2007年4月 4日 (水)

「御加護」ということ

このところ、公私ともに立て込んでおりまして更新が滞っておりました。

最近は社務、講演等に精力的に臨んでおりましたところ、体調不良に陥りましてすっかり御無沙汰してしまいました。

過日のことですが、今年も昨年同様、伊勢の方へ行って参りました。

また、今年は京都の伏見稲荷大社をお参りし、その後は新撰組の足跡を辿りながら、幕末期に所縁のある所へを観光して参りました。

京都での宿泊は「京の奥座敷」と言われる「湯ノ花温泉」の旅館にお世話になりました。

ところがここで若干のハプニング・・・。

今回の旅行に同行された総代の方が突然、風呂上がりに卒倒され、救急車騒ぎを起こしてしまいました。

その場でご本人から「数日前から体調が優れなかった」とのお話を頂き、その旨を救急隊の方に説明をし、とりあえず近隣の病院へ搬送との運びになり、私が同乗致しました。

然し乍ら、救急隊の方々も旅館からの搬送であったためか、どうやら急性アルコール中毒か、湯あたりくらいとしか捉えて居られなかったようでありました。

ところがその搬送中、その方の容態が急変し、一時は心肺停止状態になってしまったのです。

救急隊の方々が大慌てで緊急措置をされ、事無きを得ました。

そして救急車の車内は緊迫した状態で病院へと急いだのでした。

そして病院へ到着。 救急救命処置室に運ばれ、隊員の方から先生に御説明していただき、そのまま緊急入院。 そこでくだされた診断は「不整脈による突発性心臓発作」とのことでありました。

先生が仰るには「いつ心臓が止まってそのまま亡くなってしまってもおかしくない状態だった」との由。

ご本人が気付かない所で「不整脈」という爆弾のような病を抱え込まれていたのです。

そして私が宿に戻ると、皆さんがお集まりになって状況の確認にいらっしゃったのです。私が御報告申し上げると、

「まったく、お伊勢への旅行に来て倒れるなんて・・・。」

とある総代の方が仰いました。

然し、私は反対に思えて仕方ありませんでした。

お伊勢参りに来たのだからこそ、この様になったのかも知れない・・・。

皇太神宮の御祭神は言うまでもなく天照大神です。

日の大神です。

潜在的な病をお持ちだったからそれを神々しい御光で照らして下さったのではないか・・・。

だからこそ、救急車の中で思い違いをされていたであろう隊員の方々にその病状を知らせるために発作が起こった・・・。しかも結果的に事無きを得られるように・・・。

そのことがあったからこそ、病院でもスムーズな治療を受けることが出来たではないか・・・。

仮にそのまま旅を続けていたら・・・。

何も気付かずにご自宅に一人戻られて、そこで発作を起こしていたなら・・・。

現在は御家族の看病の下、ペースメーカーの埋め込み手術を受けられるそうで、手術に備え治療に専念するよう入院されていらっしゃいます。

「神の御加護」・・・・・。

その奥の深さを垣間見た・・・そんな気がした旅でした。

追伸:私もまだ、体調の方も完調ではありませんので、御報告までと云うことで更新させて頂きました。体調が整いましたら、また逐次更新して参りたいと思っております。

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2006年10月21日 (土)

大雄山 最乗寺

今月の上旬に第4子が誕生し、私事でも多忙な折ではありましたが、職員と総代の方々とで、毎年の恒例行事で神奈川県南足柄市にある、大雄山最乗寺に「お籠もり」へ行ってきました。

今回で61回目を数え、一番古くから来られている総代の方ではもう42年も続けて来られてらっしゃいました。

ここでは毎年、御供式(ごくうしき)を奉納し、翌朝にはおつとめ、大祈祷を致します。

勿論、こちらはお寺さんですから「仏教」であります。

私達、神道に帰依する「神職」がそこへ「お籠もり」するのも妙な話のように聞こえるかも知れませんが、この日本は「神仏習合(混淆)」の国でもあります。

元来の考え方からするならば、「神道」と「仏教」は切り離して単一の物として考えることは不可能なことであり、歴史的な文脈から考えてもそういう側面が垣間見えます。

この最乗寺においても、朝の大祈祷を行う「真殿」には「御神鏡」があったり、「真殿」だけでなく「本殿」にも榊が活けてあったりと、本来仏教では有り得ない、神仏混淆の色彩が見られます。これは唯の推測になりますが、「真殿」ももしかしたら、かつては「神殿」と書き表されていたのかも知れません・・・。

そんな様々な憶測に、この国の精神性の変容を想像を付け加えながら色々なことを考えていました。現代的な価値観や、その価値観を支えている「合理性」というものについて、深く思考を巡らしていました。これについてはいずれまとめ上げ、出来ればこのブログ上でもアップできればと思っています。

ちなみに「御供式」は夜に行うのですが、ものすごく神秘的な式であります。

諸般の事情で多くは語れないのですが、少しだけお話しすると、「目隠しをした僧侶が頭にお供え物を載せ、ものすごい勢いで階段を昇っていって御供えをする」のですが、ハッキリ言って「一見の価値」があります。

今年は一度も雨が降らず、参拝には適した気候でした。

が、この「御供式」を見るときはその日に一度雨が降っていると、空気が湿った感じでものすごく幻想的な雰囲気になるのです。そういう意味では少し残念でありました。

然し乍ら、この忙しさの合間にもこうして参拝させて頂ける有り難さをこの身に感じることが出来ました。

日常の雑事、雑念から離れてこの聖性に触れ、少し頭の中もすっきり出来ました。

たまには通常の参拝だけでなく、こういった修行的な経験も良いですね。

私は年に一度で充分ではありますが・・・・。(苦笑)

更新のペースが滞っておりますが、出来る範囲でこれより前のエントリについても続編を書いていきたいと思います。今回は少し余談でした。

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2006年9月 6日 (水)

皇孫 秋篠宮家 親王殿下御誕生 おめでとう御座います。

秋篠宮文仁殿下、紀子妃殿下の第三子として親王殿下が御誕生あそばさましたれたことは、誠に慶賀の極み、心よりお慶び申し上げます。

今上陛下まで連綿と125代、皇紀にして2666年の万世一系の御皇統を受け継がれる可能性をお持ちあそばされた親王殿下の御誕生を、この日本に生まれ、この日本に暮らす一国民としてお慶び申し上げ、また皇統の末長きを祈り、寿ぎ奉ります。

元気な産声、喜び分かつ秋篠宮ご一家読売新聞)- 9月6日14時28分更新

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2006年5月 8日 (月)

