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2007年8月15日 (水)

「神への信仰」というもの

前回の文章と併せて、同じ先生がお書きになった文章で、これも当社の会報に載せたものです。会報では2ヶ月続けての掲載となりました。では早速・・・

神への信仰というもの

信仰とは読んで字の如く、あくまで「信じて仰ぐ」にある。

神様や人様の言霊を耳に、心に聞いて信じ行う「信行」し、以て実行するところに心の行い「心行」となり、信じ幸せな「信幸」となる。

迷いの心を払い光差し「心光」と書き、外面に視し身の行い「身行」をするので、幸は益々心の幸「心幸」となり、身の幸「身幸」となる。

神に願うのではない。心の願い「心願」である。願するところに根害あり、その害する己の根を掘切る「(おしえ)」を「求」めて「救」われるの文字となる。 

神の御許、教えに進み行く「進行」し、「信仰」によって神を感じ「神降」し、そこからさらに「深考」することから心改まり「心更」の信念が生じ新しき行い「新行」の大道開拓となる。

神仏のための信仰でなく、荒木の心即ち「心荒」のための「沈行」をして徳を遺憾なく発揮することにより愉快な人生を見出すことである。

その為にノビノビと「伸行」し「身行」となり「深交」の良き友が集い来るのは眞の行い「眞行」による来福であり、「深交」するので益々と和樂の日が送れるのである。

己我無(おがむ=拝む)精神無い者は不健全な自己の行動に気付かず、人を恨み、咒い、譏り、怒り、嫉み、行き詰まって震える行い「震行」し、地震の玉子のように身震いしている。自震では生きられない。自らを養い愛で給う神を感じ自神であれ。 自らの心、即ち自心は自信により自眞となし、我の尊さを知る自神となるのである。

さすれば心機一転、神の御力を戴き「振興」となる。野良も自由も蒔かぬ種は生えぬ。花を咲かせ実を結ばせる「深耕」しなければ、種は水に流され鳥に食われる。教えの種を蒔くように神起・心気・新気の種を蒔こう。用意周到の深耕をするのである。

これを患しいと云う事が「貧行」となり「診行」して見放され情けないと泣き溢し、人に拾われるのも知るや知らずや、あぁ情無い不人情の人である。

平常の「心構」が欠けている空(から)心が空駄(からだ)・・・身体・・・「身構」に油断するな。わずかなスキ間に「魔」が入り込んでくる。

私運行(しんこう)」の現世の生活は「親孝」の賜と知れ。

平素日常の神への奉祀と感謝、自己の神「自神」と共に強く祈り「志運行(しんこう)」するところに開運となる。

「心こそ 心迷わす 心なり 心の心 心ゆるすな」

                          了

今回は若干宗教色が強いテーマでしたが、私もこの先生に近い考えを持っております。

日本人の神への信仰心と現代の日常生活を考える上で、こういった規範的な要素が薄らいでいる事実は、現代が抱える様々な問題と無関係でないように思います。

古代、神話を肌で感じてきた日本人が持っていた感覚を、現代を生きる我々は失くしてしまっているのではないでしょうか・・・。

この大自然の運行と「私運行」は無関係ではないはずです。

この先生のこの原稿を読んで、私も「私運行」は「志運行」でありたいと感じました・・・。

先に述べましたが、今回のテーマは若干宗教色が強く、また読みにくかったことと思いますが、御容赦賜れれば幸いと存じます。

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2007年8月12日 (日)

「生きる糧」というもの

更新が滞っておりました。

久々の更新なのですが、以前私の師にあたる先生が会報に寄稿してくださったものがありましたので、ご紹介させていただきます。

またこれと別に、この先生が今回のエントリの原稿と共に書かれた小文もありますので、後日掲載させていただきます。それでは・・・

「生きる糧」というもの

人に生き方を旅路にたとえたり、航路になぞらえたりしますが、長い人生には平穏な時ばかりではありません。

時には雨、風の激しい日、波の立ち騒ぐ日もあることでしょう。

誰でも平穏を望む処ではありますが、そういった航路ばかりを選んでいますと、つい惰性に流され、安流に慣れ、突然の激しい風雨や波風に遭遇した時に、ただ慌てるばかりで適切な処置が出来ず、取り返しのつかない痛手を負ってしまうことにもなります。

