからこそ大人の対応が必要ということを改めて声に出してみました・・・。
「若い人をどのように社会に迎え入れるか」という問題は「ニート、フリーター」という問題が社会問題として取り上げられる現代に於いて大変重要な課題であると考えています。
こういったことは私個人の考えに於いては「国家、政府」単位で行うことではなく、地域コミュニティーで行われるべきであり、その「町内会」とか、仕事であれば「社内、部課間」といった、そういう極近い、小さな単位で推進し、一戸の「家庭」の中で取り組むべき問題であろうと思います。
その為にも近所づきあいは必要になるでしょうし、その「町、村」の単位の中で良識在る大人としての振る舞いが必要なのであろうと考えています。
いつも大変参考になる論考を有難う御座います。


>spiralさん

spiralさんのブログ、ちょこちょこ覗きには伺っているのですが、なかなかコメントが残せずに申し訳在りません。
その後体調は如何でしょうか。
くれぐれもお体の方御自愛いただきたいと存じます。
以前のブログに書いた私の師の言葉にもありましたが
「病は神様からのお手紙」
であると思います。
私もたいしたものではありませんが持病を持っております。
それが出ますと動くことも出来ません。(以前にエントリでも書きましたがヘルニアとまた別のものの2つです)
しかし、それは神様が何かの意図を持ってお報せ下さっているのだと感じます。
それが苦労だといえばそうかも知れませんが、私自身、病気があるからこそ、「健康」の有難味を感ずることが出来ます。
そう、spiralさん同様・・・です。
>子育てについて触れていましたが、今、世の中に一番必要なのが、親が親としての学びをすることだと思います。戦後、日本の歴史や伝統文化・慣習を否定したため、子育ても混乱をきたしているように感じます。
全くその通りですね。
今、本当に「らしさ」というものが失われていますよね。
(・・・ジェンフリ肯定派の方々からは反論が起きそうですが・・・)
「親らしさ」「子供らしさ」など今までの日本人には当たり前であったことが「個人の人権」という大義名分の下に蹂躙されていますね・・・。嘆かわしいことです。
深い知識と教養は持ち合わせているとは思えませんが(苦笑)(汗)出来ることからやっていこうと相変わらず思っております。
またブログの方にもお邪魔します。
有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年7月24日 (月) 14時15分

こんばんは、spiralです。
苦労から逃げているばかりの私には耳の痛い話でしたが、今回の記事も大変勉強になりました。

皆様のコメントも素晴らしいものばかりで、正直コメントを書くのを躊躇しましたが、足跡を残していきます。

私は殆ど苦労知らずできましたが、唯一病気で少しだけしんどい思いをしました。心臓発作が起きて死ぬかもしれないと思ったことが何度もあったし、今でも冬場は調子が悪くてしんどい日が続きます。
最初はこのような目に遭ったことを嘆いていましたが、今はこの病気のお陰で気付かされた、あるいは学んだこともたくさんあり、病気になって良かったと思えるようになりました。

それから、子育てについて触れていましたが、今、世の中に一番必要なのが、親が親としての学びをすることだと思います。戦後、日本の歴史や伝統文化・慣習を否定したため、子育ても混乱をきたしているように感じます。

ですから、田舎の神主さんのような、深い知識と教養を持たれた方がそうしたことを記事にして下さるのは、大変有意義で有り難いことだと思います。

それでは、お体気をつけて、また次回の記事も楽しみにしております。

投稿: spiral | 2006年7月22日 (土) 19時53分

田舎の神主さん、こんにちは。
じっくり拝読させていただきました。

> 1×9の答えは9、2×9は18(1+8で9)、3×9は27(2+7で9)、・・・5×9は45(4+5で9)、7×9は63(6+3で9)、9×9は81(8+1で9)・・・「9=苦」をかければ最後の答えは全て9、

本当ですね!
これは初めて知りました。
今後、友人知人に披露したいと思います!

