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2006年9月14日 (木)

繁栄と幸福への道 ~その3~

今回で三回目を迎えたこの連載ですが、やっと当社の会報にも載せる運びとなり、八月の最終号から掲載し、連載の方はもう既に前回、前々回の分は掲載致しました。

次号では今回の分を掲載する予定であります。

また、掲載にあたって、第二回までの評判でなかなかの高評価を頂戴し、与えられたスペースが多くなった為、今回はここまでの三回の中で一番の長文となってしまいました。

読みにくいかも知れませんがどうか御容赦頂きたいと思います。

繁栄と幸福への道

 斯くの如く、科学の発達による便利をも含めて、あらゆる場面に於いて、前回に述べたような人々を幸福にする一大指導精神が発見されてくると自分が尊いこと、即ち「己」の大切さが分かってくる。
 そのような感性に目覚めた者は、万物を見る目がそれ以前とは違ってくる。
言わば森羅万象の全てを生命的に見る眼、大生命の個別的顕現「物事をはっきりと顕すこと」と見る眼が啓けたりするもので、其処に生えている一本の草や一本の木を見て「神格化」さえ覚えるようになるものである。

このことを我が師の言葉をお借りするならば「宇宙の繁栄道、大原則」であるという。

 「宇宙の繁栄道」とは?
目に見える現象界の奥にあって「現象界を斯くしめている」目に見えぬ宇宙の大法則のことである。それは永遠の過去から、永遠の未来にわたって日夜に万物を生じ、万物を育て、且つ万物を栄えしめつつ、然もその間に大調和在らしめている道のことである。
そのように全ての生き物をその胎内で育てている「宇宙」そのものは、生きているに相違ないと見るのが師の、そして私自身の着眼点である。
なぜならば、生き物は生き物からしか生まれないからである。
宇宙を大きな生物、即ち「大生命」とはこのことを指し、云うのであり、所謂人類は「小生命」である。
故に宇宙はそのまま大きな生命であって、その大きな生物の作用が万物を栄えしめているのであると、我が師、そして私は信じるのである。

 私達は「小生命」たる人間として、このような「大生命」の作用を端的に「宇宙の繁栄道」と、そう呼んでいる訳である。
従って私達のいう「宇宙の繁栄道」「宇宙の大法則」の事であり、所謂「大生命の作用」を云うのである。

 この宇宙間には斯くの如く、万人を繁栄、幸福に導く「一大鉱脈」が在る事を知った者は幸いである。自己の繁栄を希う者は、この道に帰一すれば良い、自己の健康を希う者もこの道に精進すれば良いのである。
この宇宙がそのまま一つの大きな生命である事を知り、人間を始めとして、万物は皆その大生命の胎内に生じている小生命であること。
言い換えれば、万物は皆、「大生命」の個別的顕現であることを理解し、「大生命」と「小生命」たる万物は一体である知り、悟るのがそれであろう。
その様な生命観、一体観を宗教的に把握するのを仏道では「悟道」とか言うが、それは科学的な教理や実験、推理に依らずに、その人の心身が浄化し尽くしている時に「パッ」と直感的に感じる、その体験体得が「悟り」であり、「所謂大生命と小生命とが一体になった事を感じた」その瞬間であり、まさしくそういった体験こそが、「惟神の大道(かんながらのみち)」で在るに相違ない。

斯くの如く小生命なる人間も尊い存在であるが故に、自分の心掛けに依っては、其処から素晴らしい智恵を幾度も引出し得る事も出来ると信じられよう。
世の多くの諸人達よ、これから志を立て万人を等し栄えしめんが為の着想につき、大生命の宝庫の鍵を開けられるべきであろう。
言うなれば、その時、その場に於ける、苦心と努力が神の御心、即ち「惟神の大道」に添うて居れば幸福に繋がって行く。そして不自然な自己本位の利己主義が、不幸の因(たね)となるのである。

 自然は正しく神の理(コトハリ=こころ)に添うて努力する者、精進する者、神恩に報いて感謝、奉仕する者には絶対に不利益な精算はしない。
正しい心に精算が現れ来て、心豊かに暮らせ得るのである。

以前、本報に寄稿した「苦は楽の種」という原稿があった。
その原稿の内容に対し、ある御仁から御質問を頂戴した。
「苦労」と一言に括っても「必要な苦労」と、そうでない言わば「しなくても良い苦労」と両方在るのではないか、そういった主旨であった。
そして更に質問は続き、「悦び」から人は成長できぬものだろうかと、そう仰っていた。
成程、確かにそうかも知れぬ、と一面ではそう思う。
然し、これは表裏一体のものでなければならぬとも感じた。

 「運命」とは、読んで字の如し「運んだ命」である。
お互い一人ひとり、心と身体が一つになって、一時間、一日、一ヶ月、一年と進めて通った道筋、過去からが「運命」である。

 また「因縁」という言葉がある。
言葉は違っても「運命」という言葉と同じものであろう。
「因縁」も「因」が心であって「縁」は年月、時間である。
この過去歩んだ道程が自己中心主義のものであるのが「悪運命」であり、「悪因縁」である。反対に、神恩に報い、親や社会の人の幸いを中心とした道筋の歩み方が「善運命」であり、「善き因縁」である。
「大生命」の偉大なる御徳を我が心として、他を活かす者は活かされ、他を繁栄せしめる者は自ら繁栄し、自己本位で他を繁栄せしめない者は自らも繁栄しないことは必然である。
神の御心を我が心とせず、自らの使命に叛く人は生活にも悦びがなく、感謝の心は更にない。自分だけの満足をひたすらに独占しようとして全ての愛を失い、その代償として苦しみは増すばかりである。
世の中に尽くしてゆくことが人生の意義であり、また私達は世の中から無限の恩恵を受けている。「共存共栄」、即ちお互いに与えあってこそ本来の世の中が成り立つのである。

 そしてこれは己のことばかりではない。このようにして作った「悪因縁」「天借(てんしゃく)」である。即ち自分のみならず、その家の子孫に受け継がれるものである。
本来、生まれてきた子供には何の罪も科もないはずである。
然し乍ら、生まれながらにして先天の病を持つ子が生まれたり、その子供が生まれ落ちて後に謂われのない暴力を受けたり、迫害を受けることもある・・・。
それはまさしく祖先や親、或いは宗教的に言う「前世」の残した「悪因縁」のもたらす「災厄」に他ならない。

 然し、反対に考えるのであればその生まれ落ちた子供はその「悪因縁」を払い、「天借」を返すことの出来る、その大きな力を、運命=因縁を持った子供なのである。
そしてその子供を大切に育てることに依って、またはその色々な苦労を背負ってしまった子供の場合は、酷であるかも知れないが自らの不断の努力に依って、自らの、更には子孫末代までの幸福、繁栄の道を模索せねばなるまい。
その為には与えられた命に対して心の眞底より感謝の誠を捧げ、与えられた艱難辛苦も神慮の試練として迎え、それらを悦びとして迎える心構を養うことである。

 今回のこの御質問は私自身の考察を深めるためにも非常に有意義な御質問であり、有難いものであった。この場をお借りして一言、御礼と感謝の念を表させて頂くこととする。

 現代は物質(もの)が豊富にあり、何でも簡単に手に入ってしまう世の中故か、与えられることに慣れてしまい、其の事に感謝の念を抱くことが出来ていない人達が多く見受けられる。
 恩恵は権利を主張して求めるようなものではない。其の人間の世の中に尽くす行為に対して自ずから与えられるものである。
労せずして得たようなものは、決して長くは身につかないばかりか、結果は元も子も無くなるであろう。行き詰まって人間は思案する。自分自身に良くないことと云う事が判れば直ちに不業績の心の持ち方を更える事である。そして結果が転換するほどの善い行いを積極的に断行することである。

 人間いくら理論が通り、頭が良くても、財産があっても大生命(かみ)の法則、即ち「大宇宙の繁栄道」に添わねば、運命的に負けて終いである。徳積とは過去の悪行が次第に消えていくものである。
 なるが故に、人間、即ち小生命(かみのこ)は天地自然の無限なる大愛に感謝し、自分以外の人の幸福の為に善根を施す徳を積む事の実践が大生命(かみ)より信頼篤く、御神恵多き、尊い人であり、このように人間の本性が最も尊いもの、善なるものであることを知る者は幸福である。

  つづく・・・

補足:この文章の高評価を頂いていることに際しまして、今回の文章を書くきっかけを下さったmergeさんに心より感謝の辞を述べさせて頂きたいと存じます。

mergeさん、本当に有難う御座いました。

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コメント

milestaさん、こんばんは。
わざわざレスポンス有難う御座います。
早速ご紹介いただいたブログも拝見させていただきました。

とても解り易く、正鵠を射た御言葉を有難う御座います。

私があえて付け加えさせて頂くとすれば、良く申すのですが「天分」というものも在ると思います。
それは「才能」や「能力」といったものの意味合いでもあり、且つ与えられた「役割」としてでもあります。

現代に於ける教育では人は平等であり、「個」を大切にせよ、という事柄が多く教えられているように見聞します。
その環境の中で「得意な」もの、「不得手な」ものを意識し、どうしたらみんなの役に立てるのかと考えず、そういった意識と関係なく、「何がしたくてどうなりたいか、その希望は頑張れば叶うんだ」という根拠のない自身と万能感がもたらされ、そこから更に自己本位な考えが植え付けられるのかも知れません。

すると自らを生きる術を失うことにもなりかねません。
「自らを活かすこと」と「他人を活かすために努力すること」は繋がっていることであるからだと私は信じています。

それが出来ぬ者は感謝の心を持つことが出来ず、他人に愛を持つことが出来なくなってしまい、ひたすらに「自己愛」へと走りますが、その希望が絶たれた時に自らに対する愛をも失ってしまうのか、それとも考え方によっては、もうこれ以上、自己を苦しめられないという究極的な「自己愛」の形となって現れてしまうのかも知れません・・・。

