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2006年8月 4日 (金)

現代と神道 ~その1~

しばらくの間、いつものようなエントリに挟みまして、最近の主旨とは若干趣向を変え、「神道」というものの学術的に捉え、現代における問題を考察してみたいと考えています。
今回は「神道と日本人」というテーマで論考してみたいと思います。

まず元来の日本人と神道のつながりについて考察していきたいと思います。

日本文化の特性と神道の起源及び性質について考えていくと大変密接な関連性が見えてきます。
日本人にとって生活変化の大きな分岐点となった「稲作農耕」伝来以来、農耕中心の基盤が作られ、それまでの狩猟生活と代わり「定住生活」になりました。
そして、その「稲作農耕」がそれまでの価値観を大きく変え、日本人の精神的特徴と考えて差し支えないであろう「勤勉性」「集団性」が育まれていくわけです。
そこに「大自然」と切っても切れない関係が始まったのです。

農耕における大きな特徴として、自分達が頑張れば頑張った分だけ収穫があり、更に言えば、その収穫量を高めるために、様々な努力を重ねればそれだけの恩恵を受けることが出来たのでしょう。若干乱暴な理論ではありますが、そこから「勤勉性」という要素が出来上がったと考えます。
更に「稲作農耕」には出来るだけ多くの「手」が必要です。
そういった文脈の中で多くの日本人達が「共同体」を形成し、農耕を営む、そこには特別な「仲間意識」のようなものが芽生えてくるというよりは、日常の生活の中で、お互いを必要とし、され、自然と相手の気持ちを考え、「思いやり」が生まれてきたのではないでしょうか。それを「集団性」と考えます。

これらを前提としたうえで、その農耕に際して重要なものがあります。
      「暦」です。
安定した稲作農耕を行うために季節を知らずしては出来ません。
その季節は何によって左右されているのか・・・・・。
      そう、「太陽」です。
つまり、農耕を営むうえで必要不可欠である「季節」を司るのは「太陽」であり、所謂「お天道様」の御心一つで稲の豊穣が左右されるのです。
神道において最高神とされるのは(ご存じの方ばかりだとは思いますが)、天照大神です。
天照大神「太陽神」とされる女神であり、神々の世界「高天原」を司る神でもあります。
そして、「時間、季節」を司る神として月読命がいらっしゃいます。
さらに大海原を始めとして地上の水、全てを司られる建速須佐男之命がいらっしゃるのです。

この三柱の神様達は前述の事柄だけを司るわけではありませんが、古事記の「ことよさし」において、各々がそれらを司るように伊邪那岐大神に命ぜられています。
これらが大変重要な事柄を示唆しているように思います。

つまり、「神道信仰」の起源は「暦」が必要となり、季節を左右する太陽、雨(水)の存在が大変重要であった時期、即ち日本に稲作農耕が伝わってきた弥生時代であり、それは日本人の祖先が日本人的な性質、前述の「勤勉性」「集団性」を育み始めた頃と同時期ではないか、と私は考えます。

この私の考えを裏付けてくださるような学説も多くあります。
國學院大學学長の安蘇谷正彦氏は著書(「神道とはなにか」 ペリカン社 1994年)の中で安津素彦氏の日本文化人説(神道思想史 前篇)を支持し、神道的祭りの成立時期、神饌としての「米」の重要性、延喜式などの祭りの制度的側面における稲作農耕との関連性、日本書紀の「斎庭の穂の神勅」などに散見される関連性、さらには本エントリの上記にある日本文化の特性に見られる稲作農耕との関連性など、もっと学者らしい論説を述べられています。

