« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

2006年8月28日 (月)

現代と神道 ~その3~

 さて、前々回の続きです。

 どうしてもイザナミノミコトを忘れることの出来ないイザナギノミコトは黄泉の国まで逢いに行きます。

 黄泉の国・・・そこは死者の国です・・・。
 生きた者が来るのを堅く拒んでいる・・・。

 その御殿は冷たい扉が現世との間をしっかりと塞いでいました。

 しかし、愛する夫イザナギノミコトが遙々、このようなところまで訪ねてくれたことを知り、妻であるイザナミノミコトは扉のところまでやって来ます。

 すると、扉越しにイザナギノミコトが優しい声で
「あぁ、愛しい我妻イザナミよ・・・。私とお前が創った国はまだ形を創っただけではないか・・・。まだ完成したわけではない・・・。私にはまだお前の助けが必要なのだ。どうか私と一緒にもう一度戻ってきてはくれまいか・・・。」

 この呼びかけに対し、イザナミノミコトは次のように答えました。
「あぁ、愛しい我が夫よ。何故もっと早く来てくださらなかったのですか・・・。私はもうこの黄泉の国で、不浄な火と水で炊いた食べ物を口にしてしまいました・・・。私の身体はもう穢れてしまった・・・。それでも愛しい我が背の君(女性が兄、夫、恋人を呼ぶ時に使う言葉)が、わざわざ私をお迎えにおいでになったことは嬉しくて堪りません。私はなんとしても帰りたいと思います。ですからこの黄泉神達に相談をして帰っても良いか、お伺いを立てて参ります。ただ、その間はどうか、私の姿はご覧にならないで下さいませ・・・。」
そう言って御殿の中へと戻って仕舞われました。

 言われた通りに扉の前で佇み、お待ちになるイザナギノミコト。
しかし、いくら待っても愛する妻は戻ってこないのです。
待ちかねたイザナギノミコトは約束を破って扉の中へと入っていく決意を固めました・・・。

その扉の中は真っ暗闇で、イザナギノミコトは角髪にゆったその髪を留める爪櫛を手に取り、その櫛の1番大きな歯を折り、そこへ火を灯し、暗闇の御殿の中を中を先へ、先へと進んでいきました。

その乏しい光に照らされてようやくイザナミの姿が眼に映りました・・・・が、なんという有様なのでしょう!!!

 それはかつて自分が知っていた、愛する妻とは思えない・・・、身体中に小さな蛆がたかりクネクネと動き、至る処から膿がドロドロと流れ出している身体でした・・・。
 さらに、愛する妻の身体・・・その頭からは大雷(オホイカヅチ)が、その胸には火雷(ホノイカヅチ)、その腹には黒雷(クロイカヅチ)、陰処(ほと)には拆雷(サクイカヅチ)、左手には若雷(ワキイカヅチ)、右手には土雷(ツチイカヅチ)、左足には鳴雷(ナルイカヅチ)、右足には伏雷(フシイカヅチ)という都合八柱の雷神がおどろおどろしく、愛する妻の、・・・その腐り果てた身体から生まれていたのです・・・。

 さすがのイザナギノミコトもその有様を見て、恐怖に凍りつき、恐れおののきながら一目散にそこを逃げ出しました。
その逃げていく愛する夫の姿を見たイザナミノミコトは

「あなたという方は・・・。私の恥ずかしいこの有様をご覧になりましたね・・・。」

 そう口悔しげに叫び、黄泉醜女(よもつしこめ=黄泉の国の醜い女神)達に命じ、その後を追いかけさせました。
イザナギノミコトは一生懸命逃げましたが追いつかれそうになり、自分の髪を留めていた鬘(かずら=髪を留める冠)を後ろに投げ捨てました。
すると地に落ちた鬘から葡萄がなり、腹を空かせた黄泉醜女はその実を奪い合って食べ始めたのです。その間にイザナギノミコトは遠くへ逃げることが出来ました。