伊勢参拝  ~その3~

またお久しぶりになってしまいました・・・。(反省)

というわけで前回の続きです。

前回は伊勢での不思議な体験をお書きしました。

その翌日、私達一行は天橋立へと一路向かうのですがその行った先でも様々な「偶然」と出会ったのです。

まず、私達は「笠松公園」へと向かうのですが、当初の予定でバスを停めるはずであった駐車場が先方の事情により使用が出来なくなってしまったのです・・・。

「なんだかなぁ・・・。」

そんな声で車内がざわめいているときにバスガイドさんから

「あの~・・・。以前来たときに利用したことのある駐車場がこの近所にあるのですが、もし宜しければそちらに確認をとってみましょうか?・・・ケーブルカーの乗り場からは少し離れてしまいますが・・・。」

とのご提案を頂き、添乗員さんから私の方に高齢の方が多いけれども、その旨で良いかとの確認を頂いたので

「結構ですよ。そこに停められればそこでお願いします。」

とお願いをしたのです。するとバスが向かっていった駐車場の入り口の看板には

元伊勢 籠神社(このじんじゃ)」

と書いてありました。

元伊勢とはいまの伊勢の「神宮」が建立される以前にお祀りされていたとされる神社であり、私自身も以前より天橋立のそばにあるということは存じていたのですが、まさかこのような形でお参りさせて頂けることになるとは思っても居ませんでした・・・。

「60回目にして本当の『お伊勢さん』と『元伊勢』の両方をお参りさせてもらえるとは・・・。 なんて有難いんだろう・・・。私はこの旅行に35回続けて参加させてもらってるけど・・・。ずっと来ていて本当に良かった・・・・・。」

総代の方の一人がしんみりと仰っていました。父も感慨耽って

「今回の旅行は本当に60回という『還暦』にふさわしいものだな。なんて有難い・・・。」

と言っていました。

偶然ではあるけれどもせっかく『元伊勢』に来られたのだから、ということでここでも正式参拝をさせて頂きました。そして神殿にて参拝を終えた後、社殿から外へ出るといきなり

「○○先生?(○○=私の本名です)先生じゃありませんか!!わぁっ!こんな所でお会いできるなんてっ!」

とお声をかけてこられた老年の女性がこちらに向かってやってきました。

私は全く見覚えがない・・・。するとその女性は私の横をすり抜けて父の所へやってきました。

そして皆さんから聞くところに依ると、その女性は以前、家のご近所に住んでらして、今はこちらの現地(天橋立付近)にご結婚を機に越してこられたいた、我社の崇敬者の方なのだそうです。

祖父の代の時に良く来られていた大変熱心な崇敬者の方だったそうです。

そしてその女性を宿の宴会にもご招待し、総代の方々や父といっしょに昔話に花を咲かせておりました・・・。

そして私も色々な昔の話を聞かせていただきました。

父が若かった頃の話。私があまり記憶にない祖父の話。総代や崇敬者の方々の話。

そして祖父や父がその方にした「信仰」に対する教えについての話・・・。

その方は話の結びに次のようなことを仰いました。

「若先生、あなたは『今の時代の人』かも知れない。でもあなたのお祖父さんやお父さんは今のような時代を危惧なさっていた・・・。お父さんは今でも真剣に考えて『信仰』とはどんな時代に於いても変わらず大切なことだ、という教えを体現なさっているんだよ。時代がどんなに変わろうとも、人が人である以上人の道、『人道、道徳』は変わらないんだ・・・。そのことを肝に銘じて、ここにいる皆さんやあなたの周囲にいる方々、救いを求めてこられた方々にそういう教えを説いてあげられるような、そんな立派な人になって下さいね・・・。それが今の大先生(父のことです)、なくなったお祖父さん先生の意志を次に繋げていくことなんだ。だからあなたは『今の時代の人』であると同時に『意志を継ぐ者』でもあり『未来へつなぐ者』でもあるんだよ。」

と言うとにっこり笑って私のグラスにビールを注いだ後、立ち上がって父の所へ行ってしまいました。

私の頭の中を色々な思考が巡らせ、何となく黙っていると、それに気が付いた総代の方の一人が私の所へやってきて

「若先生、偶然ってのはこうも重なるもんかね?不思議だよ。たった2,3日の旅行でこれだけのことが起こるんだからさ・・・。巡り合わせってのは本当に何処にどんなことが転がってるか分からないよ。でも有難いねぇ・・・。」

本当に不思議でなんだかとても有難く、温かい気持ちになりました。

宴会も終わり、部屋に戻り父に「なんだかものすごい不思議な気分だ」と言うと

「そうだな・・・。俺も後何回、伊勢参拝に来られるか判らないけど後悔は残したくないものだな。もしかしたら今回は祖父さんが俺とお前にそれを教えてくれたのかも知れないな・・・。全く根拠はないけれども・・・・・。なんだかそんな気がしてきたよ・・・・・。」

本当に色々な「偶然」に巡り会った今回の伊勢参拝旅行でした・・・。

そこで気付かせて頂けたことは確かに父の言う通り、祖父が教えてくれたものなのかも知れません・・・・・。相変わらず根拠はありませんが・・・。

ただ、「生命の縦の繋がり」「生命の連鎖」というものを、肌を以て実感したことは違えようのない一つの事実だと確信しております。

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2006年4月20日 (木)

伊勢参拝 ~その2~

すっかりご無沙汰してしまいました。

なんだかとても忙しくて全く更新どころではありませんでした。

ではでは、前回の続きと言うことで・・・。

今回の伊勢参拝は中々、興味深いことが沢山ありました。

途中で大雪に降られ、高速道路では吹雪・・・・・。

伊勢に着くと雪はやんでいましたが、怪しい曇り空・・・・・。

まずは「外宮」をお参り(正式参拝)してから、いつもは「内宮」へお参りをするのですが、今年は猿田彦神社へ先に行きました。

「外宮」は商売繁盛の神と云われる「豊受大神」がお祀りされています。

そして「猿田彦神社」は道開きの神様、「道祖神」とも云われる「猿田彦大神」がお祀りされています。 交通安全や縁結びなどで有名で、伊勢神宮の「式年遷宮」の時に、ここの宮司さんが行列の一番先頭を以前は歩いて居られたそうです。 こちらも毎年正式参拝をさせて頂いています。