楽な生き方には向上性が無く、何によらず良くなる為には困難がつきまとうものであります。

望んでも手に届かなかったものが、懸命な努力によって、或いは長い時間辛抱した結果、得られるからこそ喜びとなるものであり、簡単に手に入るものの中には、その感動や満足感を見出すことは出来ません。

自ら求めてまでもその苦難に体当たりしてゆく生き方にこそ、成し遂げた時の深い喜びが与えられるものです。

昔から「苦労は買ってでもせよ」と云われているように、私達は人生における辛酸を、むしろ自ら進んで求めるくらいの心構えが大切です。苦労から逃避してばかりでは、いつまで経ってもそれを乗り越えてゆく力が備わらず、何事にも挫折してしまう虚しい人生を送る事になります。

苦しみや悲しみを人間向上の為の有難い試練だと、素直に受け入れ頂いてゆく処に価値のある人生が生まれるのです。

また、「味わう」という言葉は、ただ単に体験するだけでなく、それが持つ意味を充分に理解し、感じ取ってゆく事であります。苦しみや悲しみをあるがままに、そのものとして「味わう」ことに依って、自分の「心の糧」としてゆく事ができ、そこで初めて他人の苦しみや悲しみも理解できる、温かい心が養われていく事になるのです。

苦労を共に味わい、噛みしめて、深みのある人生を過ごしていこうではありませんか。

「なぁに、また明日がある」「先がある」と考えていると、いつの間にかどんどん日が経ち、それが一年、二年と続けば、為すべきことも為せずに終わって、後悔することになりかねません。つまり、時間は限りある自分の命をそのものであると云えます・・・。

それは「砂時計」のように、毎日毎日、自分の持っている有限の砂を少しずつ落として生きている、というようなものかも知れません。それはいったん過ぎ去った時間を呼び戻すことも叶わぬことです。

私達が人間として此の世に生を受け、斯く存在しているということは、それ自体が尋常なことではありません。生きとし生けるものは全(みな)等しく、火・水・風(空気)・大地と、とめども尽くせぬ大自然の恵みを受け、またそれから生産される。衣・食・住に事欠くことなく自由に生活を営んでいます。これ等の事にただ感謝と喜びを抱くだけでなく、何かを以て報いようとする事は、人間が大自然の恩恵を受ける存在、それは即ち「かみのこ」として当然の義務であると思います。つまり、世の為、人の為に何かお役に立てるようにと願う気持ちが大切なのであります。

その願いを、仕事を通じて叶えることが出来れば、これは素晴らしいことではないでしょうか。

「少しでも世の中に貢献しなければならない」という使命感を以て事に当たれば、より大きな力を発揮することができ、生気に満ち溢れた意義ある人生を過ごすことが出来るものと確信いたします。

人生の旅すがらには色々な出来事が起こるものです。楽しいこと、嬉しいこと、悲しいことや煩わしいこと、苦しいこと、辛いこと・・・数限りない出来事が湧いてくるものです。それを一つ一つ味わうだけの「心のゆとり」を持ちたいものであります。

斯く云う私も、十三歳の時から奉公に出された。故郷を発つ時の私の姿は、手織り木綿の着物、持ち物といえば「行李(こうり)」でした。その衣装もお袋の朝早く、夜遅くまでの賃仕事の合間を利用して、丹精込めて作ってくれた手織りの木綿であり、母の心づくしの、唯一の贈り物でした。これが私の六十年ほど前の故郷を出る時の境遇でした。

