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2007年6月30日 (土)

現代と神道 ~特別編その3~

このシリーズも今回で最終回となります。

では早速、前回の続きです。

グローバル化と国際化、民主化と日本人の宗教性 その3

日本には古来より独自の文化性があった。またヨーロッパも同様である。

そしてここで問題とされている中東地域の各国もまた独自の文化性を有しているのである。

ある国の文化と別の国の文化が触れるとき、化学反応にも似た変化が起きる。

結合・融和して新たな文化が生み出されるか、或いは片方の文化に吸収されてしまうのか、または結合・融和もせず、吸収もされず、両者ともそのままの状態であるのか。

それが本質的な「文化の変遷」というものであろうと考える。

この「文化の変遷」は常に時の権力と密接な関係にあることは否定できない。

そして、抗争の歴史と並行しているものでもある。

前述した日本の近代化に於いても、その背景には全世界規模での「帝国主義」があり、更には強大な軍事力を背景にした欧米列強の圧力があった。

その文脈の中で自らの独立を希求し、それを成し遂げるための「近代化」が起こり、文化的変遷を生んだのである。

しかし「近代化」を推し進める中で、真の独立を求める中で、それは「国家主義」を生み、やがては「超国家主義」へと変容を遂げ、いつしか戦争へと進んでいくのである。

外圧に対して最大限の譲歩を続けながらも、時代の潮流には抗えなかった、と考える。

この現象は単に国内政治レベルという問題ではなく日本の国民的潮流であり、更に言えば全世界的潮流であったとも言うことも出来るであろう。

日本の日韓併合から支那大陸進出、満州事変及び支那事変。

アメリカの排日移民法や石油禁輸政策、更にはハルノートと、様々な諸条件が重なった上での戦争であったのは間違いない。

しかし、それらの諸条件についての言及は今回の趣旨ではないので避ける。

付言するならば、現代に生きる我々が何かを述べるのは間違いであると感じるからである。現代の価値観で歴史を裁くことは出来ないし、またそれはあまり意味を持たない行為であると考えるからである。

時代的潮流に逆らうことが出来なかった日本はやがて「敗戦」という形での決着を見る。

当然のことながら、敗戦国は連合国の管理下に置かれ占領政策が開始されることとなる。

ここで、前述した「民主化」が再び行われるのである。

ここで重要な点は「連合国主体」で「民主化」行われ、先の戦争における「戦争責任」なるものの追求も始まり、その中で「戦犯」として多くの日本人が裁かれたこと。

また、連合国の民間検閲支隊(CCD)による徹底した検閲が繰り広げられ、大日本帝国憲法を排し日本国憲法が連合軍主導の下に制定され、その中で教育基本法なども改められ、それらの条件下で日本国民に対して日本文化の再教育が行われたという点である。(江藤淳著『閉された言語空間』他、参照)

この2点を踏まえて考えると、現在言われている日本の「民主化」は今から凡そ60年前の連合軍占領統治下で起こった、言わば「文化の変遷」であり、積極的に日本人が望んだものではなかったのではないかという疑義が生まれてくる。

またこの時に、前述した私の推論する「禁教令を出すに至った秀吉の思考」と同じ感覚を覚える。

つまり、中世に日本が初めて出会った「グローバリゼーション」である。

戦後の「再教育」の中で日本人は連続した歴史を失い、「民主化」の名の下に自らのアイデンティティを喪失してしまった。

しかし、当時の日本人は長きに渡る戦争によって心身ともに疲弊しており、民族的に異文化に対して排他的でない文化性も手伝って「民主化」、つまり連合国による「グローバリゼーション」を受け入れてしまったのではないだろうか。

勿論、明治維新時にも民族性を失ったが、それは外圧に対抗し自らの独立を、独自の文化性を保とうとするが故の変遷であった。

これは即ち、日本人が世界中の多数存在する異文化の中に自国の文化の存在を知らしめるためのものであったと考えるものである。

まさしく「インターナショナライゼーション」である。

この論を以て言うならば、アフガニスタンに於ける「ターリバーン」の勢力復興も、イラクに於ける軍事行動がイラク国民から見れば「テロ」でなく「レジスタンス」であるということも然るべきことである。