そこで現代に目を移してみたいと思います。

まず「勤勉性」という点について考えると、現政府が推進する所謂「新自由主義」といわれる市場原理至上主義に基づく株式売買などによるマネーゲームの横行であったり、社会情勢、経済の不安によってもたらされた「ニート」「引きこもり」といわれる働かない、就学しない若者の増加であったり、戦後の様々な要因によって引き起こされてきた教育に関する問題など、元来の日本人の特性としての「勤勉性」は最早失われてしまったように思います・・・。
さらに「集団性=思いやり」という点について考えるともっとひどいように思われます。
様々な場面で公衆道徳といわれるものが欠けている方を良く拝見したり、近所のトラブルが元で人を殺したり、大人が子供を連れ去り殺したり、反対に子供が親を殺めたり・・・。挙げていけばキリがありません・・・。
教育現場における荒廃であるとか、マスコミの報道の在り様であるとか、「個」を尊重し過ぎるきらいがあるうえに、「教育勅語」のように自己犠牲の精神を尊べというようなことを言えば、やれ「軍国主義だ、全体主義だ」と騒ぎ立てる・・・・・。
そして先日の先帝陛下の発言とされる、所謂「富田メモ」などの報道に見られる現状など、その最たるものであるように思います。
きちんとした検証もせず、自分達の都合に合わせ恣意的な解釈、報道をし、本当の先帝陛下の御心など顧みもしない。
その発言がどれだけの影響を及ぼし、同じ日本人に対してどれ程の迷惑を与え、日本人としての心を傷つけることなのか、考えずに報道されているように思います。

現代の日本人の在り方に足りないもの・・・・・・・・・・・・・。

そういうものが本来の日本人の在り方に立ち戻れば、はっきりとした形で見えてくるのではないのでしょうか・・・。

少しエキサイトしすぎて論点がずれてきたように感じます・・・・・。
ちょっと頭を冷やした方が良さそうです・・・。(汗)
また続きは時間が出来たときにしたいと思います。
中途半端になってしまい申し訳有りません。(反省)

また、別のエントリを挟んで続きを書きたいと思います。

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コメント

喜八さん、こんにちは。
コメント有難う御座います。

>これは日本古来の神道の強さを示すものではないか?
というのが私の仮説です。

私も近い考えを持っています。
仏教伝来以前の日本は「神々の国」であり、崇敬の対象は「神」以外にはありえなかった、そして聖徳太子らの時代に仏教が伝来しその教えの内容の素晴らしさに感銘を受け、何とかこれらの教えを普及できないものか、と考えられたのだと思います。
そこで生まれた発想が所謂「本地垂迹説」でありました。

そこに感ぜられるのは日本人の自然に対する感謝と畏怖、両極の念から育まれた日本人の「神々に対する強い信仰」ではなかろうかと思います。

興味深い論考と仮説を有難う御座います。
今後の参考にさせていただきたいと思います。

追伸:大変興味深いエントリのTBを有難う御座いました。
    また送ってくださいね。

投稿: 管理人 | 2006年8月15日 (火) 15時44分

田舎の神主さん、こんにちは。

> 神道信仰」の起源は「暦」が必要となり、季節を左右する太陽、雨(水)の存在が大変重要であった時期、即ち日本に稲作農耕が伝わってきた弥生時代であり、それは日本人の祖先が日本人的な性質、前述の「勤勉性」「集団性」を育み始めた頃と同時期ではないか

最近、私も神道について(ない脳みそを酷使して)いろいろと考えています。

日本にはキリスト教、イスラム教のような非常に強力は宗教があまり広まりません。
キリスト教徒、イスラム教徒がこれほど少ない国は珍しいのではないでしょうか?
これは日本古来の神道の強さを示すものではないか?
というのが私の仮説です。
というよりは単なる「思いつき」に過ぎませんが・・・。

田舎の神主さんの論考は非常に参考になります。
ゆっくりと何度か読み直させていただいています。

投稿: 喜八 | 2006年8月15日 (火) 13時35分

mergeさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。

いつも興味深い論考でこちらこそ勉強になります。

>論点が少しずれますが、例えば、皇位継承の大原則「男系継承」というのも、まず皇祖神が「女性」だからこそ、成り立つのではないかと。

ほぼ同感です。
皇祖神が独神で「誓い(うけい)」によって須佐之男命のお力で跡継ぎがお生まれになられたことも然り。そしてそれが天孫ニニギノ命へ繋がり、さらにそれが神武天皇へ、そして後の皇統へとなっていくのです。  ・・・古事記のことでmergeさんにお話しすると「釈迦に説法」ですね・・・。(反省)
こんな事を書くと本当に「炎上」してしまいそうですが、つまり私が何を申したいかといいますと

