現代と神道 ~紀元節~
皇紀2667年おめでとう御座います。
本日、建国記念日(紀元節)の良き日を皆様と共にお迎えできましたことは誠に慶賀の極み、心よりお慶び申し上げます。
拙ブログに於いて、これまで幾度か「現代と神道」ということでエントリを書いて参りましたが、今回は「紀元節」、現在で言うところの「建国記念日」とはいったい何なのか、ということについて考えて参りたいと思います。
一言で「紀元節」について申し上げるならば、初代天皇であらせられる「神武天皇」が天皇に即位され、国を開いたとされる、その日であります。
つまり、今日のこの日は「神武元年の正月」にあたり、神武天皇の即位礼が行われたその日である、ということなのです。
そして神武四年の秋に行われた「鳥見山霊畤」が「大嘗祭」にあたり、『日本書紀(神武紀)』には
『我が皇祖(みおや)の霊(みたま)、天より降鑑(くだりみそな)はして、朕が躬を光助(てらした)すけたまへり。今諸の虜(あだども)既に平ぎ、海内無事(あめのしたしづか)なり。天神を郊祀(まつ)りて、用(もち)て大孝(おやにしたがふこと)を申べたまふべきなり。乃ち霊畤(まつりのには)を鳥見山に立つ。・・・略・・・用て皇祖天神を祭りたまふ。』
とあります。これは天孫降臨から始まったこの地上世界の統治がやっと形を成し、自らの御東征によって一頻り完了したことを、御祖先に対してご報告成されている様を表されていると思われます。
つまり、125代の今上陛下まで続く「御大礼(即位礼、大嘗祭)」の御代始めは、この『神武創業』に立ち帰る所作の現れであり、「皇祖皇宗の遺訓」即ち天照大神から神武天皇を通じて残された教えを国家経営の基本として受け継ぐための儀礼であり、祖先祀りの原型であると考えられます。
そしてこの「紀元節」は「報本反始」即ち「神武創業」のその日に立ち帰る、日本人にとって大変意味のある重要な日であるのです。
ここで考えたいのは、「神武創業」はどのような物語であったか、ということであります。
以前にもこのシリーズで何度か『古事記』について取り上げたことがありましたが、やはりこの物語のルーツを求めるにあたって『古事記』が非常に重要な書物であるといえます。
その『古事記』について、平成10年に行われた国際児童図書評議会世界大会に於いて皇后陛下の御講演があり、その中に次のような御言葉があります。少し長いですが、抜粋しながら引用させていただきます。
・・・前略・・・
『私は、自分が子供であったためか、民族の子供時代のようなこの太古の物語(注:古事記)を、大変面白く読みました。今思うのですが、一国の神話や伝説は正確な史実ではないかも知れませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。 父がくれた神話伝説の本は、私に、個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。』
・・・中略・・・
『この本(注:古事記)は、日本の物語の原型とも言うべきものを私に示してくれました。やがてはその広大な裾野に、児童文学が生まれる力強い原型です。そしてこの原型との子供時代の出会いは、その後私が異国を知ろうとする時に、何よりもまず、その国の物語を知りたいと思うきっかけを作ってくれました。私にとり、フィンランドは第一にカレワラの国であり、アイルランドはオシーンやリヤの子供達の国、インドはラマヤナやジャータカの国、メキシコはポポル・ブフの国です。これだけがその国の全てでないことは勿論ですが、他国に親しみを持つ上で、これは大層楽しい入り口ではないかと思っています。』
・・・中略・・・
『それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。』
・・・後略・・・
恥ずかしながら、私も常々「日本は『古事記』の国」と講演をする時などに申し上げるのですが、皇后陛下のこの御講演の御言葉からの受け売りであります。
「建国記念日」「紀元節」を考える時に、恐らく多くの人々は、なくてはならないはずの『民族の起源伝承』がスッポリと抜け落ちているのではないでしょうか・・・。
悲しいことに、現在この国で多くの場面で使われる暦は「西暦」即ち「キリスト教暦」なのであります。
が、しかし、日本は「聖書の国」ではありません。「古事記の国」であるはずなのです。
この「紀元節」に改めて、先人の残した教え・・・日本古来の在り方とその伝承が如何にして受け継がれているのか、我々日本人は考えねばならないと思うのです。
フィンランドの子供達は『カレワラ』を読んで育つ・・・ならば日本の子供達は『古事記』を読んで、もっと日本の神話に親しみを持ち、理解を深めることで自分たちの淵源を知ることで、自分達の生まれたこの国に愛着を持ち、そしてまた祖先祀りの大切さを知ることが出来るのではないでしょうか。
天皇陛下の御代始めの如く、自らの生に感謝し、自らを育んでくれたこの郷土に感謝する。そして、今のこの恵まれた時代を築いてくれた祖先に対しても自然と感謝の念を抱くことが出来るのではないでしょうか・・・。
そして、そんな未来を築くことが出来るのは、今の我々ではないでしょうか・・・・・・。
この「紀元節」に気分を一新して、
さぁ!皆さん!『古事記』を読んで、自分達のルーツを見つめてみませんか!!!