彼らが文化的、或いは宗教的な理由によって「民主化」を拒むのは当然であろう。

それは自らの存在を、「文化」を根底から否定される性質のものであるからに他ならないからである。

つい先日のことであるが、『イラク特措法』の延長が国会で決定された。

現在多くの日本の自衛隊員がイラクに於いて復興支援や人道支援という形で駐留している。

その姿はイラクの国民からどのように見えるのであろうか・・・。

自らのアイデンティティを破壊しようとしている、かつての日本に於ける「連合軍」の一軍として見ているのではないだろうかと危惧を覚える・・・。

そして、かつて日本が経験した「歴史の断絶」がアフガニスタンやイラクでも起こるのだろうか。

日本人とイスラム教国の人々との大きな違いは言うまでもなく「宗教観」であり、それに伴う「文化」「民族性」である。日本人の精神性の源泉の一つと言える「神道」は歴史的に見て、良くも悪くも様々な「異文化」との共存を果たしてきた。

しかしまた、その柔軟性・寛容性が日本人の最大の特性であり、戦後日本を経済大国へと押し上げた最大の要因であると考えている。

その最大の特性を活かし、また、かつての苦い経験を生かし、まさに「異文化」であるアフガニスタンやイラクに対して自衛隊の派遣だけでなく、貢献できる分野があるのではないだろうか。

米兵に守られなければ支援活動が出来ない状態の自衛隊員が、生命を危険に晒しながら、アメリカや日本の理論で言う「テロ」によっていつ破壊されてしまうか分からないインフラの整備などをするよりも、政府レベルで対策をすれば他にも出来ることはあると考える。

現代はまさに「国際化社会」である。

様々な「異文化」が混在し、同時に普遍原理としての「文明」が世界中に広がりを見せている。

しかし、「文化」と「文明」は同一のものではないということを理解せねばならない。

「文明の利器」の拡大によって生活の利便性は大きく向上したであろう。

しかし、「グローバリズム」即ち「民主主義」という「文化」の拡大によって戦争を生み、「テロ」或いは「レジスタンス」を生んだ。それによって元来そういった文化性を持たない、或いは受け入れない国々の土着文化や歴史の連続性が失われようとしている

明治維新、敗戦を経て、日本人が失ってしまった文化性、精神性も同様である。

現代の日本に目を遷せば、かつては見られなかった現象に頭を悩ませている。

少年犯罪の凶悪化、家庭内暴力の増加、性風俗の乱れなど、枚挙に暇がないが、それらは日本文化の荒廃が招いているものであろう。

それは「アイデンティティの喪失」と、現代の価値観の多様化がもたらした二元論の崩壊、つまり自己存在に対する善悪の規定の崩壊を意味すると考える。

如何なる国であっても、長い歴史を持つ国であれば、その国の淵源は大抵の場合は「神話」である。戦後に「民主化」された日本は経済的な豊かさを追い求め、資本主義社会を浸透させてきた。

その結果、現代は「唯物論」が支配的となり、「神話」の類に関しては否定的な社会になってしまった。

その理由として民主主義、資本主義を生み出したヨーロッパと「宗教文化」が決定的に違う点が挙げられる。

つまり、戦後の連合国主導の「再教育」によって自国の歴史的連続性が損なわれたと同時に、市場原理によって都市化が進み家郷社会の解体が起こった。それが意味することは、日本の土着宗教である「神道」、即ち「共同体信仰」の原理の破壊であった。

キリスト教やイスラム教などの所謂「一神教」を宗旨に持つ文化圏は、その宗教的概念に於いても、文化的性質に於いても「個人救済」或いは「個人主義」というのが中心にある。であるから故の対立構造が生まれるのは理解できる。

