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2006年8月18日 (金)

現代と神道 ~その2~

 今回は「神道」を学術的に考えるとき、重要な素材の一つとなる「神道古典」から「神道に於ける死生観」について考察を深めたいと思います。

 「神道古典」の中でもとりわけ重要とされる「記紀」
 特に今回は「古事記」の中から本来は順を追ってお話をさせて頂くべきなのですが、失礼ながら1部抜粋させていただき、そこから話を始めさせていただきたいと思います。
 かなり前、途中、後を端折りますが、私なりに口語訳及び省略させて頂きながら話を進めたいと思います。

 『天神諸からこの世界の「修理固成」を命ぜられたイザナギノミコトイザナミノミコト「国生み」「神生み」を進められ、そして或る時、イザナミノミコトは火神である「ホノカグツチノミコト」をお産みになった。しかし、その火神の火の勢いが余りにも強かったため、イザナミノミコトは女陰(ほと)に大火傷を負われた。そしてイザナミノミコトはその火傷が元でお亡くなりになって仕舞われた。』

 先ずここで一つ考えたいことは、「イザナミノミコト」の死と引き替えにもたらされた「火神」がこの国の民に何をもたらしたのか、ということではないかと思うのです。
 「火」は我々日本人が弥生時代より主食としてきた「米」を炊いたり、料理をするためには欠かすことの出来ないものです。
 更にそれらを調理するために必要不可欠なもの、そう、鍋等の調理道具です。
つまり、当時で考えるならば、それは「土器」であり、「銅器、鉄器、金属器」であったでしょう。やはりそれらを焼いたり、精製したり、加工するためには「火」は欠かすことが出来ません。即ち「土器文明」「銅器、鉄器、金属器文明」もここから端を発していると考えられるのではないでしょうか。
 それを裏付けるように「古事記」の中では「イザナミノミコト」が寝込まれた際に、その吐瀉物から「カナヤマビコノカミ、カナヤマビメノカミ」という鉄や金物の神、屎から「ハニヤスビコノカミ、ハニヤスビメノカミ」という土、粘土の神、更に尿からは、後に「食物神」として良く「稲荷社」に祀られている「豊受毘賣神(トヨウケビメノカミ)」をお生みになる「ミツハメノカミ、ワクムスヒノカミ」という神がお成りになったのです。それらのことを複合的に考えるならば、日本人の「熟食の道」を開き、古代の文明社会の基礎が生まれていった、そう考えても良いのではないでしょうか。

 『イザナギノミコトイザナミノミコトの死を悲しみ、その「死」の原因となったホノカグツチノミコトの首を、怒りにまかせてたたき切ってしまう。そしてその後、イザナギノミコトはイザナミノミコトの死を悼み、その亡骸の周囲をグルグルと回りながら泣き叫んだ。

 この行は「殯(もがり)の儀」、即ち現代に於ける「通夜祭」若しくは「通夜の儀」を表現していると考えられます。つい今しがたまで動いていた愛する者が動かなくなり、それを何とかして「もう一度動いてくれ」「その手足をもう一度動かして・・・甦ってくれ」と祈り、大きな声を出してその魂を呼び戻す、所謂「魂呼び」といわれる儀式の基礎となったのではないかとも考えられます。

 『いくら殯(もがり)を行っても甦ることのないイザナミノミコトを眺め、もう動き出すことのないことを悟ったイザナギノミコトは出雲の国と伯耆の国の境にある比婆の山にその亡骸を葬った。しかし、どうしても妻のことを忘れられないイザナギノミコトは愛する妻と逢うために「黄泉の国」へと赴く・・・・・。』

 この行も前項と同様、現代に於ける「葬場祭」若しくは「葬儀、告別式」、更に「埋葬」について表現されているのではないでしょうか。「通夜」を通じもう甦らぬことを悟り、神葬祭で言うところの「遷霊」を行い、「埋葬」となるのです。現代と違うところは・・・と言えばその後の部分にある、死んでしまった「イザナミノミコト」に逢いに行ってしまった「イザナギノミコト」と違い、神式では「十日祭」などのように十日毎、仏式では「初七日」に代表されるように七日毎に、亡くなった方を悼み、惜しみ、悲しみながらも遺族がその方の「死」を受け入れるために「御供養」をされると云うことでしょうか・・・。

 しかし、そういう慣習も様々な宗教的な教えも勿論ありますが、それらに基づくということだけでなく、先人達の悲しむ姿がそういった精神的な負担を徐々に軽減させていこうとした周囲の人々の「思いやり」が育んできた、結果でもあるかも知れません・・・。 これは私の勝手な推測でしかありませんが・・・・・。

・・・・・・物語はまだまだ続きますが、次回に引っ張らせて頂きたいと思います。
・・・・・・少し、いやらしいですかね?
      なかなか更新できないので少し引っ張らせてください。(笑)

  次回はいよいよ、イザナギノミコトが黄泉の国へと赴きます!