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コメント
ブルーフォックス@東宮を憂うさん、初めまして、こんばんは。
コメント有り難う御座います。
大変興味深い論考ですね。
然し乍ら、私個人と致しましては、東宮家に於いての御公務、祭祀に関しましてはコメントする立場にありません。
私は、皇室の在り方はあくまで皇族の方々の問題であり、それについて意見をすると言うことは、一介の市井である私共には畏れ多いことと考えます。それと、コメントに於いて挙げられていた東宮家の問題解決とは何を以て解決と成されるのでしょうか・・・。
また、それ等の諸問題について異を唱え、解決を図ろうとするなどということは、現状の日本国憲法第1条にうたわれる「象徴天皇」が、実質的にも民主的なお立場であるということに同意することと考えます。
私の「神職」という立場から申し上げさせて頂きますと、天照大神の皇孫で在らせられる天皇陛下、東宮殿下の御家の問題に臣民は口を挟むべきではないと考えております。
ブルーフォックス@東宮を憂うさんの国を憂うお気持ちは察するに余りありますが、どうか今一度、冷静になってお考え頂きたいと、個人的にはお願いを致したく存じます。
忌憚のないご意見を有り難う御座います。
参考にさせて頂きます。
今後とも宜しくお願い致します。
投稿: 管理人 | 2007年2月14日 (水) 23時37分
はじめまして,ブルーフォックスと申します.
私は雅子皇太子妃殿下そして東宮ご一家の有り様に皇室の将来を案じ,サイトを立ち上げている者です.
よろしくお願いいたします
http://bluefox-hispeed.iza.ne.jp/blog/list
はじめまして,ブルーフォックスと申します.
私は雅子皇太子妃殿下そして東宮ご一家の有り様に皇室の将来を案じ,サイトを立ち上げている者です.
http://bluefox-hispeed.iza.ne.jp/blog/list
両陛下や秋篠宮ご一家がご皇族としてのお勤めを立派に果たされているのに対して,雅子皇太子妃殿下は長期に渡り祭祀や公務を休み続けている一方で,静養や私的外出には海外にでも行かれると言った不可解な振る舞いをされ続けています.
国民の中からはこうした妃殿下へのお振る舞いに疑義が上がってきていますが,それをも“ご病気”を理由に擁護し,のみならずそれ以後の議論を封じ込めようとする空気が保守にも左翼にもあります.
しかし,妃のお振る舞いには“ご病気”であることを差し引いてもなお不可解なことが少なからずあります.
例えば皇太子御一家で妃殿下の母方祖父・江頭豊氏(水俣病の大罪人)の葬儀に参列したことです.
しかもこれは,次代の両陛下が水俣病に今尚苦しむ方々の心を無視したことと言わざるを得ません.
また,雅子妃やお父上・小和田恒氏の思想には,かなり反日的・左翼的なものが見え隠れしています.
(詳しくは以下を)
http://bluefox-hispeed.iza.ne.jp/blog/entry/108472/
http://bluefox-hispeed.iza.ne.jp/blog/entry/111808/
このままでは悠仁親王殿下ご生誕で皇位継承はひとまず安泰どころか,次代徳仁天皇陛下の御世にご皇室の権威は失墜してしまいます.
この事態に左翼らは、雅子妃殿下のお振る舞いをご皇室の権威失墜に利用しようとうごめいています.
しかし保守の側はこの問題に関してあまりにも消極的です.この問題を故意に無視したり,東宮ご一家を盲目的に信じていたり,あるいは東宮ご一家を批判する者は全て左翼の工作員としか見なかったり.
(先日はさらに,皇室にはあるまじきこととして,高円宮承子女王殿下の皇室スキャンダルがスクープされました.
そのことに対しても,保守系のサイトはほとんどが沈黙してしまっております.)
保守派の皆様,こうした問題から目をそむけていていいのですか?
日本と日本人をお守りすべき次代の皇后陛下が反日的・左翼的な思想をお持ちになる,という,あってはならない事態
たとえば維新政党・新風様や,ネット連合新風連の皆様は,この問題をどのようにお考えなのでしょうか?
東宮問題解決に立ち上がりましょう!
※あちこちに伺っていますのでもしかしたらこちら様に伺うのを忘れるかもしれませんが,今後とも,拙サイトともどもよろしくお願いいたします.