そして「天照大神」のお祀りされている「内宮」へ・・・。

「内宮」へ着くとさらに怪しい雨雲が・・・・・・。

「まぁ大丈夫だろう」と思い傘を持たずに歩き出すと、ちょうど神楽殿に着いた処で、

「ポタ・・ポタ・・・ザァーッ・・・・・」 大雨です・・・。

先に本宮へ正式参拝へ行ってから「御神楽」を、と予定していたのですが、神宮の職員の方にも、

「宜しければ、先に『御神楽』を御奉納されてはどうですか?」

とお声をかけて頂きお言葉に甘えることにしました。

そして神楽殿の待合所で待ちながら窓の外を眺めていると、ものすごい稲光と共に雷鳴が響き渡りました!!待合所にいる皆が同時に「うわぉぉぉ・・・・」と声を上げるほどでした。

「(注)若先生。あのまま、本宮に行ってたらびしょ濡れだったね・・・・・。若先生が先に『御神楽』の受付をしてくれた御陰で助かったよ。 職員さんも声懸けてくれたしね。」

(注)・・・恥ずかしながら私のことです。

と総代の方の一人が仰いました。そしてその後「御神楽」を奉納し、再び外へ出てくると、さっきの雨と雷は何処へやらというほどの青空が広がっていました。

「おぉ・・・。こりゃすごいね、若先生。一体どうなってんだろうね・・・?!(注2)先生と若先生の徳積の成果・・・御神徳かね?!(笑)」

(注2)これも恥ずかしながら父のことです。

でも本当に不思議なことに、やんでいたのです。御陰様で一度も傘を差すことなく、「内宮」を参拝することが出来ました。

何処のお宮へ行っても正式参拝をすると気が引き締まり、必ず感謝の気持ちが芽生えるものですが、今回は特に有難く思い、「神恩感謝」の念で一杯になりました。

その後、「月読宮」へお参りをして宿に着き、そこで父が、

「家を出てくるときは桜に見送られて、道中、高速道路では吹雪に吹かれ、伊勢では夕立のような大雨と雷に出くわしたし、その後は嘘みたいな晴天・・・・、今日一日でなんだか一年の天候全てに出会ったような感じだな・・・・。今年はもう、来られないと思っていたけど来ることが出来たし、不思議だけど・・・・・なんだか有難いな・・・・。」

私はただ大きく頷くだけしか出来ませんでしたが、父が感じた、「不思議な感覚と感謝の気持ちは共有出来たかな」と感じました。

   その3へ続く・・・・・

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2006年3月29日 (水)

伊勢参拝  ~その1~

昨年の暮れから、未だ落ち着きを取り戻せない状況であります・・・。

テレビのニュースを見ながら様々な事を感じ、ブログを更新したいなぁと日々、思っていますが御陰様で大変多忙に過ごさせて頂いておりまして、中々、記事をまとめる暇を造ることが出来ませんでした・・・。

「これを書こう。」と思っていながらも、時期を逃してしまう事も続き、皆様のブログやホームページなどを拝見しながら僅かずつながら勉強しておりました。

時間が出来たのも束の間で、明日からは伊勢神宮の方へお詣りに行きます。

これはうちの神社で毎年行っているもので、今年で60回目になります。

私もそのうち、20回くらいは参加させて頂いております。

総代の方々と氏子の方々、関係の神職の方々と共に毎年欠かさず執行されてきました。

最近では以前に比べ参加される方が少なくなってきましたが、それでも続けて行っております。そしてこれからも続けて行こうと思います。

昔は伊勢参拝というと「御陰参り」や「抜け参り」といって、それこそものすごい人数が参拝されていたこともありました。

明日から神宮だけではなく、他のお宮や神社も参拝する予定で居ります。

また帰ってきたら更新しようと思います。

それでは明日は、早いので一足先に休ませて頂きます。

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2006年3月22日 (水)

不登校

先日、私の住んでいる地区の宗教連盟からご依頼を頂戴しまして、小中学校の不登校児とその家族を対象にした懇話会で講演をさせていただきました。

講演後、何組かの親子とお話をさせて戴く機会を頂戴しました。

そこでの遣り取りでかなり驚くものでありましたのでここで御紹介させていただきます。

小学校4年生の男の子の話です。

国語の授業で自分の父親について作文を書くという課題があり、順番に教壇の前で読み上げることがあったのだそうです。

彼は「僕の父は航空自衛隊のパイロットで、僕も将来は父の様なパイロットになりたいです」という内容の作文を発表したそうです。

周囲からは「かっこいい!!」とか「すげー!!」などという彼を羨むような声が上がったそうです。

ところが、担任の教師(40代、女性)は彼が作文を読み終わるやいなや、思い切りのビンタで彼を張り倒し、「そこで正座しなさい!!」と教壇の上に彼を座らせたそうです。

それから授業を中断しその女教師は生徒に向かって演説を始めたそうです。

少年から聞いたところに依ると彼女の話は

・自衛隊は人殺しの集団である。

・そこに所属する少年の父親は悪である=少年も悪である

・現代に生きる我々は祖先の過ちをアジア諸国に謝罪しなければならない、????・・・などなど・・・

少年は当然、泣いていたそうです。すると「うるさい!!静かにしなさい!!」と言って又ビンタをしたそうです。そして授業中、ずっと彼女は演説を続け時間を繰り越してまで続けたそうです。

しかし、事態はそれだけでは済まなかったのだそうです。

学年で彼のクラスだけに毎週金曜日の放課後に「クラス反省会」という、順番にクラスメイトの欠点を互いに批判し合うというHRが在ったのだそうです。(どこかの組織の『総括』というものみたいですね) そしてその週のその『会』でその担任教師によって再び少年は槍玉に挙げられたのだそうです・・・。

そこで女教師は「○○君を善人に生まれ変わらせてあげましょう」と言ってクラスメイトに批判をさせたのだそうです・・・。

それからというもの何かことある事に彼を槍玉に挙げ、その都度「まだ○○君は人殺しのお父さんの悪影響を受けている」などとクラスメイトの前でしかりつけたのだそうです・・・。

結局、少年は登校拒否になってしまい、そのことをご両親が学校側に掛け合ったところその女教師は「減給処分」を受けたそうですが、それ以外には何もお咎めがなかったそうです・・・。

その後、少年は転校し、現在に至るそうですがその時のことがトラウマになってしまい転校先でも学校に馴染めず、不登校のままでいます・・・・・。

しかもその教師はその少年が転校した後に生徒達に向かって反省するどころか「悪人が居なくなって清々した。これでクラスに平穏が戻る」と言ってのけたそうです。

偏向教育のみ為らず、子供達にトラウマを残す様な行為をしている愚かな大人達が今日も教壇に立ち、子供達に「教育」の名を借りてまた、さらに子供達を汚す行為に及んでいるのかも知れない・・・。そう思うと居ても起っても居られない気持ちになってくるのは私だけではないと思います・・・。

