環境問題と神道文化
前回の更新よりだいぶ日が経ってしまいましたが、以前の主人の講演趣旨をまとめた原稿をそのままですが掲載させて頂きます。
「環境問題と神道文化-地球環境の危機に直面して、神道文化はどのような打開の方途を示すことが出来るか-」
現在、環境破壊は地球規模で様々な兆候を見せ、人間の存在そのものに容易ならぬ事態を引き起こしている。18世紀西欧で起こった産業革命に起因する啓蒙主義から発した人間中心主義が、近代の世俗的科学技術文明の物質的繁栄をもたらす一方で、現代の深刻な環境破壊に至る根本原因となり、その状況は刻一刻と悪化し続けている。
依然として世界経済の開発動向を支配しているこの価値観を軌道修正するには、先進と後発の諸国が共有できる環境倫理を目指すことが必要となってきているが、これまで環境問題に対してとってきた様々な対応は、あくまで科学技術による対症療法的対応であり、根本的な解決には至っていないのが現状である。
スウェーデンの哲学者アルネ・ネスは科学技術の力によって対症療法的に解決を図る(Shallow Ecology)のではなく、生態系を心で理解し、それまでの物質的繁栄重視の発想から転換を図るべく、深く、徹底的に生態系保全に努めるべきであるとした“Deep Ecology”という概念を示した。つまり科学技術で何とかしようという発想だけでは環境は守れない、人を支えている生態系を豊かにするためには人間以外の生命も含むすべての命に尊厳を認めるべきだという「生命圏平等主義」を主張したのである。
この概念は当時、聖書宗教の世界観を持つ西欧各国では非常に斬新であり大変な衝撃となったが、東アジアでは例えばそれは仏教における「殺生戒(Ahimsa)」という概念や、ジャイナ教などはこの不殺生を徹底して目指したということなどからも、こういった発想は極めて一般的なものであったといえる。しかし、我々は食事など他の生命を奪うことなくしては命を繋ぐことができないのもまた事実であり、宗教的な矛盾を常に抱えていると言える。それは農耕社会に生きる我々日本人にとって穀物、特に米は生命線であり、我々は生きるためにその「稲」という生命を摘まねばならない宿命にあるということである。
神道では「敬神崇祖」と「鎮魂」という概念がある。我々は祖先から生を享け、万物から生かされているという発想、つまり生と死とを通じた生命の霊的連帯の中で自然や人間の霊性を神とも祖先ともして祀り鎮める営みである。それは神道文化が持つ生命観であり生命連鎖という生態系、つまり自分の命を次の世代に引き継ぐことの大切さが見えてくる。そういった考えに基づいて、新嘗祭に代表される神道儀礼において自らの生命を繋ぐ「稲」という尊い生命を神饌という聖なる対象とし、象徴的行為を以てその殺生に対して意味づけすることで前述の宗教的矛盾に応えてきた。また日本人が持つ「神道文化」には「鎮守の杜」という言葉がある。日本人が「杜」には何か霊性とか神が宿るという考えを持つのは極めて自然であった。また「杜」をはじめ全ての生命を含む日本語の「自然」という言葉は名詞でもあり、形容詞でもある。そしてそれが持つ概念は「自づ」から「然る」というものであり、それこそ最良の形であると考える文化的土台に成立した宗教であることに起因して、人もこの一部であると考え、自然との共生を果たしてきたといえる。
現代の環境問題をもたらした要因の中のひとつとして現代に生きている人間だけが権利を持つという発想があり、神道文化での祖先から生を享け万物から生かされている自然的秩序の一員であるという発想は環境問題を打開する上で何らかの手がかりとなるのではないかと考える。それは旧来の精神文化への立ち返りを意味するものではなく、現在の物質文明へのアンチテーゼとなりうるのではないだろうか。そして比較文化を通じて神道文化が持つ概念が世界中で理解されるようになれば、両者を止揚させ「生命文明」と言えるような本質的かつ永続的な文明を築く一翼を担えるのではないか。
現代、世界的には爆発的な人口増加と、開発途上の国々の近代化に伴って環境破壊が致命的なところまで進もうとしている。近い将来予想される深刻な食糧不足、或いは急速な地球温暖化から懸念される氷河期の早期化。
それらに歯止めをかけるためにも、我々日本人が有する文化性、神道に含まれる宗教的規律が今こそ世界に発信され貢献するべき、そんな時代を迎えているのではないだろうか。
まさに今こそが、日本人が真に国際化を果たすべき、その時であると考えるものである。
代筆 田舎の神主の妻
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
人間の生活様式だけがあまりにも優先され他の生命と距離がおかれすぎていると暮らして思っています。神ながらという神様、即ち自然界と共存した利便性だけに依存しないくらしが望まれるとおもいます。神社にいったとき神職様のようこそお越しくださいました、というお姿を拝見しますと感動を覚えます。
投稿: 福田伸一 | 2009年10月29日 (木) 08時10分
ご無沙汰しています。のり市民です
神主さんお元気でしょうか?
