2007年4月 4日 (水)

「御加護」ということ

このところ、公私ともに立て込んでおりまして更新が滞っておりました。

最近は社務、講演等に精力的に臨んでおりましたところ、体調不良に陥りましてすっかり御無沙汰してしまいました。

過日のことですが、今年も昨年同様、伊勢の方へ行って参りました。

また、今年は京都の伏見稲荷大社をお参りし、その後は新撰組の足跡を辿りながら、幕末期に所縁のある所へを観光して参りました。

京都での宿泊は「京の奥座敷」と言われる「湯ノ花温泉」の旅館にお世話になりました。

ところがここで若干のハプニング・・・。

今回の旅行に同行された総代の方が突然、風呂上がりに卒倒され、救急車騒ぎを起こしてしまいました。

その場でご本人から「数日前から体調が優れなかった」とのお話を頂き、その旨を救急隊の方に説明をし、とりあえず近隣の病院へ搬送との運びになり、私が同乗致しました。

然し乍ら、救急隊の方々も旅館からの搬送であったためか、どうやら急性アルコール中毒か、湯あたりくらいとしか捉えて居られなかったようでありました。

ところがその搬送中、その方の容態が急変し、一時は心肺停止状態になってしまったのです。

救急隊の方々が大慌てで緊急措置をされ、事無きを得ました。

そして救急車の車内は緊迫した状態で病院へと急いだのでした。

そして病院へ到着。 救急救命処置室に運ばれ、隊員の方から先生に御説明していただき、そのまま緊急入院。 そこでくだされた診断は「不整脈による突発性心臓発作」とのことでありました。

先生が仰るには「いつ心臓が止まってそのまま亡くなってしまってもおかしくない状態だった」との由。

ご本人が気付かない所で「不整脈」という爆弾のような病を抱え込まれていたのです。

そして私が宿に戻ると、皆さんがお集まりになって状況の確認にいらっしゃったのです。私が御報告申し上げると、

「まったく、お伊勢への旅行に来て倒れるなんて・・・。」

とある総代の方が仰いました。

然し、私は反対に思えて仕方ありませんでした。

お伊勢参りに来たのだからこそ、この様になったのかも知れない・・・。

皇太神宮の御祭神は言うまでもなく天照大神です。

日の大神です。

潜在的な病をお持ちだったからそれを神々しい御光で照らして下さったのではないか・・・。

だからこそ、救急車の中で思い違いをされていたであろう隊員の方々にその病状を知らせるために発作が起こった・・・。しかも結果的に事無きを得られるように・・・。

そのことがあったからこそ、病院でもスムーズな治療を受けることが出来たではないか・・・。

仮にそのまま旅を続けていたら・・・。

何も気付かずにご自宅に一人戻られて、そこで発作を起こしていたなら・・・。

現在は御家族の看病の下、ペースメーカーの埋め込み手術を受けられるそうで、手術に備え治療に専念するよう入院されていらっしゃいます。

「神の御加護」・・・・・。

その奥の深さを垣間見た・・・そんな気がした旅でした。

追伸:私もまだ、体調の方も完調ではありませんので、御報告までと云うことで更新させて頂きました。体調が整いましたら、また逐次更新して参りたいと思っております。

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2006年10月21日 (土)

大雄山 最乗寺

今月の上旬に第4子が誕生し、私事でも多忙な折ではありましたが、職員と総代の方々とで、毎年の恒例行事で神奈川県南足柄市にある、大雄山最乗寺に「お籠もり」へ行ってきました。

今回で61回目を数え、一番古くから来られている総代の方ではもう42年も続けて来られてらっしゃいました。

ここでは毎年、御供式(ごくうしき)を奉納し、翌朝にはおつとめ、大祈祷を致します。

勿論、こちらはお寺さんですから「仏教」であります。

私達、神道に帰依する「神職」がそこへ「お籠もり」するのも妙な話のように聞こえるかも知れませんが、この日本は「神仏習合(混淆)」の国でもあります。

元来の考え方からするならば、「神道」と「仏教」は切り離して単一の物として考えることは不可能なことであり、歴史的な文脈から考えてもそういう側面が垣間見えます。

この最乗寺においても、朝の大祈祷を行う「真殿」には「御神鏡」があったり、「真殿」だけでなく「本殿」にも榊が活けてあったりと、本来仏教では有り得ない、神仏混淆の色彩が見られます。これは唯の推測になりますが、「真殿」ももしかしたら、かつては「神殿」と書き表されていたのかも知れません・・・。