その他の不登校の児童達にはもう少し、親が厳しくしても良いのでは・・・?と思うような方々もいらっしゃいましたが、「中にはこういう例も本当にあるのだ・・・」と今の教育現場に於ける問題を真剣に考え、行動できることは行動しなければならない、と心を新たにしました。

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2006年2月13日 (月)

「不苦」があってこそ人生 その2

前回、中途半端な形で終わってい、間が開いてしまいましたが、その続きです。

「不苦」があってこそ人生(続編)

しかしながら、それでいて「豆も撒かずに歳をとった」などとボヤいていたが、ボヤいているうちは平安かも知れない・・・。

世の中には不公平で理屈に合わない不合理なものが充満(みちみち)ている。が、然しその中で誠に公平で合理的だと云っても良いものが一つある。

それは節分である。

どんな権力や財力を持ってしても、これだけはどうすることも出来ない。

節分を境に誰彼と容赦なく一つずつ年齢を加えていくという事であり、「俺だけは歳はいらない」という勝手な事は許されない。(※注:数え年で考えています)

それは刻々と過ぎ行く。時の流れをどうする事も出来ないに等しく・・・・・。

然し、以前教えを請うた先生が数え年78歳を迎えられたときに云っておられた。

「己、人生七八(悩)まず。やり甲斐のある歳だ。幾つになっても、七八(悩)まずにいつまでも神様の番頭役で、世の為、人の為にお役に立ちたい・・・。尽くしたい・・・。命に懸けて・・・。」

私も同様に思った。

そうだ!・・・時はこれより春。即ち、種を蒔くには絶好の時期である。

即ち豆まきは種まきであり、資本である。施しもせず、種を蒔かずに幸福を独り占めにしようと思ってもそれは叶う道理はない。

「蒔かぬ種は生えぬ」である。

れた(こころ)の(ひと)は自然に外され、く放り出されて出入りが叶わず、施す事も出来ず、まるで孤独になる。種も卸さぬ者は春の暖かき節に分けられて棄てられる。

所謂「汚仁者疎遠(おにはそと)」である。

福は内とは自らの事業の為には苦難もあり、困難に遭う事もある。それを乗り越えるのも皆様の御陰と自ら不撓不屈の精神こそ「不苦(ふく)」であり、座って考えていても決して福は来ない。「そうだ、一奮張り、手豆足豆、実行しよう!」吾家(わがや)の繁栄を知るのは善なる施しからである。

これ即ち「不苦者宇智(ふくはうち)」である。

一年にとると一月は丑(陰)の月、二月は寅(陽)の月であり、丑の陰を払い、寅の陽を迎え一陽来福(いちようらいふく)となる。

丑寅(北東)を鬼門と世間の人は言われる。つまり、虎の顔に牛の角を生やすと鬼の顔に見える処から「鬼門」と言うのだそうである。

「福は内」と大声をあげても、鬼の居る家は福の神は入れようもない。天の数は奇数、陽数であり、地にあるものは陰であり偶数である。

この陰と陽が合体しなければ何事も上手く行かない。

家庭も男と女。主人が居て奥さんがあって、夫婦一体でなければその家は栄えない。

主人は外を飛び歩き、奥さんも負けず劣らず外を飛び歩いて居ては駄目である。

家内(かない)というからには、家の中に居るのが一番良い。宀(うち)の中の女が一番安心である。

だが主婦の家族観も、新しい時代と共に「自分中心の生き甲斐」へと変化してきたようであるがどうか見るも恐ろしい・・・オッカネェー・・・・「夫苦魔女(ふくまめ)」とならず、「富久真女(ふくまめ)」になって頂きたいものである。

夫婦愛対し、男女交わって和合が出来、福が来る。

お正月に供える鏡餅。あれは夫婦の和合を形取り、陰陽を象ったものである。

幸福とは何か。

それは仕合わせから始まる。それぞれの家から始まる。

仕合わせは何から生まれる。それはそれぞれの人の愛から生まれる。

愛なき処に幸福はない。相手の心を受け入れて愛が生じる。愛することを知るものは幸いなるかな。

人を愛し、自然を愛して無限に楽しき日々を送れる。尚、感謝する事を多く知る者は幸いなり。天地に感謝し、人に感謝して喜び尽きざる者の生涯は素晴らしいものであろう。

そう成る為に先ず、「神我と共に坐します」神念(=信念)を持つ事である。その信念は如何なる境遇に出会っても、常にこころは愉快に溌剌としていられる。

境遇の変転というものは決して自己の思うようには行かぬものである。

けれども、この心の持ち方というものは修養一つで常に可能な事である。

信仰を持ち、真行の生活を営み、真業にいそしむ事でこの世は本当に住み良い人生である。    

~終わり~

会報の原稿をそのまま転載した為、かなり宗教色が強くなってしまった感がありますが、御容赦賜りたいと思います。

皆さんの今年の豆撒きは如何でしたか?

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2006年2月 8日 (水)

「不苦」があってこそ人生 その1

書きたいことは山程在るのですが、最近あまり時間がとれないので、今回はブログ用ではなく、うちの神社で発行している会報2月号の原稿記事をそのまま掲載させていただきます。若干、宗教的な色合いが強いかも知れませんがどうか御容赦賜りたいと思います。

「不苦」があってこそ人生

正月の種々の行事も終わり、二月の声を聞くと間もなく節分を迎え、さらに立春という暦の上では大分春めいた日がある。

しかし、気候的、気温的には冷たい雨や雪の降る日もあり、寒波、寒風の荒れ狂う季節でもある。随って二月、この月を如月「衣更着」とも呼ばれ、遠い昔からこの月は寒かったのであろう。

だが、厳寒の月のうちにも春の息吹と共に春の足音も、もうすぐ其処まで来ているような、時には梅一輪、梅一輪の暖かさの日もある。

そう、信仰は夏は涼しく、冬は暖かい心行きで過ごしたいものである。

この世に生かされる人の幸福の基は家庭の温かさであろうと思う。

「骨肉の争い」などの言葉が現代ではよく使われているが、これなどは非常に醜いことで、人は神の分身でありながら「下の下」の、最低の人と云う外はない。

人の幸福の基は家庭から。善き人生も、悪しき人生も、その善し悪しに依って分かれてくる。

故に、敬神崇祖の念を深め、家族が心を合わせ、忙しい中にも暇を作り大自然、即ち神様への奉仕を通じ御教示(みおしえ)に帰することで、感謝と報恩の気持ちは深められ、家庭に於ける朝な夕なの神拝の積徳、清い心で仕事に就き、安らぎの心で眠りに就けるのである。