「苦楽」という言葉は最近あまり聞きませんね。
「苦楽をともにする」なんていう表現はとてもよいものだと思われます。

> 若い人達を如何に上手く大人社会に迎え入れるか。それは大人の側の責任でもある。

まったくその通りですね。
けれども今の日本社会は「若い人を排除する」傾向が強いように感じています。
これは私の偏見かもしれませんが・・・。


投稿: 喜八 | 2006年7月22日 (土) 18時00分

mergeさん、こんばんは。
レスポンス有難う御座います。

>ちょっと勢いにまかせてコメントしてしまったもので、気分を害されたのではないかと心配しておりました。

いえ、感謝こそ致しますが、気分を害することなどありませんのでご安心を。(笑顔)

mergeさんの仰ること、ご尤もであろうと思います。
「何故苦労なのか・・・」という部分については「十人十色」。
様々なお考えがお在りになるでしょう。
本文に書いてあることが今現在の私の結論であり、本心としてこれからも持っていきたい気持ちであります。
「喜び」ではだめなのか・・・。
私も同様に思います。「喜び」から成長できないのか・・・。
私は「出来る」と思います。
本文にも書きましたが

>苦中楽あり、楽中苦あり。晴れたり曇ったりの心の空に花も咲けば嵐もある・・・。

この心境であります。
繰り返すことしかないのでは?というのが私の現在の結論です。
人間は「反省的思考」によって進みながらも立ち止まり、「螺旋状」に成長していくのではなかろうか、確かどこかの教育学者の言葉であったと思います。(ヴィゴツキーだったかな?)

「諸行無常」。以前拙ブログのエントリでも書きましたが「いろはに・・・」の言葉の通りではないかと思います。
しかし、その中に人生の「喜び」も見つけてきたのが日本人ですよね。
「古事記」や宣長先生の著作に造詣の深いmergeさんなら私よりも遙かにご存じではないかとお察しいたします。

>なにはともあれ、苦労を遥かに超えてしまうよな災難を未然に防ぐことができるようなシステムや“人の和”のようなものが今一番欠けているし、急いで造っていかなければならないような気がします。

全く以て同感です。
以前は地域共同体、所謂「地域コミュニティー」が強く存在し、良くも悪くも、周囲の目が注視していたものです。
そういったものを取り戻すなり、現代に合った新しいシステムを構築するなり、早急な対策が必要であると思います。

>いつか「有意義な苦労」というものを言語化してみたいものです。

応援させてください。
私も「そんなことが出来たら・・・」と思いながらも出来ないでいる一人なのかも知れません・・・。
mergeさんのブログを拝見したり、コメントにて遣り取りを続けていたら、なんだかmergeさんが、かの「佐久間象山」のように後の「吉田松陰」を生み出すような人物になって下さるような気がしてきました・・・。
少し大袈裟かも知れませんが・・・。(笑)

投稿: 管理人 | 2006年7月21日 (金) 23時13分

田舎の神主さん、早速のお答え、大変感謝しています。

ちょっと勢いにまかせてコメントしてしまったもので、気分を害されたのではないかと心配しておりました。とても丁寧に答えていただけて、嬉しいです!

苦労は確かに相対的なものであって、各々がその経験を活かして、各々の力で前へ進んでいくのが、人間の生き方なのかもしれません。でも僕は、どうもこういうことがしっかりと受け入れられないのです。それは他者の「痛み」ということに関係しているからかもしれません。友人や知人がそれで苦しんでいるのをみると、どうしてもその「痛み」を相対化することが難しく感じるのです。結局、思うことは、他者の苦しみや痛みにたいして、時には言葉も行動すらも全くの無力に感じてしまうときがあるのです。

僕のコメントにおける苦労には確かに「災難」というニュアンスがあったようにおもいます。それに苦労の定義づけもとても難しいです。田舎の神主さんには随分失礼な質問をしてしまったと後悔しております。それでも、なんともやりきれない事柄というのは、あるので、実は、昔から、この苦労ということについては誰かと話し合ってみたかったのです。

>だからこそ、そういったことが繰り返されないように尽力せねばならないでしょう。その被害を受けた方々を周囲の方々がサポートし、実際問題、人間は本当に冷たいのか、それとも本当は温かいのかを体温を以て報せていく以外ないのではないかと思います。

やっぱりこれなんですよね、でもこういうことは本当に一朝一夕にはできなくて、なんとも難しいものです。

本当の温かさを体温を持って報せていくというのも、じつに、実のある「苦労」ですよね(世の中上手くできていて、だんだんむかついてきました(^o^)ハハハ……)

人は「喜び」で成長してはいけないのでしょうか、

なぜいつの時代でも、「苦労」なのでしょう……

すみません、随分とネガティブなことを言ってしまって。こんなことを頭の中でループさせても無気力になるばかりで、これではまるで、日本人らしく“無常”を感じてしまいます(^^ゞ

