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2006年11月 7日 (火)

繁栄と幸福への道 ~全文掲載~

繁栄と幸福への道

 人間の幸福を妨げているものはいろいろあると思うが、そのうち主なものは先ず病気心の悩み(心配事)、それに貧乏と云う事の三つであるように思われる。

 この三つのうち一つもない人があったら、その人はすでに「幸福な人」であるが、大抵の人がこのうち一つか二つ、或いは全部を持って苦しんでいるのではないかなどと思う事もある。

 いや、そういうことを言う自分自身、此の処健康を害して病院通いを繰り返していた私は、つくづく健康の優れないのを悲哀に感じたもので、「先ず人間は働かねば」と思っても、体調の優れない体ではその気力もなかなか出ない。

「食欲がない」「食べられない」「痛い採血」「苦い薬」「検査」・・・・。
病気には金持ちと貧乏人、地位の高低などの区別はない。
それこそ、医者の言うなりに、医者の言うことを「ハイ、ハイ」と信仰してしまう。
それも治ればよいが、働き盛りの若さで死んでしまう人もいる・・・。

 金のない者は、何かにつけ「金さえあればなぁ」などと思う。
確かに、実際は金さえあれば都合良く行く事が金のない者には沢山あるが、その「お金」がなかなか手に入らない。
 誠に四百四病の病より「貧」ほど辛いものはない・・・。
昔から「貧乏」である為に如何(どんな)に多くの悲劇が行われたかは言うまでもない。特に「貧乏」のうえに、「病気」や「心の悩み」が加わるとその人達の生活は、まさに此の世の地獄、かくて甚だしいのは無心の幼児を道連れに「一家心中」まで起こり場合もあり、そのような人の全てを先ず、「貧」から救い出す方法(てだて)がないかと思うものである。然し、不況の時代と見聞する。職を探しても職場はそうざらにある訳でない・・・。

 思うに現代の医学が日に、月に進歩しつつあることを喜ぶものであるが、だが然し如何(どんな)に行き届いた医療を受けても治らぬ、などと云う処を見ても、まだ現代医学では完全な治療効果をあげ得ないことであり、勿論医者にかかれぬ「貧乏人」の中には医者にかかれば治る人も居られるで在ろうが、そのような人を救い上げるとともに、全ての人を病人にする以前に、生涯健康で通させる方法はないものであろうか。
 然るに、お互い生身の身体(からだ)を持っている一人一人である。

 それにまた心の悩み、即ち心配事のある人は「この心配事さえなかったらなぁ」と思う。例えば「夫婦間の不和」「親子の不和」「親族との争い」「父または息子の酒乱」「息子の暴力」「浪費」「不良」「先天的な障害」「結婚難」「失業苦」「上役との不和」「借金の苦しみ」「事業の不振」等々、そういう心配事のある人は、その為に安眠も出来ず、毎日悲しみの日々を送るのであろう・・・。

 さて、これら三つの悩み、即ち「金がない」「病気」「心の悩み」とは、そのうちどれ一つあっても、その人は本当の「幸福の人」とは言えないのかも知れない。
 然し、今は科学が発達している時代である故に「心の持ち様」が損なわれている様に散見される。

 本来は科学の進歩同様、我々の考え方も進まねばならぬのではなかろうか・・・。
これら三つの苦悩を全て無くして、誰でも幸福に浸ることは出来得る道はないのであろうか・・・。

 その道がどのような道であるのか・・・。

これから皆様方と一緒に訪ねていくことにしたいと思います。

 想うに春は草木が芽を出し、軈て地上に色とりどりの百花が咲き乱れる。
夏は、草木がいずれも深い緑をたたえて力一杯の繁栄を誇っている。
秋は、草木が其の実を結んで収穫に忙しい。
冬は、草木が悉く枯死せるかと思いきや、この間に春への準備を整えている。

 斯くの如く、春夏秋冬の草木の秩序ある年々の営みの奥には、草木をして、このように在らしめる大きな宇宙の法則。即ち大きな生命の作用があるに相違ないことは、何人(なんびと)にも信じられる。かかる大生命の作用は、勿論、人間その他の生物にも其の作用を及ぼして、其の繁栄をなさしめているのであり、其の特色は其処に一切偏頗(へんぱ)が無いと云う事である。如何なる生物にも、如何に正しい者にも、正しからざる者にも、偏頗無く太陽の光と熱とを与え、雨を降らし、水を施し、空気を与えるのが、其の特色なのである。

 つまり万物と万人とを栄えしめるのが、大生命の作用であり、万物の間に大調和があるのもその為であられるので私達もまた、この大生命の作用に準じて、平生すべての人が栄えるように行動する事が、大生命の作用に依って生かされている人間として、最も正しい生き方である事を知らねばならない。