それこそが二十四時を一層意義あらしめ、正しく、美しい人生を創りあげていくことが出来る根本である。 夭(わかい)屰(ぎゃく)の本字だそうである。

大自然、「親なる神」は私たち人類を始め、この世に於ける全ての物を愛し給うて居られ、「誠の心」を持ち、恵みお護りくだされるのである。

また、祖先は見えざる力を添えてお助け下さるもので、上を敬い、祖先を尊び、子孫を愛することに依って幸福の基が育て上げられる。要するに神仏のご加護を戴いて、家庭は円満に治まり、子孫まで正しく栄えて行くことが出来る由縁である。

円満には少しも角がない。つまり角突き合いも出来ない、争いが生じない。

いつでも和やかな心、明るい心で親切で、思いやりのある心、有難うと云う心、すみませんと云う心、感謝のあふれる家庭には悪魔も病魔も、貧乏神も入る隙もない。

随って伸々とした心が伸心(=信心)で、至って健康な身体で居られるのである。

元来、神事、神祀り、或いは昔からの行事は人間の全人格を統一する尊い道で、真に人間らしい人間として生きる為に為さねばならぬ大切なものであると思う。

で、在るけれども今の世では神棚も祀らぬ家庭が多いと見聞する・・・。

その家、その人の末路を考えると気が気でならない・・・。だが、現代では様々な観点から、止むを得ない事であり、他人のことで疝気を病んでも致し方ない。いずれにせよ、昔から繋がってきた尊い祀事も現代では「簡単」、「略式」・・・それ等はまだ良い方で、「やらない」、「面倒くさい」、「照れくさい」で済ませてしまう人が多くなって来たようで、節分の豆撒きなどもせぬ家もある。

・・・・・・・・書いてみると長いですね。という訳で無理矢理分けて、次回に続きます。

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2006年1月31日 (火)

「感謝」と「報恩」

昨年、中学1年生の少年が母親を殴り殺したというニュースが飛び込んできました。

殴った理由は「小学6年生だった昨年から、勉強するようしつこく言われ母親に暴力をふるうようになった」との事・・・。

昨年6月にあった15歳少年による両親の殺害事件。

それもまた「父親に馬鹿にされた」という理由で両親を殺し、自宅に時限爆弾のような装置を仕掛け隠滅を図ったとの事でした・・・。

いつの頃からでしょう・・・子供達はこんなに簡単にも人に、しかも自分を産み、育ててくれた親に対して手を上げたり、或いは殺してしまったり、そのような重大犯罪が多発するようになってしまったのでしょうか・・・。

それと並行して「親」の子供に対する虐待も後を絶ちません・・・。

親が子供を「餓死」させたり、マンションの高層階から放り投げたり、或いはもっと直接的な「暴力」的な手段での虐待であったり・・・。

この国に於いて「親子の絆」というのは何処まで薄らいでしまったのでしょうか・・・。

親子ばかりではありません。

年末には小学校1年生の少女が連れ去られ殺害されるという事件も起きました。

また、直接人の命を奪うわけではないが一連のマンションの建築計算書の耐震強度偽装事件など人命を軽視するような事件が後を絶ちません・・・。

さらには、今現在マスコミを騒がせているライブドアの問題やそれにまつわる自民党執行部の対応の在り方など、人が人としての道を踏み違えていると思われるような出来事も多く見聞します。

何故、このような状況に陥ってしまったのでしょうか・・・。

常識的に考えて、人は他人に親切にしてもらえば、有難いと思って感謝し、その人のために何かをしなければならないという感覚を持つものだと思うのです。

こういう義務感の発露というのは、人間として自然な感情だと思います。

ところが、現代では義務感を発露させる「感謝や恩義」を感じなくなり、「されて当たり前」「奪えるものは何でも奪え」というような感覚に陥ってしまっているように思えるのです。

成人式で騒ぐ若者はこの典型でしょう。

行政に庇護され、教育を受けさせてもらい、安全で快適な暮らしを享受しながら、その恩義をまったく感じることができず、その恩恵を授けてくれた存在に対して無礼きわまる態度をとっているのですから・・・。

暴れて物を壊したり、大酒を喰らい、人を殴ったりするのが人間の道とは到底考えることは出来ません・・・。

それを平然としていて「若気の至り」などと気がつくときはもう遅いかも知れないのです。

人生は長いようで短いものだと思うのです。

『いろはにほへと ちりぬるお わかよたれそ つねならむ うひのをくやま けふこえて あさきゆめみし ゑゐもせすん』

むかし、小学校で現在の「五十音」を覚えるために使われた言葉です。

これはただ単に「語呂合わせ」で使われただけでなく、人生の「儚さ」を詠み込んでいるのだそうです。

『色は匂えど 散りぬるお 我が世足れぞ 常ならむ』

『花は咲き乱れ色香が漂う。人はその色香に惑わされてしまうものだ。しかしその花もいつかは散りゆく。それはこの世の平生の出来事なのだ。』

『有為の奥山 今日超えて』

『深く険しい山道を越えるように、様々な艱難辛苦を何とか乗り越えて今日まで来たけれども、』

『浅き夢見し ゑゐもせずうん』

『それはまるで浅い夢のようだった・・・。それに気が付いたときにはもう、自分の人生はお仕舞いになっていた・・・。』

という心を詠み込んでいるのだそうです・・・。

人間が人間である限りは人の道も変わるものではないと思います。

人は幸福を願わない者は居ないでしょうし、災難を喜ぶ者は居ないでしょう。

幸福は「感謝の心」からその感謝の事柄に対し「報恩の念」で応えることによって生れるものだと思うのです。

私達人間は、喜びと感謝に満ち、それに対する報恩に因って充実した真実のある一日を生きるべきだと思うのです。(師匠の受け売りですが・・・(^^;))