 しかし、その葡萄の実を食べ終えると黄泉醜女達は再び追い始め、また危なくなりました。今度は、さっき歯を折って火を灯した櫛を再び髪から外し後ろへ投げました。
すると地に落ちた櫛がタケノコとなり地面からニョキニョキと生えました。
黄泉醜女達がそれを食べている間にもっと、もっと遠くへ逃げることが成功したのです。

一方、イザナミノミコトは更に怒り狂い、自分の身体から生った八柱の雷神達に命じ、黄泉の国の軍隊をつけ夫の後を追いかけさせます。
雷神と大軍に迫られたイザナギノミコトは十拳剣(とつかつるぎ=長さが拳十個分の意)を抜き、黄泉の軍隊を振り回しながら追い払い、遠くへ逃げていきました。
それでも追っ手は追跡をやめませんでしたが、とうとうイザナギノミコトは黄泉比良坂(よもつひらさか=黄泉の国と現世との境とされる)の麓までたどり着きました。
そして、その坂の麓にあった桃の実を三つ取り上げ追っ手に向かって投げつけました。
するとその勢いに追っ手の者共は恐れをなし、悉く逃げ帰って行くのでした。

大変な危機から逃れたイザナギノミコトは桃に向かってこう言いました。
「お前は今、私を助けてくれた。この国に住むありとあらゆる命健やかな人達が、もしも辛い目に遭って苦しむようなことがあったら私と同じように助けてやってくれ。」
そしてその桃に「意富加牟豆美命(オホカムヅミノミコト=大神の実)」というなを与えました。

一方、追跡が失敗に終わったことを知ったイザナミノミコトは最後に自ら、夫の後を追ってきました。が、イザナギノミコトは「千引石」という千人力でやっと動かせるほどの大岩を黄泉比良坂の中央まで引きずってきてそこへ置き、その出入口を塞いでしまいました。
そしてその岩のところまでやって来たイザナミノミコトに向かって、イザナギノミコトは岩を挟んだ状態で事戸(これを限りに契を解くこと=離縁宣言)を申し渡しました。

この言葉を聞いたイザナミノミコトは
「愛しい我が背の君よ・・・。あなたは約束を破って私を辱めました・・・。私はあなたを許しません。その仕返しにあなたに国の人々を一日に千人ずつ絞り殺しましょう。」
これに対してイザナギノミコトはこう答えたのです。
「愛しい我妻よ・・・。確かに私はお前を辱めてしまった・・・。だからお前がそのような非道なことをするのであれば甘んじて受けよう・・・。だが、私の方は一日に千五百の産屋を建て、子供を産ませることにしよう。」

このような誓いがあったので、この国の人口はこれ以降、一日に五百人ずつ増え続け、現代に至ると云われています。また、この誓いに於いて「死」を司る立場となったイザナミノミコトのことを「黄泉津大神(ヨモツオホカミ)」とも言われる様になりました。

 さて、長い前置きでしたが、ここまで「古事記」の内容に触れてきて、今回は一つの事柄についてだけ考えてみたいと思います。それ以外は次回「イザナギノミコトの禊ぎ祓い」で触れたいと思います。

 今回はこの最後の行。イザナギノミコトとイザナミノミコトの事戸、「離縁宣言」の部分について触れたいと思います。

 ここではイザナミノミコトが辱められたことに対して怒り、そして悲しみ、その憤りからイザナギノミコトの国の民を一日に千人ずつ殺す事を明言します。
そこには、この世に「生」を受けた者はいつか必ず「死」を迎えるという生命の終わり、つまり「死の原則」が隠されているように思います。
また、イザナギノミコトはそのイザナミノミコトの憤りを、怒りを受け入れ甘んじて受け入れるという姿勢(この意訳には賛否両論ありそうですが)を以てその「死の原則」を受容し、我々人間がその「死」への唯一の対抗手段とも言うべき「子孫を残す」という行動に依って「死」というものの恐怖から解放され、より我々が繁栄をするための道を指し示しているように思うのです。
つまり、それは「生命の縦の連鎖」であり、太古の祖先から現代を生きる我々まで広遠と繋がる「Eternal Life」なのではないでしょうか。