そんな様々な憶測に、この国の精神性の変容を想像を付け加えながら色々なことを考えていました。現代的な価値観や、その価値観を支えている「合理性」というものについて、深く思考を巡らしていました。これについてはいずれまとめ上げ、出来ればこのブログ上でもアップできればと思っています。

ちなみに「御供式」は夜に行うのですが、ものすごく神秘的な式であります。

諸般の事情で多くは語れないのですが、少しだけお話しすると、「目隠しをした僧侶が頭にお供え物を載せ、ものすごい勢いで階段を昇っていって御供えをする」のですが、ハッキリ言って「一見の価値」があります。

今年は一度も雨が降らず、参拝には適した気候でした。

が、この「御供式」を見るときはその日に一度雨が降っていると、空気が湿った感じでものすごく幻想的な雰囲気になるのです。そういう意味では少し残念でありました。

然し乍ら、この忙しさの合間にもこうして参拝させて頂ける有り難さをこの身に感じることが出来ました。

日常の雑事、雑念から離れてこの聖性に触れ、少し頭の中もすっきり出来ました。

たまには通常の参拝だけでなく、こういった修行的な経験も良いですね。

私は年に一度で充分ではありますが・・・・。(苦笑)

更新のペースが滞っておりますが、出来る範囲でこれより前のエントリについても続編を書いていきたいと思います。今回は少し余談でした。

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2006年5月 8日 (月)

伊勢参拝  ~その3~

またお久しぶりになってしまいました・・・。(反省)

というわけで前回の続きです。

前回は伊勢での不思議な体験をお書きしました。

その翌日、私達一行は天橋立へと一路向かうのですがその行った先でも様々な「偶然」と出会ったのです。

まず、私達は「笠松公園」へと向かうのですが、当初の予定でバスを停めるはずであった駐車場が先方の事情により使用が出来なくなってしまったのです・・・。

「なんだかなぁ・・・。」

そんな声で車内がざわめいているときにバスガイドさんから

「あの~・・・。以前来たときに利用したことのある駐車場がこの近所にあるのですが、もし宜しければそちらに確認をとってみましょうか?・・・ケーブルカーの乗り場からは少し離れてしまいますが・・・。」

とのご提案を頂き、添乗員さんから私の方に高齢の方が多いけれども、その旨で良いかとの確認を頂いたので

「結構ですよ。そこに停められればそこでお願いします。」

とお願いをしたのです。するとバスが向かっていった駐車場の入り口の看板には

元伊勢 籠神社(このじんじゃ)」

と書いてありました。

元伊勢とはいまの伊勢の「神宮」が建立される以前にお祀りされていたとされる神社であり、私自身も以前より天橋立のそばにあるということは存じていたのですが、まさかこのような形でお参りさせて頂けることになるとは思っても居ませんでした・・・。

「60回目にして本当の『お伊勢さん』と『元伊勢』の両方をお参りさせてもらえるとは・・・。 なんて有難いんだろう・・・。私はこの旅行に35回続けて参加させてもらってるけど・・・。ずっと来ていて本当に良かった・・・・・。」

総代の方の一人がしんみりと仰っていました。父も感慨耽って

「今回の旅行は本当に60回という『還暦』にふさわしいものだな。なんて有難い・・・。」

と言っていました。

偶然ではあるけれどもせっかく『元伊勢』に来られたのだから、ということでここでも正式参拝をさせて頂きました。そして神殿にて参拝を終えた後、社殿から外へ出るといきなり