これは世俗化を「是」としたキリスト新教系「グローバリズム」、言い換えれば「一元主義」と世俗化を許さないイスラム教「ファンダメンタリズム(原理主義)」とも言うべき概念の二項対立である。

が、しかし、日本の「神道」の概念、或いは日本人の「文化的特性」他者に対し寛容であり、且つ「異文化」を吸収・消化する柔軟性を持ち合わせているのである。

更に「鎖国時代」の限りある生活環境から培われた文化的特徴として、可能な限り対立を避けようとする特質があったと言えるのではないだろうか。

こういった日本の文化的特質から考えると、敗戦当時の日本は占領政策に対して現在の「ターリバーン」や「アルカイーダ」、イラク国民のように「テロ」或いは「レジスタンス運動」が起きにくい状況であったと考える。

そして現代、キリスト教原理以外の「文明」的要素を受け入れ、「近代化」「民主化」を成し遂げた日本人は、独自の文化性を大部分放棄し、皮肉にも、見事に「グローバル化」を果たしたと言える。

しかし、明治維新後の日本が目指したものは「グローバル化」ではなく「国際化=インターナショナライゼーション」であったはずである。

そして、方向性が変わってしまったことに気付きながらも、糺すことが出来なかったその「ツケ」が、現状に様々な形で現れているのではないだろうか。

「共同体」の原理によって生活規範が保たれていたこの国に、「一神教原理」即ち「個人主義」を背景に持つ政治システムを導入し、そのバックボーンがないまま、どこかに精神性を置き忘れたまま発展させてきた軋轢が、今ここにある。

今まさに、この教訓に学ぶべき時である。

日本が日本足るべき理由と、その存在感を世界に知らしめるためには「アイデンティティの復権」以外にあり得ないのである。

「グローバリズム」の限界が今、中東に見えているのである。

今こそ、各々の文化性を互いに認め合い、共存することこそが真の国際交流の価値であり、その最終目的たり得るものである。

それは日本人にしかできないことである。

日本の誇るべき文化特性が持つ、或いはその土着信仰である「神道」が持つ寛容性、柔軟性を遺憾なく発揮し、国際社会に貢献するべきである。

現在、世界人口は60億といわれる。

これからも爆発的な人口増加が予想される。

それは全世界レベルで「鎖国状態」に陥るということを意味しているように感じるのである。

限られた資源。限られた生活環境。世界的に食料生産に適した耕地面積は限られている。

そんな生活環境で生き抜いてきたのは恐らく、世界的に見ても「鎖国時代」の日本くらいなものであろう。

かつての精神性を取り戻し、アイデンティティの復権がなったその暁には、きっと日本人が、かつての日本人の生活が見直されることとなる。

アフリカで始まっている「もったいない運動」などはまさにその前兆と言えるだろう。

繰り返す。

我々は今一度、自国の「文化」と「宗教性」を見直し、その精神性とアイデンティティの復権を果たさねばならない時が今、来ているのである。

                   了

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2007年6月27日 (水)

現代と神道 ~特別編その2~

前回の続きです。

今回ブログへのエントリアップに伴い、若干文章を付け足してあります。

原稿自体は少し前のものですが、時系列的に最近の事柄も入ってきますのでご了承下さい。

では早速続きを・・・。

グローバル化と国際化、民主化と日本人の宗教性 その2

中世になると日本は若干の混乱期を迎える。

天皇・公家中心の政治体制から武家中心の政治体制へと移行していったのである。

それまで比較的安定的に国家運営が為されていたものが、数多くの戦乱が起こり、文化的にも安定しない時代が続くのである。その戦乱が収まり、文化の発展を見るのは豊臣秀吉の天下統一を経て、徳川幕府の成立を待たねばならなかった。

しかし、その中世に日本は初めて西洋の「グローバリゼーション」と出会った。

当時は「グローバリゼーション」と呼べる様な代物ではなかったかも知れないが、西洋のキリスト教一元主義を基にした「大航海時代」が後の「帝国主義時代」「民主主義の拡大」の到来を予見させるものであったと考察する。