私の好きな言葉で「先人が木を植え、後人はその木陰で憩う」というのがあります。

ここに登場する先人と後人はたまたま同時代に生まれ落ちることはありませんが、この両者の間に会話はしっかりと成立しているのです。

先人は後人がここで憩うであろうことを期待し、自己の生が時を超えることをその木に託すのです。

そして後人は先人に感謝するのです。『有難いと・・・。

「人の生なんて所詮はちっぽけなもんだ。でも、俺の行為が後に続く人々のためになるのならば、それはそれで価値ある一生だったというべきなんだろうな」との先人の想いが一本の木に託され、その想いがわかるからこそ後世の者は感謝を抱くと共に感慨に耽るのです。

「俺は後世の者に何を残せるだろうか」と。

以前に書いたエントリに引用させていただいた先生のお言葉をまた引用させていただきますが、

『古人は『積善の家に余慶あり』と教えている。世の中が真暗闇見えるのは、即ち己の心が暗い行為に過ぎない。人は心掛け次第で如何にも立派に成れるものである。』

つまり、「善い行いを重ねる人物の家には余りある慶びがある」という意味であり、人の道に沿った暮らしを営み、どんな世の中でも明るく過ごすことが重要であり、日々、「感謝」を重ねていれば自然と「報恩」の念が生まれ、そこから慶びが現れてくるのだと思うのです。

『本来、人は神の分身なるが故、駄目な人間はこの世に一人も居ない筈である。「資本が無い」「若い」「学問が無い」から駄目な人間であるとは決められない。駄目な人間とは、行う以前に「俺は出来ない」「俺は駄目だ」と自分で決め付けていてやろうとしないだけのものである。

「やれば出来る」

この信念を持つことである。苦を越え、焦りを押えて一つの事を成し遂げた時の歓喜、自己が自己に克つ体得が大きく人の一生を支配し、最終の美を飾れるのである。反省は過去の失敗や過ちに心を腐らせ胸を痛めつけることでなく、失敗や過ちを自心の養いとすべきである。』

そんな心構え、気構えを持って過ごすことが出来れば自己の過剰な欲求を発散する行為、即ち、冒頭で述べたような事件が起こることはないのではないか、と思うのです。

そして今度は後世を生きる者達の為に、先人としてそういった「心構え」や「気構え」を語り継ぎ、この国のそんな美風を「良い木」として残していくことが我々に課された使命であり、人としての務めではないか、偉そうですがそんな風に思う、今日この頃です。

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2006年1月18日 (水)

私の思う作法

先日、かついちさんから神社などの参詣、参拝についての作法について幾つかご質問を頂戴いたしましたので、その質問にお答えしながら私の考える「作法」について触れてみたいと思います。

一般的に神道の礼拝というのは「ニ礼二拍手一拝」というのが基本作法ですが、そのお社やお宮によっても作法は異なるものであり、また神道系の宗教団体ごとで作法は異なるものなのです。キリスト教でもカトリック系とプロテスタント系で礼拝儀礼が違うように、です。

初詣でも御自身の氏神様にあたる神社をお参りし、その後に現在、ご自身が信仰されている神様の祀られているお社やお宮、教会などを参拝されるのも多くの御陰を賜るためには良いことですし、御守や護摩札などもご自分の御祈祷(感謝や厄除けなど)の為に御作りになられたり、購入されるのも結構なことであると私は思います。勿論、誰かの為に祈祷されて護摩札や御守を作られたり、購入されるのも全く問題ないと考えます。

こういったことは色々なところに行かれるとそこの宮司さんが独自の見解を持っていることも少なく在りません。(私もその一人ですが・・・。)

私共の社では毎年、総代の方々と一緒にお寺さんに御篭りに入りますし、伊勢神宮にも参拝します。伊勢神宮参拝の際にはその道中でお寺さんや観音様、様々な神社仏閣にも参拝します。(伊勢神宮の神官の礼拝作法は『八手』という作法を使います。ニ拍手では無く八つ手を叩きます。参考までに。)

そこで多くのことを学び、また自分たちの信仰を深くする、そういう取り組みも必要であると考えています。ですから「こうしなくてはいけない」というものはそれほど数多くは存在しないと思います。

そして、そういう考え方こそがある意味、「神道」という信仰であると考えます。

ありとあらゆるものに柔軟に、且つ寛容に受け入れる。ある種、「曖昧」という表現をしても良いのかも知れません。

それが一神教の国々の方々や大陸系儒教の国々の方々と異なる、日本人独特の民俗性に通じているように思います。

そういう日本人の感性、民俗性、即ち「日々の周囲にある全てのものに対する感謝の心」、「他の意見を聞き入れる寛容な精神」、それらを生活に生かしていく心構えが日々必要であることを認識することが重要であると思います。

排他的な精神は神道の概念には余りありませんし、他の宗教を受け入れる土台が昔からあると思います。

それは「本地垂迹説」に代表される日本人の精神性というか「素直な心」に起因するものではないかと考えます。純粋に「この教えは素晴らしい」とか「見習うべきものがあるな」と感じる心から生れてきているのだと思います。

我々の祖先は本当に素晴らしい教えを残してくれているなぁ・・・・・。

(一人悦でおしまいです。(汗))

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2005年12月15日 (木)

歳の瀬を迎えて・・・

最近、体を壊したり、もの凄く仕事が忙しかったりと気分が落ちることがよくありました。

そこで私の尊敬する先生に手紙を書き、お返事を頂きました。

ずーっと更新も儘ならないような状態だったのですが、先生から頂いたお手紙を読み、「時間を作って更新せねば」と思い立ち、やっと更新するだけの時間を作りました。

ある意味、神職というのは季節労働者のようなもので「盆、暮、正月」はとにかく忙しいのです・・・。(言い訳です)(汗)

今回は先生から頂いたお返事に素晴らしいお言葉がたくさんあったので一部ご紹介したいと思います。長文になりますがお時間がありましたら是非一読頂ければと思います。

歳の瀬を迎えて

「暮れは一日の終わりにもあり、月末にもある。歳の暮れは其の年の終わり師走である。平素、心構えを持ち、自己自身の締めくくりのあるものは、この慌しい師走になっても平然としていられるものだ。暮れが来ようが大晦日になろうが少しも慌てる必要は無い。寧ろ本年の成果に喜び一杯、感謝感激で軈(やがて)来る新年を嬉喜としてお迎えする心構えが出来ている。実に安らぎの心で居られるものだ。それは本年の得業が見事成就されているからである。師走とは仕果(しわす:仕事を果たすの意)なのだ。」