>皇祖神「女」→天皇陛下「男系」→国民「女系」
>或る意味、男女平等ですね(笑)。うまくバランスとっています。

これと近いと思うのですが、「大化の改新」以前の日本では或る意味で「母権制社会」であり「父権制社会」ではなかった、そして様々な社会状況から「父権制社会」への移行を迫られた、というのが私の説です。またこのことについては後のエントリで触れたいと思います。

>『古事記』を読んでいると、このようなシンプルで曖昧な構造が、とても美しく綴られていると、おもうのです。それをなんとか言語化しようと、本居宣長や平田篤胤ら、国学の先人達ががんばってくれたのではないか、とおもいます。

まったくそうですね。本当に頭が下がる想いです・・・。
宣長先生や平田先生、その他柳田先生など国学や民俗学を研究し、言語化をはかり後世を生きる我々に祖先の教えを分かる形で残して下さった・・・。有難いの極みです。

他にもリアクションしたい部分がmergeさんのコメントの中にはたくさんあるのですが、また今後のエントリで触れていきたいと思います。

有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年8月13日 (日) 18時40分

コメントがおくれてしまって、申し訳ありません。エントリのほう、だいぶ前に読ませていただいて、いたのですが、ちょっと忙しくて時間的にも、精神的にも余裕がとれませんでした。

たいへん、勉強になりました!

僕は、日頃、じぶんは神道にそって生きているつもりなのですけど、なんせ教義があるようでないような宗教(?)なので、時々、「これで、オレは大丈夫なのだろうか?」と疑問に思ったりもして、今回からはじまるこのシリーズは、とても楽しみにしておるのです。

仏教については、やはり、インドが祖なので(べつにインドに偏見はないのですが)、個人的にじぶんは日本人という自覚が強くありますから、仏教より神道、って心に留めているいるのですけど、「神道ってなに?」って聞かれたりすると、とりあえず、

>天照大神は「太陽神」とされる女神であり、神々の世界「高天原」を司る神でもあります。

>女性神が最高神になるというのは大変珍しいことです。

といった、田舎の神主さんがエントリで書かれたような説明をしております。

そこで、じつは、ずっと心配していたことがあるのですけど、天照大神を「男神」とされる方々もいらっしゃいますが、これというのは、うまく表現できませんが(もし、以下のようなことを書いて、田舎の神主さんのブログが炎上するようなことがあったら、申し訳ありません、その時は、このコメントを削除してください)、

「男神」として日本の有り様(つまり「女神」だからこそ、その有り様の意味がある)をとらえて、そこから、日本を語ったり、政治や教育、その他、日本人の生活に関わることを語るのは、「反日」行為だと思うのです。

とても言いづらいのですが、たとえ本人がこの行為を自覚していなくても、結果的にそのようなことになってしまうので、もし国を憂えて、本気で日本の行く末を心配していたとしても、結果、国の根幹を、それこそ、靖国問題以上に、揺るがせてしまうと、個人的に、危惧しております。

論点が少しずれますが、例えば、皇位継承の大原則「男系継承」というのも、まず皇祖神が「女性」だからこそ、成り立つのではないかと。

皇祖神「女」→天皇陛下「男系」→国民「女系」

或る意味、男女平等ですね(笑)。うまくバランスとっています。でもこれが「男」→「男」→「女系」になってしまったら、なんだが、

美しくない!