体調不良はお聞きしているのですが大丈夫でしょうか?
小泉改革に疑問を呈し同じように頑張ってきましたがようやく
審判がでそうです。かなり伝統?を破壊されましたが又構築しましましょう。では…
投稿: のり | 2009年8月23日 (日) 00時06分
最近TBができないようなので、こちらにアドレスを置かせてくださいね。
http://milesta.blog72.fc2.com/blog-entry-240.html
投稿: milesta | 2008年10月11日 (土) 21時45分
コメントを頂きました皆様、返事が3ヶ月もの長きに渡り遅れてしまい失礼致しました。
milesta様
改めて記事を拝読させて頂きました。
それとご紹介頂きありがとうございます。
主人にも報告致しましたところ、大変喜んでおりました。
本人は年内に何とか自分で更新をと申しておりますが、もう少し時間がかかるかと思います。
その際はまた、是非当ブログを覗きに来てやって下さい。
spiral様
大変な体調にもかかわらず、精力的なブログの更新拝見させて頂きました。
私も浅学ながら勉強させて頂いておりますが、どうかくれぐれもご自愛下さいね。
またお邪魔させて頂きます。
喜八様
冷水行ありがとうございます。
主人に報告致しましたところ、くれぐれも宜しくと申しておりました。
さて、ご提案頂きましたリンクの件ですが、主人に報告の上、遅ればせながら当ブログの「応援させて頂いているサイト」にリンクさせて頂きました。
なにぶん、私がパソコンに不慣れなため、手続きよく解りませんが、ぜひお手伝いさせて頂きます。
今後とも宜しくお願いいたします。
投稿: 田舎の神主の妻 | 2008年8月 8日 (金) 22時31分
田舎の神主さん、奥様、こんにちは。
その後、お加減はいかがでしょうか。
毎朝、洗面器3杯の冷水を浴びる行をおこなう際、
田舎の神主さんのご病気全快を祈らせていただいてます。
ところで、今日はお願いがあってやってきました。
(コメント欄で失礼します)
「城内実さんを応援するリンク」に参加してはいただけないでしょうか?
↓以下のページに説明があります。
http://ganbare-kiuchi.com/entry/
実際の手続きは、
「城内実公式サイト」
http://www.m-kiuchi.com/
「城内みのる『とことん信念』ブログ」
http://www.m-kiuchi.com/blog/
「がんばれ城内実ブログ」
http://ganbare-kiuchi.com/
のいずれかにリンクを張っていただいて「http://ganbare-kiuchi.com/entry/」の「相互リンク依頼フォーム」から連絡をいただければ完了します。
混迷・停滞を続ける祖国日本を立て直すためには、城内実さんのような智謀・胆力に長けた方を国会に送り込むことが必要だ。
このように考えております。
田舎の神主さんと奥様のご助力をいただければ幸いです。
投稿: 喜八 | 2008年5月13日 (火) 12時08分
こんばんは、spiralです。田舎の神主さんの奥様よりコメントを頂いていたのですが、返事が遅くなってすいません。私の方は、心臓に持病があることは以前お話しましたが、それが悪化していまい、入院することとなりました。今は退院して、心臓の方の調子は良くなったのですが、入院生活が体力が落ちてしまい、日常生活をこなすのがやっとという状態です。
田舎の神主さんもお体を悪くされているとのこと、色々お忙しいと思いますが、お気をつけて過ごして下さい。私も体力を回復して、早くブログを再開したいと思っております。
投稿: spiral | 2008年4月26日 (土) 21時48分
こんにちは。先日お話しした本を記事にしましたので、TBいたします。記事の最後に、神主さんのこちらの記事もご紹介させていただきました。
以前にもあった似たようなこと・・・とは拙ブログでは『閉ざされた言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』を取り上げたときのことですね。今回もその記事にちらりと触れています。
投稿: milesta | 2008年4月24日 (木) 08時52分
milesta様
お返事とご報告有り難う御座います。
主人に話しましたところ、以前にも似たようなことがおありだとか。(笑)
内容についてはまだ良く聞いておりませんが、「国際化とグローバル化の話だよ」と主人が申しておりました。
「ブログの古い記事を読んでみなさい」とのことでしたので、後ほど探そうと思います。