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コメント

milestaさん、こんばんは。
コメントとTB有難う御座います。
また貴ブログにて拙ブログのご紹介有難う御座いました。

今、milestaさんのブログの方にもコメントして参りました。
全く都合の悪いことなどございませんのでどうぞご遠慮なくお載せ下さい。

有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年8月27日 (日) 22時48分

のりさん、こんばんは。
コメント有難う御座います。

「もがり」について、簡単にご説明しますと「もがり」というのはその亡骸にすがり、まだその魂は宙に浮いているので、何とかそれを戻そう、というある種の祈りのことです。
それらの細かい事柄については柳田国男の著書などに詳しいです。

>人間の哀しみの中で希望の行為とも言えそうですね。
>十日毎。七日毎などは痛みを和らげる先人達の知恵と私も思います。
>このようなささやかな知恵を大事にしたいものです。

そうですね。私もそう思います。
多くの悲しみからそれらの手段を用いて、如何様にしてその悲しみを克服してきたのか、「古事記」「日本書紀」などを読むと先人達の周囲に対する「思いやり」のようなものを感じます。
また詳細は続きのエントリで書きたいと思います。

有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年8月27日 (日) 22時46分

神話の絵本を記事にしたのでTBさせてもらいました。
記事の最後に神主さんのブログも紹介いたしました。もしもご都合が悪ければ、お手数ですがお知らせください。

投稿: milesta | 2006年8月27日 (日) 14時51分

こんにちは
モガリと言うのは魂が帰ってくるかもしれないと言う事ですか。
人間の哀しみの中で希望の行為とも言えそうですね。
いろいろの神様がいると言う事いかにも曖昧な国?もしくは寛大な国日本?ともいえそうですね
十日毎。七日毎などは痛みを和らげる先人達の知恵と私も思います。少しレベルが違いますが相撲の後の儀式や映画の後の名前も終了時の混乱を避ける知恵と言われています。
このようなささやかな知恵を大事にしたいものです。

投稿: のり | 2006年8月27日 (日) 08時37分

milestaさん、こんばんは。
わざわざレスポンス有難う御座います。
細かいところはまた、これからエントリの中で触れていきたいと思います。
有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年8月22日 (火) 19時48分

ご丁寧に説明いただきありがとうございます。
翻訳の問題ですね。わたしもそう思います。それで他国の人も、日本人さえも混乱するのでないかと思っています。
次の記事楽しみにしています。

投稿: milesta | 2006年8月21日 (月) 23時12分

milestaさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。

いくつかご質問を頂戴しましたので、私なりに思うところを簡単にお答えしたいと思います。

まず、
>神道では人は亡くなったら魂が自然の中に留まって子孫を見守るのですよね。

ということですが、大体在っていると考えて頂いても差し障りありません。
特に柳田國男説では山の中腹くらいのところに祖先神がいらっしゃって、春祭り(祈年祭、祈稔祭など)や秋祭り(五穀豊穣の感謝祭、新嘗祭など)の時にそこから降りてこられる、などと考えられています。(柳田國男 「山宮考」など参照)