 これを実際生活に当て嵌めて言えば、すべて各国間が平和を欠き、或いは各個人間が調和を欠いて世の中が騒がしく、人々が不幸な生活をするようになる。其の根本原因は兎角、国家でも、個人でも身贔屓、利己主義が過ぎて、多と共に栄えようとする精神を欠くからであり、言い換えれば、大生命の等しく万物を栄えしめる心に背いている行いが、各国と各人の幸福な生活を乱す基となるのである・・・。

例えば・・・或る一団が共同で仕事をした。其の利益を一団が栄えるように分配し、使用すれば問題が起きない事が多い。然し、其れを誰かが、或いは銘々が、自分独り多くの分け前を取ろうとすれば、其処に不和が生じ、不幸が芽生えるのである。
この簡単な例によっても理解されるように、全ての人々が幸福に暮らす道は、常にすべての人が栄えるように各人が行動するにある、と云う事であろう・・・。

 例えば茲に素晴らしい科学の利益がある。其れを或る国が利用し、他国を征服する為に用いたとする。他国を征服する為に使用(つかう)事になれば、他国が脅威を感じて其処に不和が生じ、其の対策の為に・・・、それから其の国々の不幸、国民の不幸が生じる・・・。
 然し、其れ等を悉く自国と他国とが共に栄える為に使用する心構を持ち使用したならば、その為に幸福は大きく増しても、不幸が増す事はないであろう。
此の事は科学の発達に依り、一切の利益も、等しく万人を繁栄せしめる道に沿うて使わねばならぬと云う事を、大自然、即ち親なる神が教え給うものであろう。

 斯くて各国と、各個人が等しく幸福に栄える精神指導は、常に万人が共に栄える、宇宙の繁栄道に遵うに在りである。

 斯くの如く、科学の発達による便利をも含めて、あらゆる場面に於いて、前回に述べたような人々を幸福にする一大指導精神が発見されてくると自分が尊いこと、即ち「己」の大切さが分かってくる。
 そのような感性に目覚めた者は、万物を見る目がそれ以前とは違ってくる。
言わば森羅万象の全てを生命的に見る眼、大生命の個別的顕現「物事をはっきりと顕すこと」と見る眼が啓けたりするもので、其処に生えている一本の草や一本の木を見て「神格化」さえ覚えるようになるものである。

このことを我が師の言葉をお借りするならば「宇宙の繁栄道、大原則」であるという。

 「宇宙の繁栄道」とは?
目に見える現象界の奥にあって「現象界を斯くしめている」目に見えぬ宇宙の大法則のことである。それは永遠の過去から、永遠の未来にわたって日夜に万物を生じ、万物を育て、且つ万物を栄えしめつつ、然もその間に大調和在らしめている道のことである。
そのように全ての生き物をその胎内で育てている「宇宙」そのものは、生きているに相違ないと見るのが師の、そして私自身の着眼点である。
なぜならば、生き物は生き物からしか生まれないからである。
宇宙を大きな生物、即ち「大生命」とはこのことを指し、云うのであり、所謂人類は「小生命」である。
故に宇宙はそのまま大きな生命であって、その大きな生物の作用が万物を栄えしめているのであると、我が師、そして私は信じるのである。

 私達は「小生命」たる人間として、このような「大生命」の作用を端的に「宇宙の繁栄道」と、そう呼んでいる訳である。
従って私達のいう「宇宙の繁栄道」「宇宙の大法則」の事であり、所謂「大生命の作用」を云うのである。

 この宇宙間には斯くの如く、万人を繁栄、幸福に導く「一大鉱脈」が在る事を知った者は幸いである。自己の繁栄を希う者は、この道に帰一すれば良い、自己の健康を希う者もこの道に精進すれば良いのである。
この宇宙がそのまま一つの大きな生命である事を知り、人間を始めとして、万物は皆その大生命の胎内に生じている小生命であること。
言い換えれば、万物は皆、「大生命」の個別的顕現であることを理解し、「大生命」と「小生命」たる万物は一体である知り、悟るのがそれであろう。
その様な生命観、一体観を宗教的に把握するのを仏道では「悟道」とか言うが、それは科学的な教理や実験、推理に依らずに、その人の心身が浄化し尽くしている時に「パッ」と直感的に感じる、その体験体得が「悟り」であり、「所謂大生命と小生命とが一体になった事を感じた」その瞬間であり、まさしくそういった体験こそが、「惟神の大道(かんながらのみち)」で在るに相違ない。