投稿: ブルーフォックス@東宮を憂う | 2007年2月14日 (水) 22時21分
ichiroさん、こんばんは。
コメント有り難う御座います。
法制化に伴っての問題は勉強不足で詳しいことは申し上げられません。勉強したいと思います。
また、神社や本庁の対応に於いてもご指摘の通りであり、面目もありません。
最近は神社で発行しているカレンダーでさえも西暦と和号を併記しているものが少なくありません。
残念なことでありますが、神道もキリスト教と同じように「世俗化」の道を歩んでいる、ということであると思います。
私のような末端の神職であっても「何とかせねば」という思いだけは持っております。
忌憚のない問題提起を有り難う御座います。
私自身、これを発奮材料とさせて頂きます。
有り難う御座います。
投稿: 管理人 | 2007年2月12日 (月) 23時03分
のりさん、こんばんは。
コメント有り難う御座います。
また、改めまして本年も宜しくお願い致します。
>今の日本でそれを教えるのはなかなか困難ですが広い心で広めていきたいものです。
本当にそう思います。
そしてこれは、私達神職の責務でもあると思います。
これからも拙ブログにご訪問頂いた皆様に、少しずつでも伝えていこうと思っております。
学校教育に於いては現在の状況は『古事記』を授業の題材で使用することすら憚られるのが現状であります。
少しでも多くの子供達に自分達のルーツに触れてもらい、この国がどんな物語を育んできたのかを知ってもらいたいと祈ってやみません。
その為には子供達の親の世代、つまり現状では我々の世代に懸かっているのだと、そうも思います。
この国の成り立ちや、受け継がれてきたその伝統の本質を伝えていきたいですね。
貴重な御言葉を有り難う御座います。
投稿: 管理人 | 2007年2月12日 (月) 22時54分
暦は現在、元号が法制化されたことにより、元号とキリスト教暦が併用されています。元号法制化の議論をかじったときに、「皇紀」がなぜ採用されなかったのか不思議でした。ちなみに、このごろは神社でも、「皇紀」が使用されていないような気がします。神社本庁もこの点は曖昧なような気がします。
投稿: ichiro | 2007年2月12日 (月) 22時47分
milestaさん、こんばんは。
コメント有り難う御座います。
お誉め頂いて大変光栄です。
が、あまりのお誉めの御言葉に大変恐縮致しております。
皇后陛下の御講演は、本当は全文引用させていただいて掲載しようか迷ったのですが、今回のエントリで私が皆様にお伝えしたい部分をクローズアップする趣旨で一部のみの引用掲載とさせていただきました。
皇后陛下は平成10年のこのニューデリーの大会に於いて、子供達が読書を通じて自らの「根っこ」と「翼」の両方を得ていって欲しいという御趣旨の講演をされていらっしゃいます。
その為のツールとして『古事記』を取り上げられたということなのでしょうね。
milestaさんの仰るとおり、民族や国という「根っこ」の部分の何たるかを仰りたいのだと、私はそう思いました。
ギリシャ神話も、クルアーンも、聖書も、日本人の「根っこ」には成り難いと私も痛感いたします。
その国の地理条件から与えられた自然環境、その自然環境から育まれた歴史的文脈、その歴史から生み出された近代法治国家の成立、それらから生み出されたものがその国が持つ民族性、国家観であり、そのルーツたる神話こそがその国民の「根っこ」と成り得るのだと思います。
それが、フィンランドでは『カレワラ』であり・・・となり、やはり日本は『古事記』となるのではないか、と思います。
『古事記』の物語についてはまた今後も触れていきたいと思っております。
さぁ!また私も繰り返し読み返さなくては!!!
milestaさんも初めは取っ付きにくいかも知れませんが、原文にもあたってみてください。本当に、奮えるほど面白くなってきますよ!
いつも貴重なコメント有り難う御座います。
投稿: 管理人 | 2007年2月12日 (月) 22時44分
こんばんは。そうなんですか。建国記念日と言うのはそのような意味があったのですね。勉強不足を恥じるばかりです(^ー^*)ゞ
今の日本でそれを教えるのはなかなか困難ですが広い心で広めていきたいものです。遅くましたが本年もよろしくお願いします
投稿: のり | 2007年2月12日 (月) 21時14分
さすが、神主さん。このまま講演していただきたいです。
皇后陛下は、本というテーマを借りられて、民族や国とは何かということを、私たち国民に教えてくださっている気がします。
>一国の神話や伝説は正確な史実ではないかも知れませんが、不思議とその民族を象徴します。
というところ本当にそうですよね。だから自然で無理がなくすんなりと受け止められるのでしょうね。ギリシャ神話は日本の神話と似ていると言われることもあるけれど、私には理不尽だと感じる部分もあり、やはり違うんだと感じます。またコーランは砂漠という自然環境で生まれるべくして生まれたというようなことを「アラビアのロレンス」が書かれているそうです。
投稿: milesta | 2007年2月12日 (月) 19時45分