「死」、それは恐るるにも足らぬ事である。
我々は子孫を残し、我々が築いてきた伝統や文化、歴史を受け継いでもらうこと。
それによって我らの生きた証、道統を残せるではないか・・・。

そんな風に、先人達が言っているように私には聞こえるのです。

 しかし、現代は「男女共同参画基本法」に代表される「フェミニズム」「ジェンダーフリー」などという、人間が本来、生得的に持ち合わせている役割を無視したような思想や社会状況が推進され、特に「女性の社会進出」が声高に叫ばれています。
 この「古事記」のこの項における教えの一つとして、男女の役割を必要以上に変えることなく、生得的に神様がお与え下さった役割や立場などを尊重し、お互いが助け合い、そのバランスを均等に保つことが重要なのではないか、と感じるのです。

 そして今、この日本では「少子高齢化」が加速的な早さで進行し、遂には「人口の減少傾向」が起こり始めました・・・。

 私は女性の社会進出を拒むわけではありません。また、『所謂「大和撫子」を手本とし、女は控えめにして男を立てろ』などと言うつもりも毛頭ありません。
 しかし、女性の方でも社会進出をすることよりも専業主婦を望む方も多くいらっしゃると思うのです。(私の妻もその一人です。)
それなのに、俗に言う「フェミニスト」の方や「ジェンダーフリー」を推進される方々は勿論ですが、現政府の政策の在り方までもが・・・・・と感じてしまうのです。

 このまま「女性の力」(黄泉津大神=イザナミノミコトの力)があまりにも強くなって行ってしまうと・・・・・。
 少子化は解決できないのではなかろうか・・・・・そんな危惧を抱いてしまう、今日この頃です。

   つづく・・・・・

| | コメント (6) | トラックバック (2)

2006年8月22日 (火)

繁栄と幸福への道(仮) ~その2~

前々回のエントリの続きです。

今回もまだ会報に掲載していない為、仮称です。

次回からは(仮)がとれる予定でいます。

それでは

繁栄と幸福への道(仮) ~その2~

 想うに春は草木が芽を出し、軈て地上に色とりどりの百花が咲き乱れる。
夏は、草木がいずれも深い緑をたたえて力一杯の繁栄を誇っている。
秋は、草木が其の実を結んで収穫に忙しい。
冬は、草木が悉く枯死せるかと思いきや、この間に春への準備を整えている。

 斯くの如く、春夏秋冬の草木の秩序ある年々の営みの奥には、草木をして、このように在らしめる大きな宇宙の法則。即ち大きな生命の作用があるに相違ないことは、何人(なんびと)にも信じられる。かかる大生命の作用は、勿論、人間その他の生物にも其の作用を及ぼして、其の繁栄をなさしめているのであり、其の特色は其処に一切偏頗(へんぱ)が無いと云う事である。如何なる生物にも、如何に正しい者にも、正しからざる者にも、偏頗無く太陽の光と熱とを与え、雨を降らし、水を施し、空気を与えるのが、其の特色なのである。

 つまり万物と万人とを栄えしめるのが、大生命の作用であり、万物の間に大調和があるのもその為であられるので私達もまた、この大生命の作用に準じて、平生すべての人が栄えるように行動する事が、大生命の作用に依って生かされている人間として、最も正しい生き方である事を知らねばならない。

 これを実際生活に当て嵌めて言えば、すべて各国間が平和を欠き、或いは各個人間が調和を欠いて世の中が騒がしく、人々が不幸な生活をするようになる。其の根本原因は兎角、国家でも、個人でも身贔屓、利己主義が過ぎて、多と共に栄えようとする精神を欠くからであり、言い換えれば、大生命の等しく万物を栄えしめる心に背いている行いが、各国と各人の幸福な生活を乱す基となるのである・・・。