斯くの如く小生命なる人間も尊い存在であるが故に、自分の心掛けに依っては、其処から素晴らしい智恵を幾度も引出し得る事も出来ると信じられよう。
世の多くの諸人達よ、これから志を立て万人を等し栄えしめんが為の着想につき、大生命の宝庫の鍵を開けられるべきであろう。
言うなれば、その時、その場に於ける、苦心と努力が神の御心、即ち「惟神の大道」に添うて居れば幸福に繋がって行く。そして不自然な自己本位の利己主義が、不幸の因(たね)となるのである。

 自然は正しく神の理(コトハリ=こころ)に添うて努力する者、精進する者、神恩に報いて感謝、奉仕する者には絶対に不利益な精算はしない。
正しい心に精算が現れ来て、心豊かに暮らせ得るのである。

以前、本報に寄稿した「苦は楽の種」という原稿があった。
その原稿の内容に対し、ある御仁から御質問を頂戴した。
「苦労」と一言に括っても「必要な苦労」と、そうでない言わば「しなくても良い苦労」と両方在るのではないか、そういった主旨であった。
そして更に質問は続き、「悦び」から人は成長できぬものだろうかと、そう仰っていた。
成程、確かにそうかも知れぬ、と一面ではそう思う。
然し、これは表裏一体のものでなければならぬとも感じた。

 「運命」とは、読んで字の如し「運んだ命」である。
お互い一人ひとり、心と身体が一つになって、一時間、一日、一ヶ月、一年と進めて通った道筋、過去からが「運命」である。

 また「因縁」という言葉がある。
言葉は違っても「運命」という言葉と同じものであろう。
「因縁」も「因」が心であって「縁」は年月、時間である。
この過去歩んだ道程が自己中心主義のものであるのが「悪運命」であり、「悪因縁」である。反対に、神恩に報い、親や社会の人の幸いを中心とした道筋の歩み方が「善運命」であり、「善き因縁」である。
「大生命」の偉大なる御徳を我が心として、他を活かす者は活かされ、他を繁栄せしめる者は自ら繁栄し、自己本位で他を繁栄せしめない者は自らも繁栄しないことは必然である。
神の御心を我が心とせず、自らの使命に叛く人は生活にも悦びがなく、感謝の心は更にない。自分だけの満足をひたすらに独占しようとして全ての愛を失い、その代償として苦しみは増すばかりである。
世の中に尽くしてゆくことが人生の意義であり、また私達は世の中から無限の恩恵を受けている。「共存共栄」、即ちお互いに与えあってこそ本来の世の中が成り立つのである。

 そしてこれは己のことばかりではない。このようにして作った「悪因縁」「天借(てんしゃく)」である。即ち自分のみならず、その家の子孫に受け継がれるものである。
本来、生まれてきた子供には何の罪も科もないはずである。
然し乍ら、生まれながらにして先天の病を持つ子が生まれたり、その子供が生まれ落ちて後に謂われのない暴力を受けたり、迫害を受けることもある・・・。
それはまさしく祖先や親、或いは宗教的に言う「前世」の残した「悪因縁」のもたらす「災厄」に他ならない。

 然し、反対に考えるのであればその生まれ落ちた子供はその「悪因縁」を払い、「天借」を返すことの出来る、その大きな力を、運命=因縁を持った子供なのである。
そしてその子供を大切に育てることに依って、またはその色々な苦労を背負ってしまった子供の場合は、酷であるかも知れないが自らの不断の努力に依って、自らの、更には子孫末代までの幸福、繁栄の道を模索せねばなるまい。
その為には与えられた命に対して心の眞底より感謝の誠を捧げ、与えられた艱難辛苦も神慮の試練として迎え、それらを悦びとして迎える心構を養うことである。

 今回のこの御質問は私自身の考察を深めるためにも非常に有意義な御質問であり、有難いものであった。この場をお借りして一言、御礼と感謝の念を表させて頂くこととする。

 現代は物質(もの)が豊富にあり、何でも簡単に手に入ってしまう世の中故か、与えられることに慣れてしまい、其の事に感謝の念を抱くことが出来ていない人達が多く見受けられる。
 恩恵は権利を主張して求めるようなものではない。其の人間の世の中に尽くす行為に対して自ずから与えられるものである。
労せずして得たようなものは、決して長くは身につかないばかりか、結果は元も子も無くなるであろう。行き詰まって人間は思案する。自分自身に良くないことと云う事が判れば直ちに不業績の心の持ち方を更える事である。そして結果が転換するほどの善い行いを積極的に断行することである。