日本の地を踏んだ最初の西洋人はキリスト教宣教師であると言われている。

彼らは種子島に上陸し、鉄砲を伝える。いや、正確には「持ち込んだ」のである。しかし、当時種子島にいた鍛冶などを行う職人たちの眼に触れ、興味を抱いた彼らは分解してその構造を知ると、世界の「最新技術」である鉄砲の製造技術は瞬く間に全国に広げることになる。そして数年後には鉄砲の保有数は世界一になったと言われている。

そんな環境の中でキリスト教宣教師が九州に上陸し、布教を開始する。

布教活動の中で彼らは時の権力者であった大名に取り入り、信者を多数獲得していく。

また、当時天下に最も近いと言われた織田信長に謁見し、直に布教の許可を得ている。

そして彼らは勢力を伸ばし、特に九州に於いてはキリシタン大名の権力を背景に寺社仏閣の破壊行為に及ぶのである。しかし、時を同じくして国内では世に言う「本能寺の変」が起こり、権力の座は信長から秀吉へと移っていった。すると、秀吉はキリシタンが大名の力を借りて領民を半ば強制的にキリシタンにしていることと、それら領民に寺社仏閣の破壊を命じていることに関して疑義を呈するのである。そして彼らに質問状を送るが満足な回答が得られず「伴天連追放令」を出すに至ったのである。

この時、西洋人達は武力の行使も吝かではなかったはずである。

しかし、彼らはそれをしなかった。またそれは何故か。

前述した通り、当時の日本は鉄砲の保有数世界一であった。

つまり、彼らが持ち込んだはずの世界的最新兵器の大量製造が可能な技術力を有し、しかもその技術が全国に広がっており、武力による制圧が不可能と考えていたからに他ならないのである。また、技術が広がっていたことはその当時、職人が国内での移動を比較的容易に行えたことを証明するものでもある。

「伴天連追放令」の後に「切支丹禁教令」が出され、日本国内、特に九州におけるキリシタン弾圧が繰り広げられた

ここで推考しなければならないのは、秀吉が最終的に禁教令を出すに至る彼の思考である。

あくまで個人の思考であるが故に推論の域を出ることはないが、彼が追放令、禁教令と順を追って弾圧への態度を硬化させていく背景には、彼らの寺社仏閣の破壊行為やそれまでの九州地域の領民の生活を強制的に変えさせたことにある様に考えられることである。

つまり「日本独自の既存文化への破壊行為」を通して破壊されるであろう、前述の「日本人の特性」に対して、秀吉は体制の維持が極めて困難な状況に陥る可能性があり許容出来ないと考えたであろうと推考出来るのである。

秀吉のこれらの政策は、当時の社会情勢を鑑みるに、極めて的を射ていたと言えるだろう。

この後、天下を取り、実権を握った徳川家康も江戸に幕府を開き、禁教令を出し、幕府として「鎖国政策」を打ち出すのである。

その結果300年近くの平和と、所謂「町人文化」の隆盛、後の近代化に繋がる国内の産業体制を確立させるに至るのである。この国内における繁栄の背景には高度な技術力を有した職人や、高度な流通システムを醸成させた商人など、所謂「民間の智恵」が大きな働きを有していたことを付記しておく。

そして近世末期、西洋との再会の時を迎えるのである。

その時、世界はまさに弱肉強食の「帝国主義」の時代を迎えていた。

その文脈の中で凡そ300年続けられた「鎖国政策」によってもたらされた、安定した日本社会が仇となり、幕府はその無能さを露呈することとなる。

対外交渉に慣れていない幕臣、平和の中で近代兵器の保有数を制限してきた幕府に対し、屈強な軍事力を背景に交渉を進める欧米列強には抵抗する術がなかったと言っても過言ではない。