「○○先生?(○○=私の本名です)先生じゃありませんか!!わぁっ!こんな所でお会いできるなんてっ!」

とお声をかけてこられた老年の女性がこちらに向かってやってきました。

私は全く見覚えがない・・・。するとその女性は私の横をすり抜けて父の所へやってきました。

そして皆さんから聞くところに依ると、その女性は以前、家のご近所に住んでらして、今はこちらの現地(天橋立付近)にご結婚を機に越してこられたいた、我社の崇敬者の方なのだそうです。

祖父の代の時に良く来られていた大変熱心な崇敬者の方だったそうです。

そしてその女性を宿の宴会にもご招待し、総代の方々や父といっしょに昔話に花を咲かせておりました・・・。

そして私も色々な昔の話を聞かせていただきました。

父が若かった頃の話。私があまり記憶にない祖父の話。総代や崇敬者の方々の話。

そして祖父や父がその方にした「信仰」に対する教えについての話・・・。

その方は話の結びに次のようなことを仰いました。

「若先生、あなたは『今の時代の人』かも知れない。でもあなたのお祖父さんやお父さんは今のような時代を危惧なさっていた・・・。お父さんは今でも真剣に考えて『信仰』とはどんな時代に於いても変わらず大切なことだ、という教えを体現なさっているんだよ。時代がどんなに変わろうとも、人が人である以上人の道、『人道、道徳』は変わらないんだ・・・。そのことを肝に銘じて、ここにいる皆さんやあなたの周囲にいる方々、救いを求めてこられた方々にそういう教えを説いてあげられるような、そんな立派な人になって下さいね・・・。それが今の大先生(父のことです)、なくなったお祖父さん先生の意志を次に繋げていくことなんだ。だからあなたは『今の時代の人』であると同時に『意志を継ぐ者』でもあり『未来へつなぐ者』でもあるんだよ。」

と言うとにっこり笑って私のグラスにビールを注いだ後、立ち上がって父の所へ行ってしまいました。

私の頭の中を色々な思考が巡らせ、何となく黙っていると、それに気が付いた総代の方の一人が私の所へやってきて

「若先生、偶然ってのはこうも重なるもんかね?不思議だよ。たった2,3日の旅行でこれだけのことが起こるんだからさ・・・。巡り合わせってのは本当に何処にどんなことが転がってるか分からないよ。でも有難いねぇ・・・。」

本当に不思議でなんだかとても有難く、温かい気持ちになりました。

宴会も終わり、部屋に戻り父に「なんだかものすごい不思議な気分だ」と言うと

「そうだな・・・。俺も後何回、伊勢参拝に来られるか判らないけど後悔は残したくないものだな。もしかしたら今回は祖父さんが俺とお前にそれを教えてくれたのかも知れないな・・・。全く根拠はないけれども・・・・・。なんだかそんな気がしてきたよ・・・・・。」

本当に色々な「偶然」に巡り会った今回の伊勢参拝旅行でした・・・。

そこで気付かせて頂けたことは確かに父の言う通り、祖父が教えてくれたものなのかも知れません・・・・・。相変わらず根拠はありませんが・・・。

ただ、「生命の縦の繋がり」「生命の連鎖」というものを、肌を以て実感したことは違えようのない一つの事実だと確信しております。

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2006年4月20日 (木)

伊勢参拝 ~その2~

すっかりご無沙汰してしまいました。

なんだかとても忙しくて全く更新どころではありませんでした。

ではでは、前回の続きと言うことで・・・。

今回の伊勢参拝は中々、興味深いことが沢山ありました。

途中で大雪に降られ、高速道路では吹雪・・・・・。

伊勢に着くと雪はやんでいましたが、怪しい曇り空・・・・・。

まずは「外宮」をお参り(正式参拝)してから、いつもは「内宮」へお参りをするのですが、今年は猿田彦神社へ先に行きました。

「外宮」は商売繁盛の神と云われる「豊受大神」がお祀りされています。

そして「猿田彦神社」は道開きの神様、「道祖神」とも云われる「猿田彦大神」がお祀りされています。 交通安全や縁結びなどで有名で、伊勢神宮の「式年遷宮」の時に、ここの宮司さんが行列の一番先頭を以前は歩いて居られたそうです。 こちらも毎年正式参拝をさせて頂いています。