日本人は無常に関してどの民族よりも敏感に反応してきたと思うのですけど、いったいどうやってその無常感を解決してきたのでしょうか。

先人は無常を感じすぎて無力感に苛まれてしまったとき、どのように解決したのでしょう。

なにはともあれ、苦労を遥かに超えてしまうよな災難を未然に防ぐことができるようなシステムや“人の和”のようなものが今一番欠けているし、急いで造っていかなければならないような気がします。

そして未来には、先人の言葉を少し変えて、「有意義な苦労は買ってでもしなさい」としたほうが、好いのでしょうか。でもやっぱり、そんな風に限定してしまうと、人は「有意義」という言葉を勝手に解釈して楽な苦労ばかり追い求めてしまうかもしれませんね。

いつか「有意義な苦労」というものを言語化してみたいものです。

大変勉強になりました。

ありがとうございました。

投稿: Merge | 2006年7月19日 (水) 16時22分

mergeさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
大変興味深い論考を拝見させていただきました。

「苦労」とは私自身、あくまで相対的なものであろうと思います。
傍目に「苦労」をしている本人自身が果たして、本当にその事柄を「苦労」と感じているかどうかは解りません。

ですが、後々に「大変だったが、その経験があったからこそ今の自分がある」と感じられたものは良い経験としての「苦労」であった、と言えるでしょうし、そうではなく、自分が望むと望まざると拘わらずに「いやだなぁ」「たいへんだなぁ」と思うような事柄で人の役に立ち、ひいては己自身の研鑽に繋がれば、それは「苦労」と呼べるのではなかろうか、と思います。

時代的な背景というよりは、そういった文脈での「苦労」と私は捉えております。

こういうと多くの方々からおしかりを受けるかも知れませんが、虐待などは受けている本人にとっては「苦労」というより、「災難」のようなものかも知れません。
しかし、その虐待を受けたことが本人にとって大きな傷となり、人格を破壊してしまうかも知れない・・・。
だからこそ、そういったことが繰り返されないように尽力せねばならないでしょう。その被害を受けた方々を周囲の方々がサポートし、実際問題、人間は本当に冷たいのか、それとも本当は温かいのかを体温を以て報せていく以外ないのではないかと思います。

神道において苦労の種類はあるのか、との主旨のご質問ですが残念ながらないと思います。
神道には他の創唱宗教のように創唱者がおりません。ですから「教義」「教典」のようなものが存在しないのです。
その為、例えば、仏教における「四苦八苦」に対する「四諦」「八正道」のようなものがないのです。
しかしながら、この日本は「神仏習合」してきた国であり、他の宗教を受け入れる寛容な民俗的基盤を持ち合わせてきました。
様々な宗教の概念を色々な形で取り込み、そして現在の宗教観を形成してきました。
ですから、私の申し上げる「苦労」の概念は相対的であり、そういった土壌の上に立脚しているものであります。

>こういうことを解決していけるような話し合いが必要なのではないかと思うのです。先人が残してくれたものを、もっと掘り下げる必要があるのではないかと感じています。
>生殺しをされてしまった、または、今この瞬間生殺しをされている人たちに、深く、訴えることができるような、新しい言葉ってないものでしょうか?

現代の日本は、物質的に満たされ、倫理観や道徳観の捉え方自体がおかしくなっているように思います。
話し合いをしようにも「出発点」が異なっていることがほとんどのように思います。
そんな状況の中に於いてmergeさんのこのような言挙げは大変有難いことであり、個人的にとても嬉しいです。

「我々はどう生きていけばよいのか。」
単純にそこから出発してそして現在目の前に置かれている問題を大局的な見地で議論していけたら、と思います。
前述の方々に訴えられるような新しい言葉・・・。
難しい課題ではありますが取り組んで考えてみたいと思います。
きちんと答えられず申し訳ありません。

忌憚のない心からのお言葉、有難う御座いました。
今後とも宜しく御願いいたします。

投稿: 管理人 | 2006年7月19日 (水) 12時46分

いつも気遣って頂けて、とても感謝しております。本当にありがとうございます。

しばらく意識してネットから離れていました。これも“苦労”と関係があるのかもしれない、とこのお話しを読んでいて思いました(はっきりいえなくてすみません)。

僕は、正直、苦労が嫌いです。

苦労をしている人をみるのが、とても嫌です。神が本当にいるのなら救ってあげてほしいといつも思います。もちろん苦労の度合いによるのたど思いますけど、今の世の中は、人格を壊してしまうような苦労もあって、そういう意味でも苦労が嫌いなのです。