外圧に迫られ、幕府は致し方なく開国に踏み切ったのである。

300年近く続いた「鎖国政策」の崩壊と同時に日本はその「帝国主義」という世界の荒波へと漕ぎ出さねばならなくなったのである。

こうして日本は明治維新を迎え、「近代化」への道筋を辿ることとなるのである。

その後は前述した通りであるが、「民主化」がいつ為されたかという点について、ここまでの論に於いて考えられる点は2点である。

一つは敗戦後の高度経済成長を迎える以前の連合軍統治時代か、もう一つは明治維新の際、「近代化」を促す為に欧米列強の政治システムを導入した際か、のどちらかであろう。

国家的な「民主化」という観点からならば後者であろう。

明治維新後に議会が発足し、立憲君主制という政治システムが採用され、国家の運営に民意が反映される仕組みが成立したからである。

また、現代的文脈から考えれば「民主化」とは人民が主権を握ることであり、国民主権の憲法が制定され、それが施行されて初めて為されると解釈すれば前者であると言える。

しかし、この理論はあくまで欧米の、言い換えれば「キリスト教文化圏」の観点ではないだろうか。即ち「グローバリゼーション」的理論なのではないかと疑義を覚えるのである。

振り返ってみると、最も日本が「民主的」であった時代は或いは「近世」なのではないだろうか。

鎖国時代の日本は限られた生活環境限られた物資で生活をせざるを得ない島国であって、その中で育まれた地方自治の在り方などは実に民主的である。

都市部の自治体制、農村部に於けると幕府との年貢米・供出米の交渉とその為に行われる村落の寄り合いや代表者の選任、町火消し等の自警団の組織化など、都市管理については領民達に一任されていたと考えられている。これは前述した「民間の智恵」の連続性の賜物と言えるだろう。

つまり、国家の政に関して民は口出し出来ないが、反対に民の暮らしに幕府が直接介入することは殆どなかったと考えられるのである。

斯様な生活様式は民主的と言えないのか。否、十分に民主的であろう。

それも極めて「日本的」とも言うべき、国の実情と政策が見事にかみ合ったスタイルであると言える。この様な政治体制であったからこそ、300年近くもの長きに渡り戦乱が起こらなかったのではないだろうか。

また、ヨーロッパでは複数回に及ぶ「黒死病(ペスト)」の大流行により人口の大多数を失い、壊滅の危機に瀕したこともある

しかし、日本では古代から現代に渡って大規模な「疫病」に悩まされることはなく、疫病による国家滅亡の危機などなかったのである。

それは何故か。 答えは簡単である。

日本は風土的に、また土着信仰の観点からも「清浄」を好む文化を有しているのである。

具体的に言えば、「穢れ」を忌み嫌う信仰を持つ民族であったが故に入浴する習慣があったという点である。

これはキリスト教にはない感覚である。キリスト教に於いて肉体に関心を持つと言うことは「姦淫」を意味し、罪となる。故に、裸になって自らの身体を清浄に保つための手入れにあたる行為である入浴が習慣化するはずもない。また、衛生設備が皆無であったので排泄物やゴミの類が道路や裏庭に積まれ悪臭を放ち、人間には蚤や虱が湧き不潔そのものであった。

しかし、キリスト教は霊魂の救済こそが徳行であり、肉体そのものをなるべく目から遠ざける人こそが有徳の人であった。

然ればこそ、疫病が広がるのも宜なるかなである。

しかし、悪疫や厳しい自然環境を、ヨーロッパ人は知恵を絞り「大航海時代」経て「産業革命」を達成し、自らの与えられた諸条件の中で克服していくのである。

その中でも特筆すべきは「ルネッサンス」「宗教改革」さらには「啓蒙主義」などを通じて散見される彼らの「知識欲」の対する貪欲さである。こういった文化性こそが、世界から尊敬を集めるヨーロッパたる所以であるのではないだろうか。

主に日本の「近代化」「民主化」を例にとり、対比としてヨーロッパの文化性を考えてきたが、斯様に考察を進めるとどちらもある意味では優れた文化であり、ある意味では劣っていると考えることも出来るのである。

