さて、前回の続きです。
今回でイザナギノミコトとイザナミノミコトの黄泉の国、禊ぎ祓いの行も最終回です。
黄泉の国からやっとのことで逃れて国へ帰ったイザナギノミコトは次のように洩らしたのでした。
「思えば私は、なんて厭な、醜い、汚いところへとわざわざ出向いたしまったのだろう・・・。私の身体はすっかり穢れてしまった。この身体を『禊ぎ』して清浄にせねばならない・・・。」
そう言うと「筑紫の日向の小戸の阿波岐原(ツクシノヒムカノオドノアハギハラ)」において穢れた身体を浄めるための「禊ぎ祓い」の儀式を行うことにしました。
まず最初に手にしていた杖を投げ捨てると、その杖は黄泉比良坂に突き刺さり、「この禍に近づくな」というツキタツフナドノカミが生った。次に帯を解いて投げ捨てると、道中の安全を守る、場合によってはそこに危険をもたらすミチナガチハノカミが、次に腰の下に巻いていた裳を投げ捨てると、「死穢」を解き放つ、またはそこへ解き置くというトキハカシ(トキオカシ)ノカミが、次に上に着ていた衣を投げ捨てると、禍から免れた、または患いを内包するというワヅラヒノウシノカミが、次に褌を投げ捨てると、衢を守り、または分かれ道の迷い神と云われるチマタノカミが、次に冠を投げ捨てると、「穢れ」が明けたことを示す、または「穢れ」を内包するアキグヒウシノカミが、更に左手に纏いた玉飾を投げ捨てるとオキザルノカミ、オキツナギサビコノカミ、オキツカヒベラノカミという、海の沖、渚、その中間の海を守り、または禍をもたらす三柱の神が、右手の玉飾を投げ捨てるとヘザカルノカミ、ヘツナギサビコノカミ、ヘツカヒベラノカミという水平線を守り、または禍をもたらす三柱の神が生まれました。
それまで身につけていたものを全て脱ぎ、または外すことに依って、そこに付いていた「穢れ」と、その穢れが付着していたイザナギノミコトがお召しになっていた「着物」から「禍」とその禍から「守ったり」、それを「直す」両面を持ち合わせた、十二柱の神々が生まれたのでした。
こうして全てを脱ぎ捨てたイザナギノミコトは朝日にきらめき輝いている海面に眼をやると
「上の瀬は潮の流れが速い。下の瀬の方が流れが緩やかだ。」
と呟き、中の瀬のあたりにザブンと飛び込み、冷たい海に潜り、身体に水をくぐりながら洗い清めて行くのでした。
その時生まれた神の名は八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)、次に大禍津日神(オオマガツヒノカミ)でありました。この二柱の神は、かの醜い黄泉の国に行った時に、身体に付いて来た「穢れ」が基となって生まれ出た神でありました。
この「穢れ」を直そうと、次にイザナギノミコトの身体を伝い流れる水から生まれたのが神直毘神(カムナホビノカミ)、次に大直毘神(オオナホビノカミ)でありました。
そしてその「穢れ」が濯ぎ落とされ、清らかになったことを示すイズメノカミがお生まれになります。
そしてもっと深く潜られ、底へとたどり着いたときにお生まれになった神の名は底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)、底筒之男命(ソコヅツノオノミコト)、浮き上がってくる途中でお生まれになった神の名は中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)、中筒之男命(ナカヅツノオノミコト)、海面に近づいたときにお生まれになった神の名は上綿津見神(ウハワタツミノカミ)、上筒之男命(ウハヅツノオノミコト)、いずれも海路や港を守る神であります。
そしてこの三柱のワタツミノ神は朝廷に海の幸を献上していた阿曇連(アズミノムラジ)の祖先と言われています。
また、三柱のツツノオノ命は墨江、後の住吉大社の祭神であり、ここから全国の住吉神社へとお祀りされるようになりました。
そして、やっと海面に顔を出したイザナギノミコトが左の眼を洗うと天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、次に右の眼を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)が、最後に鼻を洗うと建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)がお生まれになったのです。
ここにお生まれになったヤソマガツヒノ神からハヤスサノオノ命までの十四柱の神は、身体を洗い清めたことによって生まれ出た神でした。
ここに於いてイザナギ大神は心から歓喜の声をお上げになり、次のように言いました。
「私は次々と子供を生んできたが、その最後にやっと、三柱の世にも尊い子供達を得た。」
そう言うと頸に掛けていた玉飾を手に取り、きららかな音色を発しゆらゆらと響くそれを天照大御神に手渡すと、
「お前は私に代わって高天原(タカマノハラ)を治めよ。」
そう命じ、天照大御神は仕事を請け負ったしるしに、その玉飾を賜りました。その玉飾を御倉板挙之神(ミクラタナノカミ)といいました。
次に月読命には、
「お前は私に代わって夜之食國(ヨルノオスクニ)を治めよ。」
そう命じ仕事を任せられました。
次に建速須佐之男命には、
「お前は私に代わって海原を治めよ。」
そう命じ、仕事を任せられました。
こうして全てが三人の御子達の手に委ねられたのでした。