  ~~中略~~

「そして御奉仕歉念(ごほうしかんねん)の一念が、まさに至誠天に通ずるのである。

という字は(クサクサ)とした気持ちで(にちにち)を過ごして来たか、それに大きなを通って来たかが(くらし)である。光陰矢のごとしと云うが、暮も急に足下から出てきたり、不意に沸いて出たものではあるまい。自然は今年初めの元旦から同じ時間を経て、忙(せ)かず、急がず、弛まず、止(病)まず、春から夏へ、、秋を過ぎ、順序を更(か)えず、日と月を流して冬に至ったのである。人智を越えて、学問智慧と何等関係なく昼と夜は廻り、春夏秋冬は狂いなく巡(まわ)って来る。

大自然、即ち、カミの支配する天地宇宙の運行(はたらき)の流れは、大昔から現在に至るまで、一度も歪(くる)った事は無い。大晦日が来なかった歳は歴史が始まってから今まで一度もない。太陽、ヒノカミは急かず、忙がず、慌てもしない。今日も陽々(ようよう)として暢々(のびのび)と、人類を始め万物育成の運行に余念がない。大自然の運行には行き詰まりがない。この恵み豊かなる現世に生かされる、小自然たる人間、カミノコに行き詰まりが在るは不自然なことである。平素、神の子である尊い己の本心を自覚して居らぬからであり、自尊を弁えぬからである。大自然、カミの母体に住みながら神を知らない、恰も目的も持たないで人生を迷いつつ漫歩しているからである。

然れど待ちなさい。十二月、この月は反省月となさい。茲(ここ)において大きく目覚めなさい。自我を捨てる事だ。現状で落ち込んでいるのは己のことのみを愛し、他を愛することが出来ないからである。私達人間は自分一人で、自分だけの為に生きて居るのではない。自我を捨て、人の立場になればなるほど、他人との和の度合いが強まり、人生は喜びに満ちた、生き生きとしたものになることを確信するものである。所謂『合掌の心』であり、それは拝み合い心から始まる。感謝の心であり、有難うと云う心であり、神の御心を我が心として、其の心を現世に生かすことである。

大宇宙の運行は、太陽の周りを一周り、地球が三六五回廻りきった時、鳴り響く除夜の鐘の音を聴くのである。然れど除夜の鐘が鳴ったからとて、『どれどれここらで一服』などと大自然は言わない。太陽も動いて止まづ、一秒の休みもなく、あまりにも勿体無い、有難い極みである。だが、この世の多くの人はあまりにも大なるためか、大自然の恵み、其の有難さに気が付かず、また知って居っても何時の間にやら忘恩し、自分で生れ、自分で生活(くらし)を営んでいるように錯覚を起こす。これが先ず根本の間違いである。

・・・人間の本質は極めて善なるものと謂う・・・然るに今世では『人は自分さえよければ良い』というような・・・この理想は何処から何時頃から出てきたのだろうか・・・。私の記憶では終戦前はごく僅かな人しか持ち得なかった思想のように思う・・・。自分さえよければ、親であろうが兄弟であろうが、師匠であろうが、良人(おっと)であろうが妻であろうと、義理も人情も恩義も務めも蹴飛ばしてしまう。これが人間の為せる道であろうか。

今の世に云わせると『やり方はどうでもいいから破壊するのだ。破壊しなけりゃ建設できない』などと云い有無を言わさず・・・。それでいて建設する方法や話の進め方なども知らない・・・。更には永年先輩たちが苦心して築き上げたものを蔑ろにし、捨ててしまう・・・。未法の、無法の世の中である。それでも自分に力がある間は良い。だが一線を退き、自分が育てた芽が育ってみたら自分とそっくりの先輩や先達の言う事を聞かぬものたちに対して、なんと思うのであろう。『そんな世の中に誰がした』とでも言うのだろうか。

何時だったか、親しい人に聞いた話であるが親の生前中は親にペコペコして財産を分けて貰ったら、親の葬式にさえ顔を出さない・・・人間の道を踏み外し違えている。学問だけでは解決できない問題だと思える。また親を邪魔にして、無理に病気でない病人にして病院に追いやる夫婦もあるとか・・・。西洋の思想にかぶれるのも結構であろうが、先ず人間の道、人間は何の為に生れて来たのかとくと考えてみたら良いと思う。犬や猫さえ、ちゃんと恩義を感じ使命を弁えている。物を壊したり、人を蹴落としたり、殺したりするのが人間の使命では在るまい・・・。太陽に古い新しいはない。人の道にも古い新しいはない。貴兄には真の哲理を究明、求道し、人間の使命で良い事のみを実践して貰いたい。

私などの教育を受けた時代は先生に真に親しみ、礼を尽くしたものである。皇室も然り。『三尺下がって師の影踏まず』とか天皇の徒歩の時は皇后は後方三尺の間をおいて御歩みなされた。また先生も然り。教職とは尊いものとし、己の人格を養い高め、子供は先生を慕い、先生は子供を愛した。ところが今の大学では企業化されて、先生は学問を切り売りし、高校や中学では卒業式に教えた子供に先生が袋叩きにあったり、放り出されたりしている。街には男だか女だか解らない者が氾濫している。世の中がもの凄い速さで変わっている。世は全(まさ)にコンピューター時代。宇宙の解明に科学陣が立ち向かっている。近々、月旅行、宇宙旅行も一般の人達に可能だと云う。然し私達は、人間が人間である事に変わりはないと思う。桜は桜で、梅は梅である。どんなに世の中が変わっても、梅の木に自然と桜の花が咲くことは在るまい。太陽は飽きることなく、東から昇って西に没し、春夏秋冬の順序も歪(くる)っては来ない・・・。

人は世の中の変化の早さについつい「焦り」がちになる。が、木の年輪でさえ一年一年、一輪ずつ大きくなるのだから、一歩一歩自分を見つめて歩いて遅くはない。如何に世の中が変わっても、自然の法則、宇宙の真理は変わらないのである。亦、人間が人間である限りは人の道も変わるものではない。正しく人の道を踏み行う人は必ず大自然、神の摂理に適うであろう。人は幸福を願わない者は居ないし、災難を喜ぶ者は居ないのである。幸福は感謝の心から生れる。私達人間は、喜びと感謝に満ちた充実した真実のある一日を生きていたい。病は神様からのお手紙。人間とかく重い病気にかかると、『もうこの世に神も仏もあるものか』と神や仏に恨み言を言いたくなるが、然し病気の中で人を怨まず神を怨まず、良かれ悪しかれ自行自受と反省する事が肝腎である。

そう、何も悪いことをした覚えがない・・・。だがこんな重い病で苦しまねばならぬのは、私が知らぬ処で、私が或いは悪いことをしたのかも知れない・・・。若し、そうであるならば・・・。