まさに「文化」には優劣の付けようがない、と言ったところであろうか。

日本の文化や神道という民俗信仰も島国という空間的条件あってこそ、イスラム教も砂漠の中にある国であってこそ、キリスト教も然り、資本主義も民主主義も然り、諸々の空間的条件や生活に関する時間的経過によって生み出された、その環境で生き抜く術であると言い換えることも出来るのではないだろうか。

そう考えてみると、「民主化」という概念が正しいものであるかどうかは捉え方により、観点により、その空間的条件により変化するのではないか、と考えるのである。

                            つづく

前回、暫くぶりの更新に対し、多数のコメントをお寄せいただきまして有り難う御座いました。

一時は本当に「ブログが続けられるかどうか」と悩みましたが、閉鎖や休止宣言をしなくて良かったと、心から感謝致しました。

これからもマイペースですが、更新していこうと思います。

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2007年6月25日 (月)

現代と神道 ~特別編その1~

暫くぶりの更新になってしまいました。

本当に有難いことではあるのですが、余りの忙しさに目が回るようでありました。

一時、このブログもあまりに更新が出来ない現状から閉鎖、若しくは休止宣言でもしようかとも思いましたが、少しずつでも更新しようと思いまして、思い留まっておりました。

今回は「手抜き」と思われてしまいそうですが、以前にあるところに寄稿しようと書いたのですが結局使わなかった文章です。

その時に使いたかったのですが、若干趣旨が異なってしまったため使用できなかったものです。比較的長文でありますので、3回に分けて掲載しようと思っております。

長い前置きになりましたが掲載致します。

グローバル化と国際化、民主化と日本人の宗教性

キリスト教にせよ、イスラム教にせよ、神道にせよ、仏教にせよ、全てが各々の土着の信仰であり、文化を形成してきたものである。

社会学者M.ウェーバーはプロテスタンティズムが資本主義社会を生み出したと言った。(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』参照)

グローバル化に対しテロなどの報復行為が是認されるべきではないが、視点を変えるとキリスト教原理の各国から観れば「テロ」であり、イスラム原理の各国から観れば「レジスタンス」と言えるのである。彼らの文化は資本主義ではないし、民主主義では有り得ない。ムスリムは「世俗化」すること自体が罪であるから、彼らの原理に添うことは万死に値するものだからである。

しかし現状に於いては「文明」という、言うなれば「普遍原理」「文化」という「変遷」を伴う同一のものではないにも拘わらず、その「変遷」に対して他者から強要が行われている。

「グローバリゼーション」という名の欧米軍事列強による「民主主義拡大政策」がそれである。仮に強要、強制の類の行為を受けたとすれば、彼らは「クルアーン」に則って「聖戦=ジハード」を起こす。しかし、それは決して「テロ」と呼ぶ類のものではなく、彼らにとっては「アイデンティティ・ウォー」に他ならないのである。

それが「ターリバーン」や「アルカイーダ」がイスラム諸国から支持を得ている最大の要因であると共に、アメリカが言うところの「文明とテロの戦争」という認識が彼らと如何に遠いところにあるかという証明とも言える。

私の立ち位置は彼らの行為を是認はしない。が、しかし、こういった戦争を招き起こしたアメリカ、それを黙認、是認した日本をも含む欧米諸国(中には反対している国もあるが)も同様に肯定することは出来ない、というものである。

それは即ち「民主主義」と「宗教」が相容れない存在なのではなく、「グローバリゼーション」の名の下に彼らの「アイデンティティ」が蹂躙されることが、彼らには我慢ならない、受け入れられないという考察からである。