例えば・・・或る一団が共同で仕事をした。其の利益を一団が栄えるように分配し、使用すれば問題が起きない事が多い。然し、其れを誰かが、或いは銘々が、自分独り多くの分け前を取ろうとすれば、其処に不和が生じ、不幸が芽生えるのである。
この簡単な例によっても理解されるように、全ての人々が幸福に暮らす道は、常にすべての人が栄えるように各人が行動するにある、と云う事であろう・・・。

 例えば茲に素晴らしい科学の利益がある。其れを或る国が利用し、他国を征服する為に用いたとする。他国を征服する為に使用(つかう)事になれば、他国が脅威を感じて其処に不和が生じ、其の対策の為に・・・、それから其の国々の不幸、国民の不幸が生じる・・・。
 然し、其れ等を悉く自国と他国とが共に栄える為に使用する心構を持ち使用したならば、その為に幸福は大きく増しても、不幸が増す事はないであろう。
此の事は科学の発達に依り、一切の利益も、等しく万人を繁栄せしめる道に沿うて使わねばならぬと云う事を、大自然、即ち親なる神が教え給うものであろう。

 斯くて各国と、各個人が等しく幸福に栄える精神指導は、常に万人が共に栄える、宇宙の繁栄道に遵うに在りである。

つづく・・・・。

| | コメント (9) | トラックバック (7)

2006年8月18日 (金)

現代と神道 ~その2~

 今回は「神道」を学術的に考えるとき、重要な素材の一つとなる「神道古典」から「神道に於ける死生観」について考察を深めたいと思います。

 「神道古典」の中でもとりわけ重要とされる「記紀」
 特に今回は「古事記」の中から本来は順を追ってお話をさせて頂くべきなのですが、失礼ながら1部抜粋させていただき、そこから話を始めさせていただきたいと思います。
 かなり前、途中、後を端折りますが、私なりに口語訳及び省略させて頂きながら話を進めたいと思います。

 『天神諸からこの世界の「修理固成」を命ぜられたイザナギノミコトイザナミノミコト「国生み」「神生み」を進められ、そして或る時、イザナミノミコトは火神である「ホノカグツチノミコト」をお産みになった。しかし、その火神の火の勢いが余りにも強かったため、イザナミノミコトは女陰(ほと)に大火傷を負われた。そしてイザナミノミコトはその火傷が元でお亡くなりになって仕舞われた。』

 先ずここで一つ考えたいことは、「イザナミノミコト」の死と引き替えにもたらされた「火神」がこの国の民に何をもたらしたのか、ということではないかと思うのです。
 「火」は我々日本人が弥生時代より主食としてきた「米」を炊いたり、料理をするためには欠かすことの出来ないものです。
 更にそれらを調理するために必要不可欠なもの、そう、鍋等の調理道具です。
つまり、当時で考えるならば、それは「土器」であり、「銅器、鉄器、金属器」であったでしょう。やはりそれらを焼いたり、精製したり、加工するためには「火」は欠かすことが出来ません。即ち「土器文明」「銅器、鉄器、金属器文明」もここから端を発していると考えられるのではないでしょうか。
 それを裏付けるように「古事記」の中では「イザナミノミコト」が寝込まれた際に、その吐瀉物から「カナヤマビコノカミ、カナヤマビメノカミ」という鉄や金物の神、屎から「ハニヤスビコノカミ、ハニヤスビメノカミ」という土、粘土の神、更に尿からは、後に「食物神」として良く「稲荷社」に祀られている「豊受毘賣神(トヨウケビメノカミ)」をお生みになる「ミツハメノカミ、ワクムスヒノカミ」という神がお成りになったのです。それらのことを複合的に考えるならば、日本人の「熟食の道」を開き、古代の文明社会の基礎が生まれていった、そう考えても良いのではないでしょうか。

 『イザナギノミコトイザナミノミコトの死を悲しみ、その「死」の原因となったホノカグツチノミコトの首を、怒りにまかせてたたき切ってしまう。そしてその後、イザナギノミコトはイザナミノミコトの死を悼み、その亡骸の周囲をグルグルと回りながら泣き叫んだ。