今の世相を見てみると、苦労が大切だと分かってはいても、それはどこか古き良き時代の文脈で語られたものなのではないかと思うときがあるのです。虐待などをれいにとってみると、それは子供を生きながら殺すこととなんらかわりありませんから、それを克服していく苦労というのは並大抵のことではないし、それを克服するだけで一生を棒に振りかねません。

もしかしたらこういうものを苦労とはよばないのかもしれませんが、確かにこれを乗り切れたら大きく成長はすると思いますので、それを買うだけの価値はあるのかもしれません。でもやっぱり失ったもの得られなかったもの、未来においても感じ続けるであろう、愛を受けて育ってきたものにしか得られないものを得られないという苦しみ、それらの愛を諦めてそれに代わるものを見つけていくというのはそうそう簡単なことではないと思うのです。

両親を亡くしてする苦労、と、生きている両親への憎しみを克服する苦労、

後者のような苦労は、僕は必要ないと思います。というより、こういう苦労を社会からなくしていかなければならないのではないかと思うのです。

だからこういう苦労をさせないためにも、これからは新しい文脈を考えていかないといけないのではないかと、正直、思います。

今の若者のなかには、そういう体験をしてしまって、苦労をしたくても、帰る場所や受け入れてくれる場所がないから、苦労するのが恐いという人たちも多くいると思います。最近立て続けに、若者が両親や家族を殺害するという青年事件が起きました。マスコミなどは犯人の精神年齢が幼いと断言していましたが、それもあるかもしれないですけど、世の中が彼らにとってのびのび苦労できるような環境ではないということが一番の問題なのかもしれません。

質問なのですが、神道には、苦労の種類というものはあるのでしょうか? 必要な苦労、必要ではない苦労……まるで白黒つけるような考え方かもしれませんが、これが僕の今の嘘偽りのない、苦労に関する疑問なのです。

まるで田舎の神主さんに、挑戦するような文になってしまいましたが、決して本意はそこにはありません。ただ、こういうことを解決していけるような話し合いが必要なのではないかと思うのです。先人が残してくれたものを、もっと掘り下げる必要があるのではないかと感じています。

We must change to remain the same.(変わらずに生き残るために我々は変わらなければならない)

生殺しをされてしまった、または、今この瞬間生殺しをされている人たちに、深く、訴えることができるような、新しい言葉ってないものでしょうか?

投稿: Merge | 2006年7月19日 (水) 11時16分

milestaさん、こんばんは。
TBとコメント有難う御座います。
私も現在、妻と共に子育て奮闘中でありますので、本来はまだまだ偉そうなことを言ってはいけないような気もしましたが、思うところまで、と言うことで書かせていただきました。(汗)
私の思う「苦労」とはエントリの中でも書きましたが、様々な己の未来、華族の未来、仲間の未来のための「種まき」のようなものだと考えています。
「悟り」と言われればそうだとも思いますが、こういうと大袈裟かも知れませんが、「精神修養」のようなものを日々の暮らしの中で得るための手段の一つと考えています。
milestaさんの方が私よりも子育ては先輩だと思いますので困ったことがあったら相談させていただきます。(笑)
宜しく御願いします。m(_ _)m

投稿: 管理人 | 2006年7月18日 (火) 23時14分

「苦労は買ってでもせよ」偶然にも私の母が今日電話でつぶやいた言葉です。そして「若いうちに苦労して置いて良かった。」とも。仕事で大変な思いをしていた時に、尊敬する先輩が「苦しい時ほど自分が成長しているんだ。」と教えてくれました。
私自身は、苦労した後というのは、何か余分なものがそぎ落とされてすっきりとした気分になるような気がしていましたが、神主さんの記事を読んでそれがどういうことなのかが少しわかりました。「悟り」に近いような感じですか・・・?やはり苦労は買ってでもするべきですね。

あと子育てのお話。実に考えさせられます。

>人間一人をつくり上げていくためには、気を抜いたり、惰性での生活では立派に育て上げられるものではない。

本当に日々実感します。ちょっと気を抜いてしまうと、それを修正するのには大変な時間と労力を要します。本当に子育ては責任重大な仕事だと感じます。

TBありがとうございました。いつも良いお話を書いてくださるので、TB大歓迎です。

投稿: milesta | 2006年7月17日 (月) 23時27分

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