知って犯す罪よりも知らぬ処で犯している罪の恐ろしさに目覚める。生死の境を本当に身を浮きつ沈みつしながら掻い潜った時にこうして健康で居られる事がどんなに有難いかを知り得るのである。

『過ぎし世の いかなる罪の むくいぞや 合わす掌もなき われぞかなしき』

手が二本とも無い、足も二本とも無い、達磨の様な人生を送った、中村久子さんの歌である。現在の営みは必ず次の世の中に生れてくる。故に現在が在る事は未来が在るのであり、同時に過去が在ると云うことである。

『如何なる罪の報いぞや』

私は過去にどんなことをしたのだろうか、余程悪い事でもしたのでなかったら、今生この世にこんな不自由な姿で生れてくる事はなかった、と思った。・・・けれども受けがたき人身(ひとのみ)を今、私はこうして戴いているのだ。人身を持って生れてくる事の出来ない、多くの命のことを思ったら、両手両足の無い位なんですか。この世の空気を吸わせて貰っただけででも私は幸せなのだ・・・。然し、喜んではいるのですが、有難い、感謝したいと掌を合わせて拝みたいと思ってても

『合わす掌もなき われぞ悲しき』

という気持ちを訴えておいでなのである・・・。

中村さんは合わす手はなかった。けれども『合わす心をいただいて居られた』

この処にあのお方一代の幸せ、喜びが在ったと信ずる。私達は合わそうと思ったら、いつでも合わすことの出来る掌がある。合わすことが当たり前であり過ぎて反って合わす心を失ってしまっている。其処に私達の大きな不幸、悲劇があるのではないかと思える。本来、人は神の分身なるが故、駄目な人間はこの世に一人も居ない筈である。「資本が無い」「若い」「学問が無い」から駄目な人間であるとは決められない。駄目な人間とは、行う以前に「俺は出来ない」「俺は駄目だ」と自分で決め付けていてやろうとしないだけのものである。

「やれば出来る」

この信念を持つことである。苦を越え、焦りを押えて一つの事を成し遂げた時の歓喜、自己が自己に克つ体得が大きく人の一生を支配し、最終の美を飾れるのである。反省は過去の失敗や過ちに心を腐らせ胸を痛めつけることでなく、失敗や過ちを自心の養いとすべきである。人生色々、長かりし今年一年、短かりし今年一年、色々の事に出合いし今年一年、残り少ない日は後幾日か。

不況の風は吹いている。『正月どころの沙汰でない』とふてくさる人も在るに違いない。それは不徳を悟り、欠乏している徳分を造る以外道は無い。古人は『積善の家に余慶あり』と教えている。世の中が真暗闇見えるのは、即ち己の心が暗い行為に過ぎない。人は心掛け次第で如何にも立派に成れるものである。慌しい師走の中にも安らぎの座がある。それは一年を通じ感謝篤き人の平然として居られる処の心である。この静かなる心こそ、真の尊い本性を自覚した人である。

 ~~後略~~

この先生は、神職の大先輩であります。それ故、若干、宗教的な色合いが強いかもしれませんがその辺りはどうかご容赦賜りたいと思います。

感謝の心。私も全ての幸福に通ずると信じます。

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2005年11月18日 (金)

教育勅語とナショナリズム

前回、ナショナリズムについて触れ、私なりに思うところがありまして、今回は教育勅語に触れてみたいと思います・・・。長文になりますがご容赦ください。

朕惟フニ 我カ皇祖皇宗 国ヲ肇ムルコト宏遠ニ 德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ 億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ

此レ我カ國體ノ精華ニシテ 教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

爾臣民 父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ  朋友相信シ

恭儉己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ知能ヲ啓發シ

德噐ヲ成就シ 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ

一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

是ノ如キハ 獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス 又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ 實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ 子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所

之ヲ古今ニ通シテ謬ラス 之ヲ中外ニ施シテ悖ラス 朕爾臣民ト倶ニ 拳拳服膺シテ

咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二三年十月三十日

 御名  御璽

この文を私なりに訳をしてみました。

教育勅語(私的現代口語文訳)

私は、昔、私達の祖先が大志と理想を持ち、この日本という国をお開きになったものと信じます。

それからというもの国民は、深く道徳を考え、それを生活のあらゆる面に根付かせ、真心を持って祖国に尽くし、人を大切にして心を一つにし、今日に至るまで先祖代々受け継いできた美しい美風を育んで参りましたことは、日本の優れた国柄の賜物であるといわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、ここにあると信じます。

国民の皆さんは、父母を大切に敬い、兄弟姉妹は互いに力を合わせ助け合い、夫婦は心を通わせ支え合い、友人は友情を育み信じ合い、そして己の身を常に慎み、決して驕り高ぶらず、学問を怠らず、職業に専念し、新しい知識や能力を存分に発揮し、立派な行いができるように心がけ、進んで世の中の為に貢献し、国民として憲法、法律や秩序を守ることは勿論のこと、非常事態が発生した場合には、正義を心がけ、勇気を奮い、真心を捧げて、一丸となって国の平和と安全に奉仕しなければなりません。

そして、これらの教えを善良な国民としてよく守ることは、立派な日本国民であるばかりでなく、私達の祖先が今日まで身をもって示し残された伝統的な美風をしっかりと受け継ぎ、これから祖国を担っていく子孫達に正しく伝えていこうと、心に留め生きている証でもあります。

このような国民の歩むべき道は、神話の時代から続く、私達の祖先が残された教訓であって私達子孫が守り遵わねばならない所であると共に、この教えは昔も今も、将来にわたって変わらぬ正しい道であり、日本だけでなく、世界のどこへ行っても間違いのない人の道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖先の教えを胸に抱いて、徳を積み、人格を高め、謹んで踏み行い、立派な日本人となれるように、心から念願するものであります。

明治二三年十月三十日

 ご署名 御印

マレーシア独立の父でラジャー・ノンティック氏という方がいらっしゃいます。

彼が日本人の現状を知り一遍の詩を残されています。

かつて 日本人は 清らかで美しかった

かつて 日本人は 親切で心豊かだった

アジアの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命つくしてくれた

これらを読んでかつてこんな日本があったのか、という嬉さと誇りがわいて来ました。

それと同時に今の日本がとても恥ずかしく、そして情けなくなりました・・・。

偏狭で排外的なナショナリズムではなく、ただ単純に「日本人として失われた精神の高潔さ」を取り戻したいと心から思うのです・・・・・・・・・・・。

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