 この行は「殯(もがり)の儀」、即ち現代に於ける「通夜祭」若しくは「通夜の儀」を表現していると考えられます。つい今しがたまで動いていた愛する者が動かなくなり、それを何とかして「もう一度動いてくれ」「その手足をもう一度動かして・・・甦ってくれ」と祈り、大きな声を出してその魂を呼び戻す、所謂「魂呼び」といわれる儀式の基礎となったのではないかとも考えられます。

 『いくら殯(もがり)を行っても甦ることのないイザナミノミコトを眺め、もう動き出すことのないことを悟ったイザナギノミコトは出雲の国と伯耆の国の境にある比婆の山にその亡骸を葬った。しかし、どうしても妻のことを忘れられないイザナギノミコトは愛する妻と逢うために「黄泉の国」へと赴く・・・・・。』

 この行も前項と同様、現代に於ける「葬場祭」若しくは「葬儀、告別式」、更に「埋葬」について表現されているのではないでしょうか。「通夜」を通じもう甦らぬことを悟り、神葬祭で言うところの「遷霊」を行い、「埋葬」となるのです。現代と違うところは・・・と言えばその後の部分にある、死んでしまった「イザナミノミコト」に逢いに行ってしまった「イザナギノミコト」と違い、神式では「十日祭」などのように十日毎、仏式では「初七日」に代表されるように七日毎に、亡くなった方を悼み、惜しみ、悲しみながらも遺族がその方の「死」を受け入れるために「御供養」をされると云うことでしょうか・・・。

 しかし、そういう慣習も様々な宗教的な教えも勿論ありますが、それらに基づくということだけでなく、先人達の悲しむ姿がそういった精神的な負担を徐々に軽減させていこうとした周囲の人々の「思いやり」が育んできた、結果でもあるかも知れません・・・。 これは私の勝手な推測でしかありませんが・・・・・。

・・・・・・物語はまだまだ続きますが、次回に引っ張らせて頂きたいと思います。
・・・・・・少し、いやらしいですかね?
      なかなか更新できないので少し引っ張らせてください。(笑)

  次回はいよいよ、イザナギノミコトが黄泉の国へと赴きます!

| | コメント (12) | トラックバック (2)

2006年8月 7日 (月)

繁栄と幸福への道(仮)

今回は前回のエントリの続きではありませんが、うちの会報にこれから連載する原稿の第一稿です。

これについては四回の連載を予定している原稿ですので、当ブログでも同様に連載していこうと思っております。

若干宗教的な色彩が強いと思いますがその辺りはどうか御容赦願えれば、と思います。

繁栄と幸福への道(仮)

 人間の幸福を妨げているものはいろいろあると思うが、そのうち主なものは先ず病気心の悩み(心配事)、それに貧乏と云う事の三つであるように思われる。

 この三つのうち一つもない人があったら、その人はすでに「幸福な人」であるが、大抵の人がこのうち一つか二つ、或いは全部を持って苦しんでいるのではないかなどと思う事もある。

 いや、そういうことを言う自分自身、此の処健康を害して病院通いを繰り返していた私は、つくづく健康の優れないのを悲哀に感じたもので、「先ず人間は働かねば」と思っても、体調の優れない体ではその気力もなかなか出ない。

「食欲がない」「食べられない」「痛い採血」「苦い薬」「検査」・・・・。
病気には金持ちと貧乏人、地位の高低などの区別はない。
それこそ、医者の言うなりに、医者の言うことを「ハイ、ハイ」と信仰してしまう。
それも治ればよいが、働き盛りの若さで死んでしまう人もいる・・・。