それと
>記事にある神様達も、私たちの遠い遠い先祖であって、人間と切り離されたGODとはちがいますよね。

勿論です。
キリスト教などの所謂「絶対的一神教」と神道における・・・というか「日本の神々」は全くの別物です。
キリスト教を例にとって考えると「GOD」は「創造主」であり、この世の秩序の全てであります。そして「神との契約」という概念がありますね。細かいところは、またこのエントリの続きで述べたいと思いますが、前述の「契約」「最後の審判」と「救済論」などが大きな柱と考えて良いのでしょうか。
そういった宗教観に考えられる「GOD」という絶対的な神に対して、神道の神々は全知全能的な絶対能力もお持ちではないし、妙に「人間くさい」のです。
それは所謂「記紀」の中の記述を見ても感じられます。
「天地初發」の項を見ても「天御中主神」や「高御産巣日神」、「神産巣日神」など(他にもいますが書き上げると長くなるのでこの辺にしておきます)、これらの神様は宇宙の創造神と古事記の中ではされていますが、最初のこの項以外に御名前が出てくることはありません。更に言えば姿をお見せにならなかった、という記述まであります。
・・・簡単にと言ったのにだいぶ書いてしまいましたね・・・。
とまぁ、色々書いていけばキリがないのですが、一言で説明するならば、一神教とは「神観念」が違うと言うことです。
これは日本国内に「GOD」という言葉が入ってきた時に「神」という言葉を翻訳語として充てたのが抑もの間違いなのかも知れません。翻訳文化の弊害といえるかも知れません。
・・・うーん・・・これで一つエントリ書けたかも・・・。(笑)

最後の部分の
>参拝は感謝や慰霊に行くのであって、GODを崇め信仰しているのでないですよね。

これも上記の説明でご理解いただくのに足りますでしょうか?
靖国については考え方を若干、異にしますが大方間違い無いと思います。
これについてもそのうちエントリにしたいと思っています。

長文乱筆にて失礼致しました。
読みにくいかも知れませんがどうか御容赦下さい。
説明不足なところは御指摘頂ければ、エントリにするときの参考にさせて頂きますのでご遠慮なく仰って下さい。

投稿: 管理人 | 2006年8月21日 (月) 14時59分

先ほど拙ブログにコメントを頂きありがとうございました。そのお返事に「神道」についてちょこっと書いて、ここにきたら神道シリーズが更新されていて驚きました。コメントのお返事と重なりますが・・・。

「神道」は日本そのもの、「神」は始祖だというのが、私の今のところの理解です。

一度、こちらの人に「あなたはシントイストだから自分が死んだらGODになると思っているのでしょう?」と言われて、たいへん違和感をもちました。神道では人は亡くなったら魂が自然の中に留まって子孫を見守るのですよね。(合っていますか?)そういう意味では孫達に「おばあちゃんはかみさまになっていつも見守ってくれている。」と言われるかもしれないとは思うけれど、全知全能のGODになるなんて全く想像したこともありません。(そんな荷が重いものになりたくもないし。)
今日の神主さんの記事にある神様達も、私たちの遠い遠い先祖であって、人間と切り離されたGODとはちがいますよね。

神=GODという考え方だと「靖国神社には戦争で亡くなった人達がGODとなり信仰の対象になっている。」などという誤解が生まれるのだと思います。英霊は「先祖」であり、参拝は感謝や慰霊に行くのであって、GODを崇め信仰しているのでないですよね。

長々と書いてしまいましたが、間違いなどがありましたら教えてください。

投稿: milesta | 2006年8月20日 (日) 20時24分

早雲さん、こんにちは。
ご無沙汰して居りました。
コメント有難う御座います。
いつもTBを頂きながら、返事やこちらからのTBを返すこともせずに大変失礼致しました。

また私も早雲さんのブログで勉強させて頂きたいと思います。

投稿: 管理人 | 2006年8月20日 (日) 18時16分

mergeさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。
mergeさんからそんなに褒めて戴けると天狗になってしまいそうなので少し自戒しておきます。(笑)

本当に「古事記」は素晴らしいですよね。
宣長先生を始め、古事記の伝承に心血を御注ぎになられた先人に対し感謝の念が堪えません。

気合いを入れて続きを書きたいと思います!!
・・・1回別エントリを挟む予定だった・・・。(反省)

投稿: 管理人 | 2006年8月20日 (日) 18時13分

ご無沙汰しております。お変わりありませんか。
さて、TBありがとうございました、大変参考になります。
続きを待っています。

投稿: 早雲 | 2006年8月19日 (土) 21時35分

すばらしい…

僕の視点からでは絶対に書けないことが、たくさん書いてありました。とっても勉強になりました。

田舎の神主さんがおっしゃるように、『古事記』は「思いやり」の結晶ですね。

つづき、たのしみにしております!

(^-^)ノ

投稿: Merge | 2006年8月19日 (土) 13時33分

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