さて、ここでやっとイザナミノミコトの死後、黄泉の国へと赴き、それを追って行ったイザナギノミコトが現世に戻り、「禊ぎ祓い」を行い、「三貴子」と呼ばれる日本の八百萬と云われる神々の中で最も尊い神様をお生みになり、そして自らの跡継ぎとして「事依さし」された、というわけです。
前回の分から余談もいくつかあります。
例えばイザナミノミコトが黄泉の国で作った食事を取ったが為にその一員になってしまったことは「同じ釜の飯を食う」の語源になっていると言われていたり、イザナギノミコトが櫛の歯を折って火を灯したことで不吉なものを見てしまったことから「折れた櫛は使うものではない」なんてことが言われる様になった、なんて言います。それと今回、「三貴子」をお生みになった後、古事記の原文においてイザナギノ「命」がイザナギ「大神」と呼称が変わるのですが、それは跡継ぎをお生みになって御隠居されたから、などとも言われます。
それはさておき、ここでここまでの一連の流れで私はあることを思います。
それはイザナミノミコトの死後、その悲しみを忘れることの出来ないイザナギノミコトはそれを追って黄泉の国へと赴かれました。
それは妻を愛するが故の行動であり、その妻が死んでしまったその悲しみや心の隙間を埋めることが出来なかったが故の行動であると思うのです。
その悲しみは黄泉の国へと向かう前に「殯(もがり)」をしていた時点でも明らかだった訳ですが、それでも彼の気持ちは収まらなかった、ということです。
これは現代に於いて考えてみても似たような事例は在るのではないでしょうか・・・。
先日、私のごく身近な方がお亡くなりになりました。
その方はもう、齢八十も数えられ、今年に入ってからというもの入退院を繰り返されていました・・・。
そしてつい先日、お亡くなりになったのですが、お亡くなりになったとき、周囲の方々(特に余り近くないご親族の方々)は
「もうこれだけ生きて、最後は病んで苦しんだのだからもう大往生だ。あんまりメソメソ泣いてちゃいかんだろう。」
と仰っていました。が、奥様やお嬢様はとても悲しまれていらっしゃって、そんなとても「大往生なんだから・・・」というような言葉を掛けられる、そんな状況ではありませんでした。
いくら年を取っても、「大往生」と周りから言われても、身内のものが悲しいと思うのは当たり前のことであり、或る意味当然のことなのだと再確認しました。
この方の葬儀は「神葬祭」で行われ、私は祭主としてお務めさせて頂きましたが、どんな葬儀もそうですが、亡くなった方の「人柄」が垣間見えるものなのです。
それは「人」が「命(みこと=神)」になっていく過程でどれだけの「想い」を背負って行けるか、神となるに相応しいだけの徳があるのかどうか、ということでもあるのではないかと感じます。
少し話が横道に逸れましたが元に戻したいと思います。
人の死はどんな状況で在っても悲しいものですが、その後の様々な悲しみや苦しみ、辛い、哀しいという思いを乗り越えてこそ、何か新しい、大切なものが生まれてくるのではないでしょうか。
イザナギノミコトは黄泉の国で散々な目に遭いました。
しかし、そこで身につけてきた「穢れ」を禊ぎ、祓い清めると禍神が生まれ、それらを正す神が生まれ、そして最後に自らの跡継ぎとも言うべき「三貴子」がお生まれになった・・・。
人の死が様々な「争い」や「諍い」を生むこともあることでしょう・・・。
しかし、それを正す行いも生まれることでしょう。
そして、その亡くなった方を偲び、想いを馳せることで、その方が残してくださった尊い「教え」や「御言葉」を思い出すことも出来るでしょう。
その「教え」や「御言葉」から自らが迷ったとき、その迷いを晴らしてくれる、進むべき道を指し示して下さることもあるでしょう。
前回、「生命の縦の繋がり」、即ち「Eternal Life」と書きましたが、そんな「永遠に続く生命の連鎖」も生まれてくるのではないでしょうか・・・。
そしてその連鎖を断ち切らない為にも、我々は後世を生きる者達に何を残さねばならないのでしょうか・・・。
そして我々は先人が残して下さった尊い「教え」や「御言葉」から何を学ぶべきなのでしょうか・・・。
それらを学びとることが出来たのなら、それを受け継いでいかねばなりません。
そして・・・・・私達は護らねばなりません。
この国の歴史を・・・伝統を・・・。
この国の美しい国柄を・・・。
そして「死」の悲しみを乗り越えることで我々は何を得ることが出来るのか・・・・。
現代における様々な問題も先人が残して下さった「教え」や「御言葉」の中に答えが見つかることもあるでしょう。
私はブログでも良く申すことなのですが、
「温故知新」
今、その意味を深く、そして真剣に考えるときなのではないのだろうか・・・そんな風に思うのです。
でもそれは、そんな難しく考えることでもないと思うのです。
まずは身近なところから始めてはいかがでしょうか。
もう、お盆は過ぎましたが、今からでも遅くはありません。
今年行かれた方も、行かれなかった方も、御先祖様のお墓参りから始められてはどうでしょうか?
別にご自分の御祖先ですから、お盆に限らず、いつでも、毎月でも行かれるのが良いと思います。
だいぶ時機を逸してしまいましたが(反省)、皆さん、今年のお盆はどうでしたか?
今回はメチャクチャ長文になってしまい、読みにくかったことと思いますがどうかご容赦ください。
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