仮にイスラム国家において民主化が進められるということがあるのならば、それは彼ら自身によって発議され推し進められるべきであり、アメリカの手によって行われるべき性質のものではないのである。アメリカも9.11以来この類の戦争を展開してきたが、この9.11同時多発テロ(私はこの名称を使うべきではないと考えるが便宜上使用する)も考えてみれば、中東情勢(特にパレスチナ問題)におけるアメリカの国策としてのイスラエル保護に端を発しており、2001年というキリスト教にとっては「特別な年」(ミレニアム=千年帝国の新たな建国・または復活の年)に起こっているという事実を見逃してはならない。

ユダヤ教に起源を持つ両宗教の歴史的構図と現代の「世俗化」されたキリスト教の繁栄が生んだ「驕り」が、本来優劣は存在しないハズの「文化」を、異質のものである「文明」の優劣にすり替え、「文明」の粋である軍事力を持って制した、或いは中東においてイスラエルが行っている軍事行動を容認、援助した事実は、これからも欧米人や日本人が言う「テロ」を益々頻発させるきっかけになることであると考える。

彼らの「行動」を決起させるその「元凶」を絶たない限り、つまり「グローバリゼーション」「インターナショナライゼーション」の違いが見出せない限り、この争いは無くなることはないであろうし、「民主化」が「善」で「非民主主義国家」が「悪」であるという二元論では解決出来ないであろう。

日本が「民主化」を成し遂げた経緯には、「明治維新」からその痕跡を辿ることが出来る。それは日本が当時の欧米列強に対抗する為に「近代化」を最優先課題とし、富国強兵政策を実現する為、積極的に彼らの文化、特に政治システムや軍事体系を取り入れ、日本人の精神的、肉体的改造に踏み切ったゆえである。

しかし「彼ら」にはそういった意志がない。

むしろ拒んでいるのである。

彼らからすれば、これが「強要・強制」でなくてなんなのであろうか・・・。

ここで日本の「民主化」の経緯を考察したい。

異教徒として「資本主義・民主主義」を導入し、象徴として天皇を国民の中心に据え国家の統合を図り、先の大戦へと進み、壊滅的な敗戦。しかし戦後の高度経済成長を経て、世界的な経済大国となった日本を、その先駆けとして世界的視線はどのように見ているのか。

それは極めて「前近代的」な視線である

日本人のイメージは「勤勉であり、礼儀正しく、協調性に優れている」というものが多数であろう。また逆説的にいえば「猿真似が上手い、感情を表さないので何を考えているか解らない、集団で行動するしか脳がなく個人では何も出来ない」等とも言うことが出来よう。

前述した様な日本人のイメージに見られる共通点は何か。

勿論それはかつての日本人の「生活様式」である。

「水田耕作」の文化であり、近世の「鎖国政策」に代表的に見られる「島国文化」である。

狩猟民族が稲作の普及によって定住農耕民族へと変容し、共同体中心の文化が構築された。

また、狩猟個体の絶対数に生活が左右される狩猟生活と異なり、農耕生活は比較的安定的な食糧の供給が約束された上、共同体に於いて創意工夫が成されればその成果に応じた収穫が期待できるようになる。つまり「勤勉性」の確立である。

更に農耕に於いて重要な要素として周囲との信頼・協力関係が前提とされるのである。

そこに求められるものは「協調性」であり、周囲との関係を維持する上で「礼節を重んじる」のも然るべきことであったと考えられる。

これらの特性は、おおよそ日本に稲作が伝来し、それが普及していった「弥生時代」に起源を求めることが出来る。

その後、遣隋使、遣唐使の派遣によってもたらされた「儒教」や「仏教」がこれらの特性を強化する後天的要素として広がりを見せるのも或る意味必然であったとも言える。

しかし、それらの要素が定着する為の前提として「土着」の「信仰・儀礼」があった。

現代的に言えば「神道」である。

それらの後天的要素が入ってきた時には先人は「本地垂迹説」を説き、また生活規範を強化する為の徳目として説いたのである。

つまり、あくまで日本国家は神々の支配する国であり、その国家体制の維持という政策的観点に於いてこれらを利用・活用し、日常に浸透させていったのである。

                                                  つづく

また少しずつではありますが更新して参りたいと思います。

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