 金のない者は、何かにつけ「金さえあればなぁ」などと思う。
確かに、実際は金さえあれば都合良く行く事が金のない者には沢山あるが、その「お金」がなかなか手に入らない。
 誠に四百四病の病より「貧」ほど辛いものはない・・・。
昔から「貧乏」である為に如何(どんな)に多くの悲劇が行われたかは言うまでもない。特に「貧乏」のうえに、「病気」や「心の悩み」が加わるとその人達の生活は、まさに此の世の地獄、かくて甚だしいのは無心の幼児を道連れに「一家心中」まで起こり場合もあり、そのような人の全てを先ず、「貧」から救い出す方法(てだて)がないかと思うものである。然し、不況の時代と見聞する。職を探しても職場はそうざらにある訳でない・・・。

 思うに現代の医学が日に、月に進歩しつつあることを喜ぶものであるが、だが然し如何(どんな)に行き届いた医療を受けても治らぬ、などと云う処を見ても、まだ現代医学では完全な治療効果をあげ得ないことであり、勿論医者にかかれぬ「貧乏人」の中には医者にかかれば治る人も居られるで在ろうが、そのような人を救い上げるとともに、全ての人を病人にする以前に、生涯健康で通させる方法はないものであろうか。
 然るに、お互い生身の身体(からだ)を持っている一人一人である。

 それにまた心の悩み、即ち心配事のある人は「この心配事さえなかったらなぁ」と思う。例えば「夫婦間の不和」「親子の不和」「親族との争い」「父または息子の酒乱」「息子の暴力」「浪費」「不良」「先天的な障害」「結婚難」「失業苦」「上役との不和」「借金の苦しみ」「事業の不振」等々、そういう心配事のある人は、その為に安眠も出来ず、毎日悲しみの日々を送るのであろう・・・。

 さて、これら三つの悩み、即ち「金がない」「病気」「心の悩み」とは、そのうちどれ一つあっても、その人は本当の「幸福の人」とは言えないのかも知れない。
 然し、今は科学が発達している時代である故に「心の持ち様」が損なわれている様に散見される。

 本来は科学の進歩同様、我々の考え方も進まねばならぬのではなかろうか・・・。
これら三つの苦悩を全て無くして、誰でも幸福に浸ることは出来得る道はないのであろうか・・・。

 その道がどのような道であるのか・・・。

これから皆様方と一緒に訪ねていくことにしたいと思います。

| | コメント (6) | トラックバック (4)

2006年8月 4日 (金)

現代と神道 ~その1~

しばらくの間、いつものようなエントリに挟みまして、最近の主旨とは若干趣向を変え、「神道」というものの学術的に捉え、現代における問題を考察してみたいと考えています。
今回は「神道と日本人」というテーマで論考してみたいと思います。

まず元来の日本人と神道のつながりについて考察していきたいと思います。

日本文化の特性と神道の起源及び性質について考えていくと大変密接な関連性が見えてきます。
日本人にとって生活変化の大きな分岐点となった「稲作農耕」伝来以来、農耕中心の基盤が作られ、それまでの狩猟生活と代わり「定住生活」になりました。
そして、その「稲作農耕」がそれまでの価値観を大きく変え、日本人の精神的特徴と考えて差し支えないであろう「勤勉性」「集団性」が育まれていくわけです。
そこに「大自然」と切っても切れない関係が始まったのです。

農耕における大きな特徴として、自分達が頑張れば頑張った分だけ収穫があり、更に言えば、その収穫量を高めるために、様々な努力を重ねればそれだけの恩恵を受けることが出来たのでしょう。若干乱暴な理論ではありますが、そこから「勤勉性」という要素が出来上がったと考えます。
更に「稲作農耕」には出来るだけ多くの「手」が必要です。
そういった文脈の中で多くの日本人達が「共同体」を形成し、農耕を営む、そこには特別な「仲間意識」のようなものが芽生えてくるというよりは、日常の生活の中で、お互いを必要とし、され、自然と相手の気持ちを考え、「思いやり」が生まれてきたのではないでしょうか。それを「集団性」と考えます。