そして「天照大神」のお祀りされている「内宮」へ・・・。

「内宮」へ着くとさらに怪しい雨雲が・・・・・・。

「まぁ大丈夫だろう」と思い傘を持たずに歩き出すと、ちょうど神楽殿に着いた処で、

「ポタ・・ポタ・・・ザァーッ・・・・・」 大雨です・・・。

先に本宮へ正式参拝へ行ってから「御神楽」を、と予定していたのですが、神宮の職員の方にも、

「宜しければ、先に『御神楽』を御奉納されてはどうですか?」

とお声をかけて頂きお言葉に甘えることにしました。

そして神楽殿の待合所で待ちながら窓の外を眺めていると、ものすごい稲光と共に雷鳴が響き渡りました!!待合所にいる皆が同時に「うわぉぉぉ・・・・」と声を上げるほどでした。

「(注)若先生。あのまま、本宮に行ってたらびしょ濡れだったね・・・・・。若先生が先に『御神楽』の受付をしてくれた御陰で助かったよ。 職員さんも声懸けてくれたしね。」

(注)・・・恥ずかしながら私のことです。

と総代の方の一人が仰いました。そしてその後「御神楽」を奉納し、再び外へ出てくると、さっきの雨と雷は何処へやらというほどの青空が広がっていました。

「おぉ・・・。こりゃすごいね、若先生。一体どうなってんだろうね・・・?!(注2)先生と若先生の徳積の成果・・・御神徳かね?!(笑)」

(注2)これも恥ずかしながら父のことです。

でも本当に不思議なことに、やんでいたのです。御陰様で一度も傘を差すことなく、「内宮」を参拝することが出来ました。

何処のお宮へ行っても正式参拝をすると気が引き締まり、必ず感謝の気持ちが芽生えるものですが、今回は特に有難く思い、「神恩感謝」の念で一杯になりました。

その後、「月読宮」へお参りをして宿に着き、そこで父が、

「家を出てくるときは桜に見送られて、道中、高速道路では吹雪に吹かれ、伊勢では夕立のような大雨と雷に出くわしたし、その後は嘘みたいな晴天・・・・、今日一日でなんだか一年の天候全てに出会ったような感じだな・・・・。今年はもう、来られないと思っていたけど来ることが出来たし、不思議だけど・・・・・なんだか有難いな・・・・。」

私はただ大きく頷くだけしか出来ませんでしたが、父が感じた、「不思議な感覚と感謝の気持ちは共有出来たかな」と感じました。

   その3へ続く・・・・・

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2006年3月29日 (水)

伊勢参拝  ~その1~

昨年の暮れから、未だ落ち着きを取り戻せない状況であります・・・。

テレビのニュースを見ながら様々な事を感じ、ブログを更新したいなぁと日々、思っていますが御陰様で大変多忙に過ごさせて頂いておりまして、中々、記事をまとめる暇を造ることが出来ませんでした・・・。

「これを書こう。」と思っていながらも、時期を逃してしまう事も続き、皆様のブログやホームページなどを拝見しながら僅かずつながら勉強しておりました。

時間が出来たのも束の間で、明日からは伊勢神宮の方へお詣りに行きます。

これはうちの神社で毎年行っているもので、今年で60回目になります。

私もそのうち、20回くらいは参加させて頂いております。

総代の方々と氏子の方々、関係の神職の方々と共に毎年欠かさず執行されてきました。

最近では以前に比べ参加される方が少なくなってきましたが、それでも続けて行っております。そしてこれからも続けて行こうと思います。

昔は伊勢参拝というと「御陰参り」や「抜け参り」といって、それこそものすごい人数が参拝されていたこともありました。

明日から神宮だけではなく、他のお宮や神社も参拝する予定で居ります。

また帰ってきたら更新しようと思います。

それでは明日は、早いので一足先に休ませて頂きます。

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