 人間いくら理論が通り、頭が良くても、財産があっても大生命(かみ)の法則、即ち「大宇宙の繁栄道」に添わねば、運命的に負けて終いである。徳積とは過去の悪行が次第に消えていくものである。
 なるが故に、人間、即ち小生命(かみのこ)は天地自然の無限なる大愛に感謝し、自分以外の人の幸福の為に善根を施す徳を積む事の実践が大生命(かみ)より信頼篤く、御神恵多き、尊い人であり、このように人間の本性が最も尊いもの、善なるものであることを知る者は幸福である。

 以上私達はこれまでに、私達小生命は宇宙大生命と一体である事を知(さと)り、従ってまた、私達の小生命は本来、この大宇宙に鳴り亘るものであることも知(さと)った訳で、このことは言い換えれば、私達もまた宇宙の繁栄道の体現者であり、現世に於ける任務・・・即ち人生の目的は我々が現世にある間に宇宙の繁栄道を実践しつつ、万人と共に豊かに幸福な生涯を送るにある、ということである。
 斯くて私達の尊さは、宇宙間の万象をして、大生命の尊さと同じである、ということである。

 昔、お釈迦様が「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と言われたそうであるが、若しこれが釈迦自らだけの事を仰ったのであれば釈迦は大変な独善家であろう。
 が、しかし、本当はそうではなく、釈迦は全ての人の本性が「天上天下唯我独尊」であると言われたのだろうと信ずる。それは釈迦が三十五歳の十二月八日に悟りを開いた時「我と大地有情と同時に成道(じょうどう)す」と仰った。
 この言葉は即ち釈迦が悟りを開いてみたならば、この世のありとあらゆる生命(大地有情)が悉く同時に成道している(自分と同時にそのままを本来悟っている)ことを知ったと云う意味であるが、その事実に依っても釈迦は全ての人の本性の尊さを知っていたものと察せられる。

 天照大神を始めとする八百万の神々においても、この世のありとあらゆる生命に対し偏り無くその尊い恵みを与え給う。また、天照大神からの御皇統を受け継がれる天皇陛下においては一年三百六十五日、日々欠かすことなく全人類の繁栄と幸福をお祈り下さっている。

 斯くの如く人間の本性が最も尊いものである。
 また、その本性が善であることを知る者は幸福である。

 昨今、親子間、家族間においていたましい事件が後を絶たない。

 昨年であったか、父親に馬鹿にされたと言って、十五歳の少年がその父と母を殺し、その上爆発物を仕掛けて遺体を消失しようとした事件があった。
 恐ろしい極みである・・・。

 子供を馬鹿にすることも迂闊に出来ない・・・。いや、父親は馬鹿にしたわけでは無かろう・・・。

 しかし、ここに於いて世の中の全ての両親(おや)は我が子の善なる本性を信じ、進んで我が子に惚れ込まねば成るまい。
 学校の成績がどうであろうと、いま如何に無能が現れていようとも、その本性は宇宙、即ち大生命と同じように尊くまた、他日に至れば万人の繁栄の為に尽くす者であると思えば粗末には扱えないと云うことである。

 私達は若き日の不良児や学業不成績の者が他日有用な人格になった、幾多の事実を知っているはずである。

 斯くの如く、子供の良き本性を開拓してやる道は、ただ親が子供の善性を絶対に信じて、それを常に言業(げんぎょう)に表すという、日夜の親の行いに依る。全ての親は心から子を愛し、それが立派な人物に成長するのを望み乍ら・・・。
 不良にしてしまわぬ為には、あくまで本性の善を見て、それを育み続けることであろう。若し子供に不良の兆しが見えたなら、尚更その子の善なる本性を見てその子を愛育するならば、その時は子供も必ず親孝行な良い子供に成長していくのであり、万一そのようにしても尚、子供が親に迷惑をかける場合、その子を責める前に、先ずその親が因果について反省すべきなのである。

 その為に親・・・全ての大人達はこれらの反省を活かし、困難に負けること無く、挫けることなく、明るい未来へと邁進すべきである。
 大生命には行き詰まりが無く、常に明るい希望、未来を惜しみなく我々に与えて下さるのである。神、そして両親に与えられたこの命、この身体で全身全霊を以て打ち込み、いざ世の為、人の為に楽しく、明るく起動させ、身命に従い徳業に邁進し、神から人として授かった五体、五感、五情、五味、考えれば手の指も、足の指も五本、これらを正しく、充足に働かせることが何よりも大切である。
 この事に気付き、心と身体を生き返らせ、新しい息吹の基に邁進する、その姿こそを子供に見せ、伝えていかねばならぬのである。それ即ち「宇宙の繁栄道」に沿って生きることに他ならない。

 それこそが繁栄と幸福への道であり、人として、親として、最大の財産作りとなっていくのである。

                                              了

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