milesta様のブログにも後でお邪魔させて頂こうと思います。
ありがとうございます。
投稿: 田舎の神主の妻 | 2008年4月22日 (火) 12時53分
田舎の神主様、奥様、お返事有難うございます。
この記事を私が拝読したその日に、我が子が読み始めた本(『ぼくの・稲荷山戦記』 たつみや章 講談社)が、まさにこのことをテーマにしたもので、その偶然にたいへんびっくりしました。自然と人間との共存、先祖から私たちそして子孫へ伝えていくことの大切さ、これがおもしろいファンタジー仕立ての物語になっています。中に出てくる何気ない台詞が、神主さんの常日頃書かれていることにそっくりなのですよ。そのうちブログ記事にも紹介するつもりですが、あまりの奇遇に驚き、嬉しくなり、こちらにご報告に参りました。ではまた。
投稿: milesta | 2008年4月21日 (月) 14時13分
milesta様 喜八様
こんにちは。
コメントありがとうございます。
主人に伝えましたところ、伝言を預かりましたので、代筆させて頂きます。
「milestaさん、喜八さん、ご無沙汰しております。
此の度は私議におきまして昨年より体調を崩しておりました。
今は自宅と病院と、社頭奉仕と自らの職責を全うすべく、療養に努めながら日々努力しております。
さて、過日の講演要旨をブログにおきまして更新記事とするよう、家内に申しつけましたところ、お二人よりのお返事を賜りましたことを御礼申し上げます。
milestaさん、お褒めの言葉を有り難う御座います。
私自身が此の生涯の中で、一神職、一日本人として此の国の有り様、我々が先人より賜った生き方というものをより身近にすることに貢献できているのかなと、今後も一層の努力をしなければという心持ちをお与えくださり、また、家内共々ご心配とご厚情を賜り有り難う御座います。
喜八さん、日々の冷水行とは、また良い習慣を身につけられましたね。私も以前は、良く境内で禊行をしておりました。
まさに、心身ともに清められ、一日を気持ちよく過ごす基と鋭気を授かっている、そんな気分にさせられますよね。
また私のために御祈願賜り有り難う御座います。
喜八さんにも神様の御神徳が授かりますよう御祈念を申し上げます。
お二人の憂国の念、また生活への警鐘は必ずやこの国を良い方向へと導くものと確信を持っております。
私の体調、また家内共々ご高配を賜りまして有り難う御座います。
私も一日でも早く体調を戻し、自ら更新できるよう努力して参ります。
お二人に神様からのお守り、またますますのご活躍をご祈念とお願いを申し上げます。」
私からも、主人に変わりまして御礼申し上げます。
有り難う御座います。
今後ともご指導頂けますよう、よろしくお願い申し上げます。
投稿: 田舎の神主の妻 | 2008年4月20日 (日) 17時48分
田舎の神主さん、奥さま、こんにちは。
このところ2ヶ月近く、毎朝洗面器の水を3杯浴びる「冷水行」をしています。
その際、田舎の神主さんのご病気回復も祈願しております。
城内実さんの真似をして気軽な気持ちで始めた「冷水行」ではありますが、これはなかなかいい習慣を身に着けたと思っています。
このごろではなんだか神道的な感覚が身につきつつある・・・と自分では思っています(笑)。
田舎の神主さんが全快されるまで、祈願を続けます。
今後ともよろしくお願いします!
投稿: 喜八 | 2008年4月19日 (土) 15時50分
奥様こんにちは。お忙しい中、記事の更新をありがとうございます。
本当に書かれているとおりですね。
先日、ある雑誌に日本はヨーロッパに比べて環境保護意識が低いというようなことが書かれていましたが、江戸時代はものすごいエコ社会だったとか、「もったいない」という言葉は日本独自のものだとかいうことを考えると、本来の日本は自然と共存する社会だったはずですよね。それを今はすっかり忘れている・・・というか、元々無意識の共存だったため、意識のないまま近代化を推し進めてしまったのですね。
今の環境保護はブームみたいな所がある気がするので、神主さんの書かれているように、自然を大切にし次の世代によりよい環境を残していくという神道的な観念を皆に持ってもらって、一過性でない自然との共存を目指していかなければなりませんね。
以前は、神道には教典などがなく、特に定まった「教え」はないのだと思っていましたが、神主さんのブログで、様々な神道の教えを知るようになりました。神主さんのご快復を心より願っております。また奥様もどうかご自愛下さい。
投稿: milesta | 2008年4月19日 (土) 11時05分