年期奉公、二十円とかで、旦那さんもお内儀(かみ)さんもよく私を使ってくれました。 明星を頂き夜星を見て大八車を引かされれました。 毎日辛い苦労の続く私でした。

「喰いたい」「あれも欲しい」「之も欲しい」「お金を貯めたい」という欲望は、貧乏な家に育っただけに人一倍強かった事は勿論でした。

故郷を発つ時に、親父が口癖を酸っぱくなる程言っていた。

「頑張るだぞ。辛抱しろよ。腹立てるな。泥棒だけはするなよ・・・・。」

と耳が痛くなるほど聞かされたのです。小ちゃな身体で頑張ったが何せ大八車に薪の山。それを舵取る事は並大抵ではない。おまけに道はでこぼこ道。前に進むのも「ソロリソロリ」と汗がこぼれる、腹が減る。ふと七、八人の高等科(現在の中学生)一、二年生ぐらいの生徒達が荷車の後ろに廻った。「これは嬉しい。車の後押ししてくれる」と思いきや・・・?「や、ヤァ。チビ、チビ小僧だぁ!ワァイ!」と言い乍ら、てんで荷車の後部にぶら下がったのです。

後ろが重くなったので、車を引く私は舵と共に宙に浮いて足をバタバタ「止めてよ、止めてよ!」と叫ぶのですが、一向に生徒達の変わる更るぶら下がる跪拝(きはい)に、流石の私も一寸の虫にも五分の魂と、舵から手腕を離し飛び降りて、腹立ち紛れに荷車の薪を一本抜いた、その瞬間「やぁ!チビ!怒ったぞ!!やっちまえ!!!」と反対に袋叩きになってしまいました。

「この奴ら!!!」の大きな声に気が付いた。起きて見ると、自転車を転がしながら人の良さそうなおじさんが、私のそばに寄って来ました。周囲を見ると、遠くの方に、蜘蛛の子を散らしたように生徒が逃げていく姿が見えました。

「ばかぁさっしやる。可愛そうに。怪我はなかったか」「うん、大丈夫です・・・。」

と、言ったものの右腕に血が滲んでいたり、足腰に痛さを覚えました。

「ありがとうございました。」と言いつつも涙拭き拭き荷車の舵を取ると、おじさんは親切に自転車を転がしながら大八車の後を片手で押してくれました。

「こんなに沢山積んで大変だなぁ。あぁ、何処のお店?・・・あぁ・・・○○○かぁ。大変だろうが、辛抱してさ、頑張ればな、必ず出世するさ。じゃあ・・・おじさんはこの辺で。」

と云うので、うしろを振り返ると、もう親切なおじさんの姿は見えませんでした。 あの時の嬉しさは忘れることも出来ず、あの優しいおじさんのお顔も忘れることは出来ません。

それに一方「チビ小僧」と云いつつ、荷車も押してくれず、ぶら下がったりし、寄って集って袋叩き、押し潰された口惜しさは生涯忘れ得ぬ事と思ったものの、「今に見て居れ!僕だって見上げるほどの大木に、成って見せずにおくものか!!!」との信念を、この私に持たしてくれた人達だと思う時、あの生徒達を恨む処か、むしろ感謝しなければならないのだと思いました。

私の人生の旅はあまりにも過酷過ぎた。だが歩んで来た道にあったのであり、歩んだ道は東でもなく、西でもなく南・・・『皆見』てくれた処から北(来た)道にあったのです。

種々のことがあった・・・。

色々な出来事が、どう仕様もない、一層のこと死んでやろうか、などと思ったこともあったが、それは私を虐待したのではない、苦しめたのではない、又恥をかかせたのでもない。

全て、大自然からの慈悲心からであり、神よりの試練(おためし)でもあったとも思われます。足らずながらも、世の為人の為に尽くしたいとの生き甲斐と、神の前に積み上げた苦労の徳が現れてき来て、両親亡き後でも思い出して喜べる無形の徳。

果たしてそれは事実となって、今日私の恵まれた生活と立場があるのだと信じます。

徳さえ積んでおけば盤石の強さである。

徳は此の世の主人である。

必要な時に必要なだけ、お与え下さる神と共に生きる生活程強いものはありません。

栄枯盛衰、生死、喜怒哀楽を超えて、悠々と神の御心に添うて生かせて貰ってきました。

「辛抱してさ、頑張ればな、必ず出世するさ。」の声が、今生、心に焼き付いている

                                  

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