これらを前提としたうえで、その農耕に際して重要なものがあります。
      「暦」です。
安定した稲作農耕を行うために季節を知らずしては出来ません。
その季節は何によって左右されているのか・・・・・。
      そう、「太陽」です。
つまり、農耕を営むうえで必要不可欠である「季節」を司るのは「太陽」であり、所謂「お天道様」の御心一つで稲の豊穣が左右されるのです。
神道において最高神とされるのは(ご存じの方ばかりだとは思いますが)、天照大神です。
天照大神「太陽神」とされる女神であり、神々の世界「高天原」を司る神でもあります。
そして、「時間、季節」を司る神として月読命がいらっしゃいます。
さらに大海原を始めとして地上の水、全てを司られる建速須佐男之命がいらっしゃるのです。

この三柱の神様達は前述の事柄だけを司るわけではありませんが、古事記の「ことよさし」において、各々がそれらを司るように伊邪那岐大神に命ぜられています。
これらが大変重要な事柄を示唆しているように思います。

つまり、「神道信仰」の起源は「暦」が必要となり、季節を左右する太陽、雨(水)の存在が大変重要であった時期、即ち日本に稲作農耕が伝わってきた弥生時代であり、それは日本人の祖先が日本人的な性質、前述の「勤勉性」「集団性」を育み始めた頃と同時期ではないか、と私は考えます。

この私の考えを裏付けてくださるような学説も多くあります。
國學院大學学長の安蘇谷正彦氏は著書(「神道とはなにか」 ペリカン社 1994年)の中で安津素彦氏の日本文化人説(神道思想史 前篇)を支持し、神道的祭りの成立時期、神饌としての「米」の重要性、延喜式などの祭りの制度的側面における稲作農耕との関連性、日本書紀の「斎庭の穂の神勅」などに散見される関連性、さらには本エントリの上記にある日本文化の特性に見られる稲作農耕との関連性など、もっと学者らしい論説を述べられています。

そこで現代に目を移してみたいと思います。

まず「勤勉性」という点について考えると、現政府が推進する所謂「新自由主義」といわれる市場原理至上主義に基づく株式売買などによるマネーゲームの横行であったり、社会情勢、経済の不安によってもたらされた「ニート」「引きこもり」といわれる働かない、就学しない若者の増加であったり、戦後の様々な要因によって引き起こされてきた教育に関する問題など、元来の日本人の特性としての「勤勉性」は最早失われてしまったように思います・・・。
さらに「集団性=思いやり」という点について考えるともっとひどいように思われます。
様々な場面で公衆道徳といわれるものが欠けている方を良く拝見したり、近所のトラブルが元で人を殺したり、大人が子供を連れ去り殺したり、反対に子供が親を殺めたり・・・。挙げていけばキリがありません・・・。
教育現場における荒廃であるとか、マスコミの報道の在り様であるとか、「個」を尊重し過ぎるきらいがあるうえに、「教育勅語」のように自己犠牲の精神を尊べというようなことを言えば、やれ「軍国主義だ、全体主義だ」と騒ぎ立てる・・・・・。
そして先日の先帝陛下の発言とされる、所謂「富田メモ」などの報道に見られる現状など、その最たるものであるように思います。
きちんとした検証もせず、自分達の都合に合わせ恣意的な解釈、報道をし、本当の先帝陛下の御心など顧みもしない。
その発言がどれだけの影響を及ぼし、同じ日本人に対してどれ程の迷惑を与え、日本人としての心を傷つけることなのか、考えずに報道されているように思います。

現代の日本人の在り方に足りないもの・・・・・・・・・・・・・。

そういうものが本来の日本人の在り方に立ち戻れば、はっきりとした形で見えてくるのではないのでしょうか・・・。

少しエキサイトしすぎて論点がずれてきたように感じます・・・・・。
ちょっと頭を冷やした方が良さそうです・・・。(汗)
また続きは時間が出来たときにしたいと思います。
中途半端になってしまい申し訳有りません。(反省)

また、別のエントリを挟んで続きを書きたいと思います。

| | コメント (10) | トラックバック (3)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »