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2006年11月 5日 (日)

繁栄と幸福への道 ~その4~

ここまで続けてきたこのシリーズも今回が一応の最終回となります。

かなり間隔が空いてしまいましたが、全四回を出来ることならば通して読んでいただけると幸いです。

繁栄と幸福への道 第四回

 以上私達はこれまでに、私達小生命は宇宙大生命と一体である事を知(さと)り、従ってまた、私達の小生命は本来、この大宇宙に鳴り亘るものであることも知(さと)った訳で、このことは言い換えれば、私達もまた宇宙の繁栄道の体現者であり、現世に於ける任務・・・即ち人生の目的は我々が現世にある間に宇宙の繁栄道を実践しつつ、万人と共に豊かに幸福な生涯を送るにある、ということである。
 斯くて私達の尊さは、宇宙間の万象をして、大生命の尊さと同じである、ということである。

 昔、お釈迦様が「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と言われたそうであるが、若しこれが釈迦自らだけの事を仰ったのであれば釈迦は大変な独善家であろう。
 が、しかし、本当はそうではなく、釈迦は全ての人の本性が「天上天下唯我独尊」であると言われたのだろうと信ずる。それは釈迦が三十五歳の十二月八日に悟りを開いた時「我と大地有情と同時に成道(じょうどう)す」と仰った。
 この言葉は即ち釈迦が悟りを開いてみたならば、この世のありとあらゆる生命(大地有情)が悉く同時に成道している(自分と同時にそのままを本来悟っている)ことを知ったと云う意味であるが、その事実に依っても釈迦は全ての人の本性の尊さを知っていたものと察せられる。

 天照大神を始めとする八百万の神々においても、この世のありとあらゆる生命に対し偏り無くその尊い恵みを与え給う。また、天照大神からの御皇統を受け継がれる天皇陛下においては一年三百六十五日、日々欠かすことなく全人類の繁栄と幸福をお祈り下さっている。

 斯くの如く人間の本性が最も尊いものである。
 また、その本性が善であることを知る者は幸福である。

 昨今、親子間、家族間においていたましい事件が後を絶たない。

 昨年であったか、父親に馬鹿にされたと言って、十五歳の少年がその父と母を殺し、その上爆発物を仕掛けて遺体を消失しようとした事件があった。
 恐ろしい極みである・・・。

 子供を馬鹿にすることも迂闊に出来ない・・・。いや、父親は馬鹿にしたわけでは無かろう・・・。

 しかし、ここに於いて世の中の全ての両親(おや)は我が子の善なる本性を信じ、進んで我が子に惚れ込まねば成るまい。
 学校の成績がどうであろうと、いま如何に無能が現れていようとも、その本性は宇宙、即ち大生命と同じように尊くまた、他日に至れば万人の繁栄の為に尽くす者であると思えば粗末には扱えないと云うことである。

 私達は若き日の不良児や学業不成績の者が他日有用な人格になった、幾多の事実を知っているはずである。

 斯くの如く、子供の良き本性を開拓してやる道は、ただ親が子供の善性を絶対に信じて、それを常に言業(げんぎょう)に表すという、日夜の親の行いに依る。全ての親は心から子を愛し、それが立派な人物に成長するのを望み乍ら・・・。
 不良にしてしまわぬ為には、あくまで本性の善を見て、それを育み続けることであろう。若し子供に不良の兆しが見えたなら、尚更その子の善なる本性を見てその子を愛育するならば、その時は子供も必ず親孝行な良い子供に成長していくのであり、万一そのようにしても尚、子供が親に迷惑をかける場合、その子を責める前に、先ずその親が因果について反省すべきなのである。

 その為に親・・・全ての大人達はこれらの反省を活かし、困難に負けること無く、挫けることなく、明るい未来へと邁進すべきである。
 大生命には行き詰まりが無く、常に明るい希望、未来を惜しみなく我々に与えて下さるのである。神、そして両親に与えられたこの命、この身体で全身全霊を以て打ち込み、いざ世の為、人の為に楽しく、明るく起動させ、身命に従い徳業に邁進し、神から人として授かった五体、五感、五情、五味、考えれば手の指も、足の指も五本、これらを正しく、充足に働かせることが何よりも大切である。
 この事に気付き、心と身体を生き返らせ、新しい息吹の基に邁進する、その姿こそを子供に見せ、伝えていかねばならぬのである。それ即ち「宇宙の繁栄道」に沿って生きることに他ならない。

 それこそが繁栄と幸福への道であり、人として、親として、最大の財産作りとなっていくのである。

                                                  了

後日日を改めて、全文を一つのエントリとして掲載したいと思います。

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コメント

ichiroさん、こんばんは。
コメントとTB有り難う御座います。

時間を作り読ませていただきます。

いつも有り難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年11月19日 (日) 20時09分

久しぶりに記事を書きました。トラックバックします。

投稿: ichiro | 2006年11月17日 (金) 23時32分

失礼ながらお二方に向けて纏めてレスポンスさせていただきます。

spiralさん、こんばんは。
コメント有難う御座います。
大変なお誉めのお言葉に大変恐縮致しております。
有難う御座います。
milestaさん、こんばんは。
迅速なお返事を頂戴致しまして有難う御座います。
また、良書をご紹介下さって有難う御座います。

spiralさんの結婚の免許制というのは面白い発想ですね。
私がその講師に相応しいかどうかは分かりませんが・・・。(苦笑)
然し乍らspiralさん、milestaさん、お二方が御指摘の通り、若い親達への「親としての学び」は失われて久しいものであり、現代から将来へと繋ぐ役割を担う者達には必要不可欠であるとも言えましょう。
私が考えるに、そのような文脈をも含めて家庭環境を見直す必要性があると思います。

それと、これは私の仕事の領域に踏み込みますが、例えば現代の日本人は生活様式が戦前の日本人に比べ、格段に近代化していますね。即ち、これは「西洋的近代化」と捉えて差し支えのないものと思うのです。
それに比べてかつての日本人としての生活様式は前近代的なものとして不遇の時を送る訳ですが、その価値観自体がこの国の風土そのものに果たして本当に適合したものなのかどうか、という点について考えねばならないと思うのです。

それはある意味では現代の日本はこの国の民俗性、風土的、環境的に考える本質的「日本的合理性」ではなく「西洋主義的合理性」に支配されてはいないか、という私自身に現在、投げかけている問いでもあります。

いずれエントリにするつもりではありますが、その「合理性」という言葉がキーワードだと感じております。

その「現代的合理性」を考え直し、見直す必要に迫られるときもそんなに遠い未来ではないように感じております。
それが私の考える現時点での結論なのではありますが、コメントでそれを書き示すためにはまだ少し私自身の熟考が必要なので控えさせていただきます。
なんだか勿体つけたような書き方で申し訳ありません。

簡潔に申し上げるならば絶対的一神教と相対的多神教が構築する社会観、世界観、人間観、大陸文化と島国文化には決定的な違いが存在し、相図ることが出来ない事柄を内包したまま戦後の文化形成を進めてきたその歪みこそが現代日本の「合理性」を構築している要因に他ならない、と云うことなのですが・・・。

簡潔と申し上げたのに、ちょっと解りにくい文章ですね・・・。
反省します。申し訳ありません。
エントリにするときはもっと解り易く、意図がしっかりと伝わるような文章で書きたいと思います。

お二人ともいつも私自身の拙考に発露を促してくださるようなコメントやお二人のブログに於いての素晴らしいエントリを有難う御座います。
また良いお話がありましたら教えて下さいね。
有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年11月 7日 (火) 00時26分

>milestaさんのいまお読みの本は次あたりのエントリに来るのでしょうか。

まだまだ読み終えそうにありません。
決してむずかしい文章ではないのですが、良いことがたくさん書いてあるので、傍らに置いて他の本を読む合間に、一章だけ読むという感じで読み進めています。内容はすばらしく、紹介するとなると、本を一冊そのまま引用したくなるほどです。
いつ紹介できるかわかりませんので、題名等お知らせしておきます。
『修身教授録』 森信三 致知出版
師範学校の生徒に、哲学の先生が「小学校の先生としての心得」を説いた講義録です。昨今の学校に関係する事件や問題をみて、記事にもしたいとは思っているのですが、いつになるでしょう?