そして、それがもたらされる時とは、それまで散々植え付けられ、育てられてきた根拠のない万能感が、実際には中身が伴わないものであったと気が付いて自分自身を見失ってしまっているのでしょう。そこから逃避する、或いは防御する行動が「死」なのかも知れません・・・。

しかし、人間は逃げていても、護ってばかりでも成長しないものです。
私が感じることは、どんな事柄も何らかの必然性があって起こるということです。
そこには自分が成さねばならない事もあるでしょうし、時に自分の意志に反して起こる問題などもありましょう。
しかし、それは自分がその時に不足しているもの、或いは将来的に必要になるものを知ったり、得たりするために起こっていると思うのです。それらを努力して自分自身が出来ることを見極め、しっかりと行うことが肝要であると思います。

このことについてもいずれ、考察を深めた後にエントリとしてアップしたいと思います。

私も長文にて失礼致しました。
読みづらいかも知れませんがどうか御容赦下さい。
貴重なご自身の経験談や、勉強になる御意見を有難う御座いました。

投稿: 管理人 | 2006年9月22日 (金) 00時36分

こんにちは。
拙ブログへ詳しくご丁寧なコメントを頂き、大変嬉しく思っております。神主さんが「斬新」と書かれていたので、何か間違ったことを書いていないかと少し心配になりました。もしも、おかしい点があったら教えてくださいね。

ところで、先日若い人の自死についてのことを書きましたが、ひとつ気づいたことを書かせてください。
私のよく見る書評ブログVIVA読書!さんに、

「筆者は、がんばれば、何でもできる、何にでもなれる(実際はがんばれない)式の教育のまま大人になってはいけないと主張します。自分の限界から目をそらさずに、生きていくことが成長するということだと。」
http://blog.goo.ne.jp/tokkun-book/e/08eefe82574b7011655097ada06a773c

という記述があり、これだと気づいたのです。できれば、自分の限界を感じる以前の年齢の時に、このことをはっきりさせておくべきだと思いました。

まずは、小さい頃から、先祖から子孫への繋がり、その中で自分は不可欠な存在なのだとということを教えることが大事でしょう。でも限界を感じて自信を喪失したときに、そのことだけで救えるとは思えず、もうひとつ何かが必要だと思っていました。それが、この「自分の限界」です。

「人間は決して平等ではない。 」という認識をもてば救われる人がいるのと同じように、「努力してもできないことがある。」ことも事実として子供達に教えるべきでしょう。それがないと、できない自分を「生きている価値のないダメな人間」だと思いこんでしまうのです。

がんばることは大切だけど、それでもできないこともあるという、うまい教え方ができれば、バランスの取れた、生きることに意欲的な人間が育つ気がします。その教え方が難しいのですけどね。

私は中学や高校の時に、驚異的に頭の良い子や、ものすごいお金持ちの家の子に出会って、自分の位置(凡人であること)が確認できました。そのおかげで、自分は何でもできるというような妄想に陥らず、分相応な生き方をし、それについての不満を抱くこともあまりありません。若いうちに「上には上がいる」ことを知ったおかげで、心穏やかに暮らせていると思っています。
何でもかんでも「格差はダメ。」というのではなく、格差があるのが人間社会だということを早くに知ることは、とても大事なのではないかと思います。

また長々と失礼いたしました。

投稿: milesta | 2006年9月21日 (木) 10時28分

milestaさん、こんにちは。
コメント有難う御座います。

岸本氏の「死を見つめる心」の中で、『「死」とは大いなる別れの時』と論じられております。大変興味深い論考であり、私自身も氏の死を『宗教的』でないものとして捉えるか、実は『宗教的』な一面が隠されているのではないか、などと自らの考え方とどのように違うか、私は「神道」の神学を研究、実践する立場から考察を深めております。

そこで私なりの現時点での結論として考えられることが、今エントリの中に見られるような考察であります。
また、このブログでは平行して書いております「現代と神道」のエントリの中で「生命の縦の連鎖」について触れておりますが、全て其処に通ずるものであると考えるものです。

>いつも、いろいろなことを教えてくださりありがとうございます。

いえいえ。こちらこそ有難う御座います。
いつもmilestaさんのブログではとても勉強させて頂いております。
一冊の本から様々な風刺、論考がなされていて大変興味深く、私も本音で申しますと真似をしたいくらいです。

それと私の考察を深めて下さるような、極めて興味深いコメントを賜り感謝致しております。

本当に有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年9月15日 (金) 15時36分

苦境に立たされている人も、先祖から子孫までの繋がりの中に自分がいると捉えることが、幸福の道へ繋がるのですね。
今、神主さんからお勧めいただいた『死を見つめる心』を読んでいるのですが、余命数ヶ月と宣告され、苦しい治療を重ねている方が、なぜ自暴自棄にならずに、最期まで立派に生きられたかということを思いながら読んでいます。この記事は、その理解にも繋がるお話でした。
いつも、いろいろなことを教えてくださりありがとうございます。

投稿: milesta | 2006年9月15日 (金) 13時21分

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