ですよね…

すみません、珍説を書いてしまって。

でも大切な事って、とてもシンプルで、神道の教義のように曖昧なものだとおもいます。

『古事記』を読んでいると、このようなシンプルで曖昧な構造が、とても美しく綴られていると、おもうのです。それをなんとか言語化しようと、本居宣長や平田篤胤ら、国学の先人達ががんばってくれたのではないか、とおもいます。

ですので、日本の根幹である「女性神」を「男性神」とするのは、とてつもなく重い大罪になりえるのではないか、などと感じております。

次回、楽しみにしております。この後のエントリ、さっそく読んでみます。

私のブログへコメントとTB、ありがとうございました。

投稿: Merge | 2006年8月13日 (日) 12時34分

のりさん、こんばんは。
TBとコメント有難う御座います。
お誉めのお言葉を頂戴しまして大変恐縮です。

そうなんですね。
女性神が最高神になるというのは大変珍しいことです。
暦についても、日本独自のものがありますから大変興味深い部分でもあります。
いずれそれらのことにもエントリの中で触れて行けたら、と思っています。

投稿: 管理人 | 2006年8月12日 (土) 00時06分

こんにちは。私も素人ながら同意できる点が多くうなずいてしまいました(^ー^*)ゞ
太陽神で女性というのも日本独自の感覚ではないのでしょうか?また暦というのも日本の共同性の一つなのかも知れません
私もその事を悪用している輩には憤りを覚えている一人です

投稿: のり | 2006年8月11日 (金) 15時34分

milestaさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
お誉めいただいて恐縮です。

アボリジニの信仰について以前少し聞いたことがあります。
やはり「プレ・アニミズム」を基盤とする多神教の信仰であったと思います。
以前の日本人が太陽の恵みに感謝し、その年の五穀豊穣を祈願したように、「自然と共にある」というよりは「自然の中に自分達があり、生かされている」という発想の方が強いのでしょうね。
あくまでこの地上に生きる者達はその自然の恩恵によって存在できている、という前提に立った考え方であろうと思います。
私個人としてもそう思っていますし、恐らく「神道」という信仰もその前提に立っているのだと思います。

それらには様々な考え方や有り様がありますが、私はそういう風に様々な事象を捉え、敬って暮らしを営んできた元来の日本人が大好きです。
私自身も常にそう在りたいです。

有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年8月 5日 (土) 13時33分

spiralさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
お誉めいただいて恐縮です。
神道について知らない方が非常に多く、そのことが靖国神社のことにしても、先日の富田メモにしても、事態を理解しづらくしている要因であるような気がしてならなかったのです。

>大変分かり易く書かれていて、勉強になりました。

そういっていただけて良かったです。
いざ、書き始めてみると、我々神職の人間には当たり前の言葉であっても、一般の方々には解らない様な言葉もありまして、それをどう「ことば」にしていくかをとても悩みました。
有難う御座います。

ただ、spiralさんのような博学な方からの、あまりのお誉めのお言葉にちょっと戸惑い気味です。(汗)
ご期待に添えるように気合いを入れて書いていきたいと思います。
お手柔らかに・・・。
宜しくお願いいたします。

投稿: 管理人 | 2006年8月 5日 (土) 13時17分

神道の専門的なお話をわかりやすく書いてくださり、それを今の社会と結びつける・・・神主さんならではのすばらしい記事ですね。spiralさん同様、このシリーズ楽しみです。

今日、オーストラリアの原住民“アボリジニ”の文化について教えてもらう機会がありました。自然と共生する人達なので、神に対する考え方が神道ととてもよく似ているような気がします。

TBはいつでも大歓迎です。またよろしくお願いします。

投稿: milesta | 2006年8月 4日 (金) 23時41分

こんばんは。
新シリーズ読ませて貰いました。大変分かり易く書かれていて、勉強になりました。私のようなにわか勉強しかしていない者とは違い、本職の神主さんが書かれるこのシリーズは、絶対素晴らしいものになると思うので、続編にも期待しています。

投稿: spiral | 2006年8月 4日 (金) 01時10分

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