それから、spiralさんのおっしゃる「親としての学び」は、大切ですよね。かつては家庭で、そうしたことを自然に学んでいたと思うのですが、今はみなさん忙しくて、そうしたことは話したりしないんでしょうね。

投稿: milesta | 2006年11月 6日 (月) 07時59分

今回の記事を読ませて貰って、田舎の神主さんの博識さに改めて感心した次第です。
『世の中の全ての両親(おや)は我が子の善なる本性を信じ、進んで我が子に惚れ込まねば成るまい』等のご指摘は、その通りだと私も思います。

私は、昨今、親子間、家族間においていたましい事件が後を絶たない世相を見て考えることがあります。
それは、結婚を免許制にすれば良いのではないかということです。いわゆる自動車教習所のような学び舎を作り、田舎の神主さんのような方に講師になって頂き、そこで親としての学びをした人だけが免許を貰い、結婚できるという制度です。
今は結婚する前に親としての学びをする機会は殆どないように思います。そして、結婚前に自ら求めてそうした学びをされる方も少ないのではないでしょうか。ですから、こうした制度をつくることを検討しても良いのでは、と思っています。

バカな話を書いてすいません。

次回の記事も楽しみにしております。

投稿: spiral | 2006年11月 6日 (月) 01時07分

milestaさん、こんばんは。
コメント有難う御座います。

今回は私事で多忙を極め、なかなか更新できませんでしたが、やっと落ち着きを取り戻して参りました。

私自身がまだ若輩であり、子育てもまだ終えていない立場でありながら、多くの諸先輩方に高説をたれるような稚拙な文章でありましたが、思うところを述べさせていただきました。
このような駄文にお誉めのお言葉を頂戴致しまして大変恐縮です。有難う御座います。

また拙ブログでは私の講演の記録や会報の拙文を公開していきたいと思います。
多くのご教授とご指導、ご鞭撻を賜りたいと存じております。

milestaさんのいまお読みの本は次あたりのエントリに来るのでしょうか。楽しみにお待ち申しております。

有難う御座います。

投稿: 管理人 | 2006年11月 5日 (日) 23時56分

最終回も、ためになるお話でした。とくに

>世の中の全ての両親(おや)は我が子の善なる本性を信じ、進んで我が子に惚れ込まねば成るまい。

というのが、最近の痛ましい事件を解決するのに、とても重要なことだと思いました。親子間の事件だけでなく、いじめが原因の自殺なども、親が自分をどんなに大切に思っているかを知ることができれば、もしかしたら救えるケースがあるかもしれないですよね。

>学校の成績がどうであろうと、いま如何に無能が現れていようとも、その本性は宇宙、即ち大生命と同じように尊くまた、他日に至れば万人の繁栄の為に尽くす者である

これも、全くその通りだと思います。世の中が成績の良い人ばかりだから繁栄するというわけではないですよね。
私が今読んでいる本にも、国家の使命に対して個人は
「自分は『いかなる角度』からこれを分担するかを、自覚する」
ことが大事だと書かれています。そして、その自覚が明確であればあるほど、歴史の中に自分が織り込まれていくと。
現実を見ても、成績以外の『角度』から世の中に役立っている人はたくさんいるわけですよね。

連載、お疲れ様でした。今度は新しいテーマで書かれるのでしょうか。楽しみにしています。

投稿: milesta | 2006年11月 5日 (日) 09時47分

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